第13期影舞山月記(鬼)

第13期影舞山月記(鬼)は7月12日火曜日から始まります。
全8回の「きくみるはなす縁坐影舞道中景色」初心の方歓迎いたします。

影舞山月記(鬼)守人 橋本久仁彦

第13期影舞山月記(鬼)

<日程>
①7月12日
②7月26日
③8月9日
④8月23日
⑤9月6日
⑥9月27日
⑦10月11日
⑧10月25日

*いずれも火曜日18時30分~22時15分
(*お仕事のご都合などで毎回遅れてのご参加や途中退出もOKです。)

【受講料】 全8回 3万円  単発参加一稽古4千円

【会場】 影舞山月記(鬼)稽古場(大阪市西区千代崎2-20-8)
地下鉄鶴見緑地線「ドーム前千代崎」駅②番出口徒歩2分
 阪神ドーム前駅徒歩3分・JR環状線大正駅より10分)

【申し込み】 メールにて、enzabutai@bca.bai.ne.jp はしもとくにひこまで。
よろしければ受講の動機を簡単にお伝えくださいませ。



僕がこの人生で辿り着いたのは「きくみるはなす円(縁)坐舞台」という仕事と、
家族血縁を超えた仲間としての有無ノ一坐でした。

両方とも僕にとっては「この世」に存在していなかった新しい関係性の形です。

日本一のお米やおいしい野菜を作っている福島県須賀川市の畏友、吉成邦市さん。

「この田んぼや畑は自分のものではない。
先祖や親から預かって、やがて返すものだ」

「限界集落と言うが、それは都会の人たちが都会の目線で言っていること。
俺たちは親や先祖から預かったこの土地で生きて、死んでいくだけだ」

彼から聞いた言葉を折に触れて思い出しています。

福島原発事故の後、町役場に勤務していた吉成さんは独自の方法を研究して、
全国に有名な米どころ天栄村の田んぼの放射能を除去することに成功し、おいしい日本一の天栄米を復活させました。

しかし、彼を待っていたのは事実より「風評」を信じる世間との厳しい戦いでした。

吉成さんは「売るのは米ではなく信頼そのものだ」と考え、
全国を回り直接人々と会って「人の絆」を結び続けました。

僕とは年齢も同じである吉成さんの生き様と、僕の生き様である縁坐舞台には響き合うものがあり、
現在は須賀川のふるさとで農業に専念している吉成さんの面影は、常に僕の胸に宿って生き生きと語りかけてきます。

僕の仕事は彼のような土着の、生々しい現場で戦う日本人たちの姿勢から大きな影響を受けています。

「この土地で生きて、死んでいくだけだ」という思いを、僕も
自分の仕事である「きくみるはなす円(縁)坐舞台」に対して持っているような気がします。

「きくみるはなす円(縁)坐舞台」は、目には見えない精神的な世界から「預かっている」豊かな「土地」で、
「人に会い、人の絆に結ばれる」旅に出る人はどなたでも歩み入ることができます。

「歩み入る」と表現するのは、僕にとっては円(縁)坐舞台の時空間が、
あの美しい天栄村と同じように一つの実在する「土地」であるからです。

実在するわけですから「やり方」や「メソッド」や「理論」をはさまなくても、それはすでにそこにあります。

必要なのは「直接会うこと」「直接見ること」だけで
「どのようにすれば会えるのか、どうしたら見えるようになるのか」と考えるのは、
一歩も動かない夢の中でのストーリーだと思います。

本当に愛しているなら遠方にいても今ただちにその人に「ふれて」「会って」いますが、
どうすれば愛せるかと考えているならそこにいるのは自分だけです。

有無ノ一坐の仕事の形である「名残りの出稽古ドサ廻り」とは、
こちらから会いに行って目の前の境界線をまたいでその土地に「歩み入る」ということ。

あるいは招いて頂いた民家の小さな部屋で、目の前に結んだ円坐舞台の「何も無い空間」に「歩み入る」こと。

“the way to do is to be.”(その方法とは「ただあること」である)

