福岡篠栗・フリースクール山ねこ影舞稽古場「凛」のお知らせ
福岡県の篠栗町にある「フリースクール山ねこ」で、
凛ちゃんという女の子と有無ノ一坐との運命の出会いがあり、月一回の影舞の稽古が始まりました。
彼女が舞う影舞を見たスタッフたちにも稽古の輪が広がりました。
篠栗の山の中にある「フリースクール山ねこ」に行くために車で登っていると、
途中で鹿や狸に出会います。
「フリースクール山ねこ」にも、もちろん「フリースクールの山ねこ」がいます。
時々ねずみを獲っては皆の前で食べています。
僕も、もう3回も目撃しました!!
「フリースクール山ねこ」に生まれた、世界でたったひとつの影舞稽古場の名称は
敬愛する凛ちゃんにちなんで、
「フリースクール山ねこ 影舞稽古場『凛』 」
にしたいなと思っています。
ハンディキャップを持ちながらも可憐に前進し、社会や他者の矛盾に向き合い、
対峙する凛ちゃんの生き様は、円坐守人として生きる有無ノ一坐にとって、
この世を照らす大切な「精神の灯台」のひとつなのです。
今回、山ねこスタッフの伊藤ちはるさんが、初めて影舞の体験をご自分の言葉にしてくださいました。
大変うれしく思います。(ちはるさんの文章はこの案内文のあとに掲載しています)
次回のフリースクール山ねこ影舞稽古場「凛」は、
6月21日金曜日に行います。
口承即興円坐影舞 有無ノ一坐 橋本久仁彦
フリースクール山ねこ
影舞
毎月大阪からやってくるくにちゃん。
影舞という表現のせんせい。
決して近くはない距離をバスに乗って来てくれている。
小柄で賢しく
物腰が柔らかく
人に伝える言葉に富む人。
山ねこをたまに山いぬと間違える。笑
お茶目なところもある。
私にはとても静かなRock'nRollerに見える。
私はこの影舞がとても苦手だ。
なにか心の内をさらけ出すように感じるから。
指先から私の汚い部分が相手に流れていくのではないかとなにか見ていて恐ろしくなる。
くにちゃんが
『人は誰かの眼差しの中で生きている。
良くも悪くも。
生まれるときも死ぬときも。
人生で真剣になにかに対峙するときも。
だれかの眼差しのなかにいる。』
と言った。
よくわからないけれど
涙が溢れた。
『影舞はやっている本人は集中しているからわからないけれど。
それを見ている眼差しを向けた人が受け取るものがある。
舞っている場所や人のなにかを受け取る。』
と言った。
自分も知らない自分に出逢う。
私以外のスタッフ達は影舞という表現を通して心の輪郭がこの数ヶ月で濃くなったように思う。
卒業生とスタッフ達との影舞の時間は、とても特別なものになった。
いま
大人になって
表現という形で見えない心のお稽古をしているように思う。
ああ私(゚∀゚)
話を聞いてしまったばっかりに。
心動いたばっかりに。
山ねこの仲間たちはその信号をみのがさず私が影舞を舞えるように外堀を埋めていく。
(゚∀゚)
ヤバイ
コレ
影舞マウヤツヤン。
ノナガレノヤツヤン。
影舞を舞うのも
舞わないのも決めるのは自分。
人生を選択していくのはいつも自分。
影舞。
靴下を脱いで裸足になる。
吹き出す脇汗。
心臓の鼓動。
震える指先。
仲間の眼差し。
くにちゃんの眼差し。
相手に向けた指差しは、自分に向けられているのかもしれないし。
自分に向けられた指差しは、相手がいないと舞うことは出来ないし。
対になって初めて楽器になる。
くにちゃんとの影舞は、くにちゃんがとても大きく感じられた。
私のとても弱いところも全部掻き抱いてくれるような舞だったように家に帰りながら思った。
生きていくということ。
仲間の眼差しの先は
光差す小さな希望があったように思う
じわじわと私が舞えるように追い詰めてくれた仲間たち(゚∀゚)
ありがとう。
困ったときは
ドラマチックになる方を選ぶこと。
と言う師匠の教えに従った。
今日心動いたことの記録として。
(伊藤ちはるさんのfacebook投稿はこちらからどうぞ)