八月 盆暮円坐 第二弾
大阪での盆暮円坐の開催、3年ぶりとなります。
今回盆暮円坐を開催する場所は私が3年前に通ったその当時守人研鑽クラスが開催されていた場所と同じ大阪の石切のあの場所。
毎月通っていたせいだからか、あの場所を思うだけで、、、
一緒にいた人それぞれの表情雨の日に大きくなる川の音二階の窓から見た夕焼けと雲夕焼けに照らされて動く影触れてくる風の流れたくさんの濃い景色が思い出され
幾十にも景色が重なったあの場所を思い出していると、帰る、還る・・感じが私にあって。
それも鮭が生まれた場所に産卵のために帰る母川回帰のような帰る、還る・・・がする。と思っていたら、くにちゃん、くぅさんの顔が目に浮かんできました。
くにちゃんのもとへ、かえる?どういうこと?
2018年の大阪の未二観のクラスでレビュー後、逐語録の裏に緑の色鉛筆でくにちゃんが書いてくれた言葉の一部
ー話せるよりこんな風に聞いて辿れる方が ずっと楽しくて面白い世界が見れるね
私はうまく話せないことがずーっと引っかかっていたようで大阪に通っていた当時でもこの言葉が本当のど真ん中にはきてなかったようで
その後出産し、子育て真っ最中の今こどもを聞いて辿る毎日の今
ー話せるよりこんな風に聞いて辿れる方が ずっと楽しくて面白い世界が見れるね
が響いて、これほどこの言葉が今ほど腑に落ちたことはなくってこんなに世界の方から来てたんだって。
初めての子育てで、いっぱいいっぱいでもありながら「今、本当に楽しくて面白い世界を見ています」と、大阪に行って、くにちゃんに直接伝える機会があるかはわかりませんが、そう日々感じて暮らしている私のままくにちゃんがいる大阪へ行くのが母川回帰のような帰る、還る・・感じがしているのかもしれません。
くぅさんは、案内文に毎度書いてますが、私にとっての大事な転換期の点どんな時でもずーっと見守って伴走してくださる人です。
小さい頃、買い物を頼まれたスーパーからの夜の帰り道、いつも必ず大きなお月様がついてきてくれて嬉しく歩けるような
その姿を見るとホッとするどこからも見えてそこ居てくれるのがありがたい富士山のような
そんな私にとってのお月様のような私にとっての富士山のような方でもあります。
くぅさんが、いつも見守ってくれているのを感じつつ、だからこそ、円坐ならなおさら、今の私のどんな姿でも見せる相手だとも思っていて、くぅさんの前だと自然にどんどん何かが落ちていくようなポロポロ剥がれていくような真ん中にある私そのままでむき出しでむかえる感じがあって、いつの間にか、くぅさんとのやりとりやくぅさんとの盆暮円坐は私が私の源流に帰るかけがえのない時間になっています。
円坐のおかげでできたご縁で大阪に、くにちゃん、くぅさん、私の源流の匂いがする大きな河の元へ今回帰る、還る・・・ことができることが大変嬉しく、石切で皆様とお会いできるご縁を心よりお待ちしております。
戸高徳子
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みなさま
こんにちは。
八月 盆暮円坐のご案内です。
昨年末の盆暮円坐では、年の暮れに東京の戸高邸で開催させていただき、ご参集くださいました方々、ありがとうございました。今年は3年ぶりになります、八月 盆暮円坐を開催いたします。
主にのりちゃんの日々の暮らしを交えた、幾通ものお便りを重ねて開催に至ります。
仲良しとか馴染みとか、そういうのではないけれど、のりちゃんとは死ぬまで付き合う数少ない友人です。このたびは、石切の盆暮円坐にて再会を果たします。
盆暮円坐の会場に使わせていただく石切の家屋は、風通しのいい佇まいで、大阪市内の町が一望でき、川のせせらぎ、鳥の啼く声、木々に揺れる風の音等が、ふとした瞬間、円坐舞台に響き入るロケーションです。夕暮時の町の上の雲海に、もう一つのこの世があらわれたこともあります。
盆暮円坐が実現するきっかけになった未二観を、高槻の摂津峡でしましたが、その時も・・真っ赤な夕暮れに染まり、染みました。夕暮れ空が赤く染まるのは、みえないからだに流れる血の色なのでしょうか。
人生が暮れていく、年をとる、人に会う、それらすべて彼此辺境の灯に照らされる円坐舞台。このたび、八月 盆暮円坐 舞台を開催いたします。
ご縁ある方のお越しをどうぞお待ちしております。
松岡弘子

< 八月 盆暮円坐@大阪石切 開催要項 >
◇日 時 2021年8月29日日曜日 11時~17時
◇場 所 石切相聞亭(大阪府東大阪市石切)
◇守 人 松岡弘子・戸高徳子
◇会 費 八千円
◇申 込 松岡弘子 soumon.enza@gmail.com
戸高徳子 norikolina@gmail.com