という、僕がその道を志した「人間中心のカウンセリング」の提唱者であったカール・ロジャーズの言葉を、
日本の田舎のおじいさんやおばあさんにも伝わる日本語で表現しようとするとき、

三重県津市に住む友が知らせて下った「認知症」のお父様が発せられたお言葉、

「私の仕事はふるさとに帰ることです」

を思います。

きくみるはなす円(縁)坐舞台とは、未来に待つふるさとに帰る道筋であり、
田舎で出逢うじいちゃん、ばあちゃんと手に手を取って、
とても懐かしいのにまったく新しい不思議な風景に胸ときめかせながら歩く道です。

あるいは保育園で、きくみるはなす円(縁)坐舞台のクラスを
楽しみに待ってくれる五歳児たちの笑顔に包まれて逝く明るい道です。

そして彼らの輝く笑顔がこの世に生まれて「有る」ことになる前と、
我々の年老いた身体がこの世から「無く」なった後の、

前後ひとつに結ばれる目に見えない謎の「土地」を巡業する
「有無ノ一坐」のわくわくする冒険を語り遺す道です。

きくみるはなす円(縁)坐舞台にその影が映る「謎の土地」。
僕のような老年にさしかかった者にとっては「懐かしいふるさと」。

このふるさとには「見どころ八景」があります。

八景のひとつ「影舞」の舞台空間は、
五歳児にとっては聞こえてくる歌が見えない身体をもって立ち上がる「謎の八景」。
村のじいちゃんばあちゃんにとっては今はなき懐かしい人々がよみがえる「魂のふるさと八景」です。

「未二カウンセリング(未二観)」の「八分間」と「十五分間」は、
どなたにも一見をお勧めしたい見晴らし満点の「有無を超えたふるさと八景」です。

「円坐」という「円坐守人」に結界された舞台には、我々の精神世界が思いがけない形であらわれます。 
見えていたつもりの他者や自分の姿が霧のようにおぼろげになって、やがて輪郭のよりはっきりした「ふるさと」で再会します。

5月に訪ねた日本のふるさと四万十川のほとりに『再会』という鄙びたスナックがありました。
円坐舞台はこの世で一番大切な「誰か」との「再会の八景」です。

そして大阪中之島で30回の公演を重ねた「きくみるはなす円(縁)坐舞台」の遥かな景色。
観客の皆様から、

「舞台に惹きつけられる」「能のようだ」「古代の祭儀」「神子舞」「亡くなって久しい曽祖父が喜ぶ」
「意味がわからない」「どう見たらいいのか分からない」「居心地が悪い」「見てはいけないものを見てしまった」

などのご感想を頂いた口承即興縁坐舞台で、影舞はこの舞台の一部から独立して生まれ落ちました。

これでふるさとの景色「四景」ですね。
あとの四つの景色は、きくみるはなす円(縁)坐舞台の奥の細道を少し歩いたところにあります。

それは我々がこの世に生まれて来て、初めて「他者」と本当に出逢ったときの景色。
向こう側からはっきりと見つめてくる「他者のまなざし」に照らされた四つの景色です。

この景色をお見せしたい。
この風景の中でお目にかかりたいというのが有無ノ一坐の「仕事」であり「色と欲」です。

その景色は「わたし」にとって本当に色っぽくて魅力的です。

その風景こそ「わたし」が本当に欲しかった「あなた」です。

わたしはこの人生で本当の「自分自身」が欲しかったのではなく、
本当の「あなた自身」に会いたかったのでした。

“the way to do is to be.”

という僕の人生を照らしてくれたロジャーズの言葉 “to be”「在ること」とは、

わたしではなく先に「あなた」がいたということ。
あなたがそこにいたから「わたし」がここにいるということ。

“the way to do is to be with you.”

唯一の「やり方」とは、ただあなたがそこにいるということ。
そして、そのお陰であなたと一緒にいられるということ。

この世界の一つひとつは「あなた」で出来ています。

これが有無ノ一坐の「有無を言わさぬ」不変の視界です。

有無ノ一坐  橋本久仁彦