どかどかと足を踏み鳴らして前に進め!円坐
地方で円坐を主催しようとされる方々から、
自分の仲間や土地の人々への「円坐」の説明が難しいとよく言われます。
それはその通りです。
円坐はシステムやメソッドを持たないし、
そもそも大勢の人々に分かってもらおうという考えがないからです。
円坐とは人間の一つの生き方の名のりです。
円坐に坐った方々の生き方と生き方が対峙し、ただ自分自身として関わり合います。
その結果、好き嫌いや肯定否定、善悪など、二極対立を越えた人間と人間の「人生を貫いた全体的な関係」への扉が開きます。
円坐とは今までの部分的で操作的な人間関係から、全体的で創造的な人間関係へ「ジャンプ」すること。
円坐で知る「全体的で創造的な人間関係の面白さ」は、
「ひとりの人間として私はなぜ生きるのか」という真剣な問いに答えうる強度を持っています。
円坐は、あなたとわたしという「存在」を訪ね合って着地し、
「最期まで続く関わり合い」が可能になる場です。
僕にとっては、若い頃父親を亡くして以来探求してきた
「死ななければならない人間にとっての人間関係の意味は何か」
という問いの答えを、
「その都度生まれ、その都度死んでゆく動的で生命的な円坐舞台」
という形で毎回「舞台表現」していると言えます。
僕は大学のカウンセラーとしてセラピーやファシリテーションを仕事にしていましたので、
その現場での経験や、従っていた理論との比較検討を重ねることで、円坐の世界観と価値観をようやく自分自身の言葉で言語化することができるようになりました。
共に円坐の道を歩く有無ノ一坐の3名は、すでに「自分自身の円坐の言葉」を獲得していますし、各地で円坐を開く守人たちも独自の言葉で円坐を表現し始めています。
円坐の開催には徹底的に「独自」であること、
「たったひとりの自分という存在を立ち上げる」ことが求められます。
それが「生駒石切円坐守人十六番稽古」の骨子です。
円坐に坐るのは「クライエント」や「ファシリテーションを受ける人々」ではなく、ただの個人です。
ですので各地の円坐守人の案内文には個人名や個人的出来事、そして特定の土地の名が記述されます。
僕はそれこそがもっとも記録するに値する歴史的出来事であると考えています。
この度、倉敷市で開催される
「どかどかと足を踏み鳴らして前に勧め!円坐」は
東京板橋に住む通称「ロー助」という一人の女性が掲げた円坐舞台の「名のり」です。
ロー助は有無ノ一坐が毎年実施する円坐舞台の柱の一つ「関ヶ原古戦場円坐」に初回から休まず参加し続けている稀有な人物ですが、円坐に守人としては決して坐りません。
そこに僕は円坐の道に入った人間の、えもいわれぬ機微と面白さを感じ、ロー助に対する個人的興味と関心が深まっていきます。
円坐の文化は個人的興味と関心と個人的付き合いでできているからです。
僕は今回のロー助の挨拶文を読んでうれしく思いました。
数年前の彼女の言葉と較べた時、以前よりずっと円坐の本質をよくとらえた言葉を自分のものにしていると思ったからです。
円坐の本質とは、「円坐を開催する自分自身の人間としての本質」のことです。
「このところ痛いからと足を踏み込まずに歩いていたら
親指の爪が巻き出していて爪が小さくなってきていた
親指を意識して散歩してみた
足をかばって歩くよりも帰宅してから足は痛くなかった
痛いかもしれない方に動いてみた方が痛くないの!?
罪悪感や醜態 情けなさも満載で
いいもわるいもなく
与えていただいている全てに頭を下げて
それでも晴ればれと空を見上げたらいいじゃない
どかどかと足を踏みならして行こう
全部背負って引き連れて」
ロー助らしいリズム、ロー助らしい円坐歌です!
「ロー助の円坐浄瑠璃」の味わいがありますね。
ロー助が一人でこの歌の心境に達することは不可能であることを各地の円坐衆は知っています。
円坐では具体的な人間関係で考え、直接的な関わり合いで変化するので、一人の変化は関わった者すべての
「主観的でしかも客観的」な変化と変容になります。
この「ロー助の円坐浄瑠璃」の誕生は、
彼女が自分が開催する円坐の守人として招聘した「くぅ」こと松岡弘子との、長年にわたる対峙と仕合いが原動力になっています。
ふたりが倉敷で創造する、他には絶対にない独自の円坐舞台に僕もぜひ坐りたいと思ったのですが、僕はその日、愛知岡崎で待つ人との大事な円坐があるのでした。
ロー助、くぅ、倉敷と岡崎でたとえどんな予期せぬ舞台姿を見せることになったとしても、お互いに我が人生精一杯のハレの円坐舞台、一期一会の円坐浄瑠璃を務めあげましょう!
