有無ノ一坐円鏡山長慶寺讃嘆偈

毎年2月23日は浄土真宗長慶寺円坐舞台の日です。

雪の長慶寺円坐舞台と
氷雪の浄土真宗出雲路派総本山毫摂(ごうしょう)寺円坐参りと
泰円澄師お勧めの越前ガニを念仏申して頂きます。
2月23日はいと寒き越前の国に結び合うきくみるはなす仏道縁坐舞台の日。

泰円澄師か僕が彼岸に参るまで毎年2月23日に開催する約束です。

~開催祝賀~
「有無ノ一坐円鏡山長慶寺讃嘆偈」

良い顔し
合わせておけばそこそこの 
人が喜ぶ人気者

あえて因果に身を任せ
対峙し仕合い切り結び
業の魂逆縁の
血煙上げて 円坐舞台

人の歓心追いかけて
聴いたつもりの善人顔
蛇のとぐろのうぬぼれは
生死流転の切りも無し

一度きりなり我が人生
生きたつもりが一度だけ
生まれたつもりの未生者
流転離れる信心は
二度生まれてこそ人と成る

さてこそ夢と慰めは
この世の人の常住処
あたりさわらずなめ合って
地獄一定真っ逆さま

後生願わぬぬるき日々
振り向く間もなく最期まで
生き様隠す空念仏
数多の人に笑み見せて
我が身摂取の絆なし

我ら円坐の守人衆
渡る世間に人の声
一度聴くなら生死越え
浄土へ参るが聞の道

善人喰らい闇喰らい
辿りてやまぬ鬼の業
有無ノ一坐の修羅の道
両手合わせて供養して
とわに回向の猛き御坊
泰円澄師の大音声

円に澄む棲む 縁が済む
てにをは辿る未二観は
辿れぬ我が身を照らし出す

ことば辿るは我ならず
我が身を辿るお念仏
影を舞うのは我ならず
我が身を舞わす法の影

二種深信の谷深く
舞台の上の我が身にて
隅の隅まで証しする
有無ノ一坐のその底は
南無ノ一坐と聞こえたり

南無阿弥陀仏 なんまんだぶつ
お山の名前は越前国
円坐の鏡 円鏡山
長慶寺とは号すなり



6年前に母が亡くなった時、自宅に母の亡きがらを置いたまま、
僕は東京へミニカウンセリング(未二観)研修の仕事に出かけました。

ミニカウンセリングは僕が岸田博先生と中村喜久子先生からご教授いただいて生涯をかけて深めつつ実践してきた仕事であり、
今回の仕事の相手は橋本のミニカウンセリングの仕事に
深い関心を示してくださる方々でしたので、

女手一つで僕を筆頭に三人の子を育てあげた母ならば、

「お前の大事な仕事に行け。母は待つ」

と言うであろうと思ってのことでした。

会場である清澄白河の、広い池に浮かぶ由緒あるお堂では、
坐衆の方々がすでに母の訃報を知っておられ
まず弔問のご挨拶とお線香を頂いての研修会となりました。

15分間の逐語記録は家で待つ母とともにレビューしました。
死と隣り合うたぐいまれなる美しき15分間の景色が連続します。

懸命に皆の言葉を辿らせて頂くうちにふと、
母の葬式を、同じ龍谷大学出身で、徳島上勝での仕事を共にしてきた福井長慶寺の泰円澄師にお願いしようと思い立ったのでした。

休み時間に清澄庭園を歩きながら携帯で師に連絡すると快諾を頂き、母の葬送を長年信頼する友に任せられる喜びをもって再び研修に戻ったのでした。

しかし帰阪中に僕はあることに気づいて愕然とします。
うちは真言宗なのです!
お先真っ暗な気分でまず友に詫びねばと再び電話し事情を話すと、
なんと!

「僕はそれぐらいではめげません。
ハイブリッドでやりましょう。
橋本さんは般若心経をお勤め下さい。
僕は真宗流儀の読経でいきます」。

兄弟親戚に事情を話し、真言宗で墓地は高野山大霊園にある我が家ですが、浄土真宗流儀と真言宗流儀のジャズセッションによる素晴らしい母の葬儀を営むことができました。

その後も法事のたびに、師は遠い福井の長慶寺本堂で法要を行い、それを録画して送り続けてくださいました。

我が家ではパソコンを父母の仏前に置いて、モニターに師の読経の姿を映し出し皆で唱和し、生前を偲び、後生の菩提を弔うことができたのでした。

僕が今、有無ノ一坐長慶寺讃嘆偈を記していて思うのは、
泰円澄師への僕の感謝はただ母の葬儀をしてくださったからではないなと言うことです。

我々一坐がこの一生を投げ込んで辿っている円坐や影舞や未二観の道を、手を合わせて拝んでくださり、応援してくださる浄土真宗のお坊様であるからです。

なぜ浄土真宗とのご縁が、円坐の仕事をするこの身にひときわありがたいのかと言えば、僕が学生時代以来20年ほどご縁を頂いた真宗カウンセリング研究会との関わりについて語らねばなりません。

ひとつ僕の仕事の押さえとして大事なことは、

僕は岸田中村両先生の「ミニカウンセリング」にも、西光義敞先生の「真宗カウンセリング」にも、半生に渡る時間をかけて関わることになり、その道を辿ってきたわけですが、

心理学理論に基づくミニカウンセリングと
浄土真宗と呼ばれる精神的実体の間には何の接点もないということです。

仏道である真宗とセラピーやコミュニケ―ション論の一分野であるカウンセリングを安易に結びつけないために、
西光義敞先生は敢えて「真宗カウンセリング」の名のりをあげて研究会を率いておられたのです。
その事情についてはまた次回に。