未二観と円坐、影舞と講義を少し。

橋本久仁彦さんは、聴くことに人生をかけてこられた稀有な方だと思います。
その橋本さんをお招きして、「聴く」を軸にすごすこの時間は、
さざ波が立つ日常生活から少し離れ、箱眼鏡で川を覗いたときのように、
既にそこにあったけれども見えていなかったことが見えてくるような、
そんな時間になると思います。

具体的には、人の存在そのもの、生きて死ぬことを眼差すような時間になるのではないかと。
なにとぞ、よろしくお願いいたします。

2021年5月1日 塾生筆頭(と橋本さんがおっしゃいました^^。
今回は事務局ではなく、一緒に学ぶ人を募る形式です)

吉橋久美子

未二観と円坐、影舞を少し。開催要項

 <日時>

2021年 第六回:10月1日(金)
 12時半〜17時半(12時開場。15分前までにお越しください)

<持ち物>

筆記用具

 <内容>

当初は橋本さんに「未二観」の連続講座をお願いしていました。
そして、円坐もやはりやりたい、影舞もしばらくやっていないから懐かしい、やりましょう…となって、最後に講義が加わりました。
これらの共通項は、人と人の「あわい」、時と時の「あわい」を聴き、尋ね、触れ、見つめることではないかと思っています。

(橋本久仁彦さんによる「未二観(ミニカン)」「円坐(えんざ)」「影舞(かげまい)」「講義」
 通常はそれぞれでじっくりと時間をかけて行われているもので、第一回では円坐・影舞をする時間が
なくなってしまいました。それほどあっという間で。参加者の方々から本当に来てよかったというご感想をいただきました。私も、そう思います。あの場にいられてよかった。幸せでした。)

 <人数>

最少催行人数5人

<参加費>

直接橋本さんにお渡しください
全6回参加の方 60,000円/6回 (10,000円/回)
単発参加の方 13,000円/回
会場費 3,000円を参加者で人数割します(私も含めて)

<新型コロナ感染症予防について>

ご配慮をお願いいたします。
会場の「はなれ」は窓を開け放つことができる開放的なつくりになっています。
また、お庭も使わせていただけます。

 ==内容詳細==
 以下いっぱい書いていますが、なんのことやらよくわからない、という状態でも、
まったくもって、大丈夫です(説明力不足は、ごめんなさい)。
そのまんまで、お越しください。

 *未二観(ミニカン)
 ミニカウンセリング・トレーニングの略で「ミニカン」と呼んでいたものが、
橋本さん流に深化し未二観という名になりました。
事前に二人の方に、録音をお願いしています。
一人が聴き手、もう一人が語り手となって、一定の時間を区切り(通常は15分、今回は8分)、
その様子を録音します。聴き手は、懸命に聴きます。語り手は自由です。
録音した音源を、聴き手が文字起こしします。

そして当日の「未二観」は、橋本さんが、文字起こしをした資料を丁寧に真剣に細やかに辿っていきます。吉橋が豊田で行っている「澄まし処(すみゆく)」はこれにならってやらせていただいていますが、橋本さんの未二観は百倍千倍も深く鋭いものです。通常私たちは何を聴いて、何を聞き逃しているのか。人を大切にするとはどういうことか。人と向き合うときの在り方があぶりだされます。

人には物語があることを文字通り目で確認します。
そして私はこの未二観や澄まし処(すみゆく)の時間を、人生を歩きぬくうえでとても大切なものだと
思っています。

 *円坐
古来からの場づくり、輪になって座る時間です。
円坐には、一人「守り人」と呼ばれる人がいます。今回は橋本さんが守り人です。
守り人はすべての声に耳を傾けています。 テーマはありません。
ということは、逆に、ありとあらゆることがテーマであるとも言えます。
語りたい人が語る。語らずにはいられない人が語る。
長い沈黙も訪れます(不思議ですね。沈黙は「訪れる」んですね)。

 円坐では、人と直に触れあうような、人の姿がくっきりとみえてくるような感じがしています。
鮮明な思い出となる時間だと思っています。

 *影舞
二人で指先を触れて舞うものです。踊りの経験や上手下手は一切関係ありません。
相手に向き合う真剣さが問われます。私は真剣に舞う二人の姿に、いつも引き込まれ、
心を揺さぶられ、勝手に涙が出てきたことがなんどもあります。
そして踊っている人より、その向こうの風景や、その時流れる音楽が、
より美しく見えるのはなぜだろう。不思議です。