「どかどかと足を踏みならして行こう
全部背負って引き連れて」
口承即興円坐影舞 有無ノ一坐 橋本久仁彦
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初夏の岡山倉敷、新渓園の遊心亭にて、
開催いたします円坐のご案内です。
新渓園は大原美術館に隣接する
明治の日本建築で一般市民に解放されている庭園です。
先日桜舞う京都の蹴上にて京里円坐を開催しました。
倉敷の新渓園のお庭は、京里円坐の会場となりました無鄰菴の
お庭を手掛けた同じ庭師さんによるもので、
とても風情があって、どこか懐かしいお庭です。
今日は、梅雨のような湿気のある一日でした。
いま、ちょうど、
博多に向かう新幹線みずほの、
最後尾車両の車窓で岡山駅辺りです。
最後部の特大荷物スペース付きの座席に座ると
ふとまなびーの旅の姿が思い出されてくるし、
電車に揺られているとなぜか不思議なことに、
新潟長岡の湿った空気もふと思い出されます。
この世の名残り新潟長岡旅の一坐で、
ロー助と歩いた長岡駅前の飲み屋街。
因縁の相手と一番遠いカウンターの端っこに、
ちょっこりちゃっかり座ってるロー助の姿に、
「なんでやねーん!ほんま、あほやなぁ!」
と、わたしは大きな声で叫びたくなりました。
そんなロー助には因縁の相手が、
この世にたくさんいるのですが、
そんな因縁の相手の一人の木春さんは、
酔っ払って千鳥足になり上機嫌でした。
何度もつまずいてはひっくり返えって、
雪の上で空を仰ぎ大笑いしていました。
いままで見たことのない、彼女の姿でした。
その夜、我々旅の一坐は、
正面玄関から彼女のお家にあげていただいて、
ご実家から運んだ布団を用意していただいて、
お部屋に泊めてもらい、朝食もよばれました。
本当に夢のような有り難い一夜でした。
一宿一飯の御礼に、
円坐舞台を置かせていただき、
夏の長岡花火大会で再会を約束しましたが、
その後果たせぬまま今年もまた夏がきます。
瞽女さんである小林ハルさんの泊まられたお家も、
おそらく生のライブの舞台だったのではないかと思います。
村人が瞽女さんに実際に会い行って、
瞽女唄を聞き舞台を見て語らいます。
そんな濃密な空間のなかで、
村人は、目のみえない小林ハルさんが、
みずからの足でこの雪道を歩いて来た、
遠い故郷からの道中の景色を辿ります。
そうして、
ハルさんと村人の間には絆が生まれ、
舞台上で初めて瞽女唄が成立します。
身も心も魂も揺さぶる瞽女唄を聞くために、
その村中の各家々から村人が集まってきて、
その場にみずからの身を置くことによって、
瞽女唄の真義を味わうことが、
できたのではないでしょうか。
先だっては、ロー助主催の海老名の円坐で、
木田さんのお家にもあげていただきました。
思い出の写真に囲まれたお部屋で、
温かくまなざされ照らされながら、
円坐を開催させていただきました。
誠にありがとうございました。
それでは、
益子智美氏主催の次回の円坐のご案内です。
初夏の倉敷にてご縁をお待ちしております。
有無ノ一坐 松岡弘子
どかどかと足を踏み鳴らして前に進め!円坐
【日時】 6月9日(日) 10時〜16時30分(開場9:30)
【場所】 岡山県倉敷市 新渓園
山陽本線 倉敷駅より徒歩15分またはバスで6分
【円坐守人】 有無ノ一坐 松岡弘子
【参加費】 10,000円
【申込・お問合せ連絡先】
ロー助(益子智美) rosa.09.10.71@gmail.com
またはFacebookメッセンジャーまで
STOMP YOUR FEET!〜危険な方を選べ〜から早2週間が経とうとしています
副題の〜危険な方を選べ〜という言葉は円坐中にも何度も触れられた言葉ではありましたが
ここにきてその言葉は思ってもいない方向から
ドスっとお腹に身に染みるように響いてきているなと感じます
あらためましてご自宅をお貸し下さった木田さんには本当に感謝しています。
ありがとうございました!
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久しぶりにいい天気だな
洗濯をベランダに干そうと窓を開けると宙(いぬ)が一目散に庭に飛び出して行った
宙を連れて散歩に出た
近くの公園に行くとつつじが咲きほこっていて
地面には何の花だろう?芋虫みたいな花がたくさん
歩くと絨毯のようにふかふかしていた
家路につく時ふと見上げるとそこには綺麗な空の水色があった
晴ればれしてますねぇ
ん?ちょっと待て
私は何で晴ればれとして空を見ていないんだ?
晴ればれとしてはいけないって思い込んでるよね
どうして?どうして?どうして?
こんないい天気にずっと下ばかり見ていたなんて!
わからない という煙幕を自分に張り巡らして
うなだれているだけでは360°上にも下にも斜めにも広がっている
この世界をちっとも見れていない、何て勿体ないんだろう
反省する=うつむいている 事ではなくて
それを踏まえて 顔を上げて歩んでいくこと
諦めたりやめたりするのとは違う
このところ痛いからと足を踏み込まずに歩いていたら
親指の爪が巻き出していて爪が小さくなってきていた
親指を意識して散歩してみた
足をかばって歩くよりも帰宅してから足は痛くなかった
痛いかもしれない方に動いてみた方が痛くないの!?
罪悪感や醜態 情けなさも満載で
いいもわるいもなく
与えていただいている全てに頭を下げて
それでも晴ればれと空を見上げたらいいじゃない
どかどかと足を踏みならして行こう
全部背負って引き連れて
ロー助 (益子智美)