この世の名残り旅の一坐「高知四万十」ふるさと円坐街道

有無ノ一坐は、5月1日に高知四万十の十和村に入ります。
日本最後の清流四万十川を頂いて「この世の名残り旅の一坐」が
ご縁の円坐舞台を重ねる六日間の円坐旅です。

今回の四万十では
「四万十有無塾大切稽古」を開催いたします。

我々がもう一度「大切」にしたいことがあります。
それは「人間と人間との生身の関係」です。

現在福岡で我々が直面しつつあるのは、
元々人間にとって本質的な対人態度を示す言葉であった「対話」の内容を、
社会や組織のニーズに応えるための分かりやすいノウハウを示す概念に改変する動きです。

その「動き」は、かつてマルティン・ブーバーが述べたように、
「我と汝」という人間の実存と実存との関係から、
「我とそれ」という物質的・対象的・操作的・功利的な関係への「変質」に対応しています。

相手を客観的に「それ」ととらえる限り、自分も「それ」だけの存在にならざるを得ませんから、
現代社会における「対話」は、「それとそれの関係」を指す言葉として理解されつつあるようです。
我々はそのような対話を、「人工知能的な対話」であると認識しています。

「四万十有無塾大切稽古」では、
人間を人間として、すなわち精神と魂と肉体の全体で「ひとつ」である「我と汝」の人間関係が、
どのように「我とそれ」になり、さらに「それとそれ」という物質的、操作的な関係性に変質してきたのかについて講座と円坐を行います。

「我と汝」「わたしとあなた」という普遍的な愛と信頼への可能性であった我々の「人間関係」が、
物質的・操作的な用語である「ツール(道具)」や「ワーク(作業)」に置き換えられるようになった歴史的な経緯と現代社会の今後の方向性を明瞭に意識化し、認識していきたいと思います。

「四万十有無塾大切稽古」は、四万十川沿いにある中平満さんの御自宅の離れで行います。
満さんは一坐の橋本仁美が四万十在住時代に大変お世話になり、
有無ノ一坐が開催する四国各地での円坐街道にも駆けつけてくださって、今や我々一坐にとって欠かせない方です。

満さんのご出身は高岡郡の津野という村で、維新の吉村虎太郎と同郷です。
二年前に満さんの案内で、有無ノ一坐も虎太郎の生家を親しく訪ねることができました。

津野に入って初めて、吉村虎太郎が維新の志士の先駆けを果たし、地元の方々にとってはあの坂本龍馬よりもずっと身近で、誇りに思う存在であることがよく分かりました。

昨年5月に有無ノ一坐は、
「奈良五條 天誅円坐 〜 関西に嵐を呼ぶ! 暴走貴族カミの魂寄せ縁坐舞台」
を開催しました。

北海道釧路在住の円坐衆、「かみちゃん」こと上内智英氏の肝いりで成立した奈良県五條市を起点とする円坐街道です。

ところが我々にとっては思いもかけないことに、奈良で吉村虎太郎に出遇ったのです。
天誅組を率いた津野村の虎太郎は、一坐が訪れた奈良・東吉野村で幕府軍に囲まれ、一斉射撃を受けて壮絶な最期を遂げていたのです。

辞世の句は、
「吉野山 風に乱るるもみじ葉は 我が打つ太刀の 血煙と見よ」

山あいの虎太郎の墓所を探し訪ねて影舞を置かせていただいた時、新緑の森の中の縁坐舞台には、土佐・津野村の虎太郎の生家が重なってきました。

そこには、座敷に坐って虎太郎を偲ぶ我々を、
敷居の向こうの板の間で立ったまま、ずっと見守る満さんも居たのでした。

先頃、満さんと手紙のやりとりをしました。
「ふるさと高知四万十円坐街道」は、我々にとってはそのまま「満さんの円坐街道」でもあるからです。

満さんからの手紙には、墓参りに行けなかった親友のTさんのお墓に、やっと参ることができたと綴られていました。

「自分の中心、身体でTをちゃんと受け入れる、
死を受け入れるためにお墓の前に立ち、
Tと向き合って対峙しました。
いっぱい いっぱい話しをしました。
自分はこの一年後ろばかり見ていました。

でも前を見て進むために 「ケジメ」、
一生忘れることのない本当の友だち、
自分は全部受け入れて生きていきます。

四万十有無塾大切稽古 やりましょう。
自分が一歩前へ進めるかも。

土佐の維新の志士たちも寺子屋から日本、世界へ!!
楽しみにしてます。」

満さん、ありがとうございます。

満さんや四万十の円坐衆に会えることを楽しみにしている

石切円坐守人十六番稽古の仲間たちも一緒に会いに往きます。

「会いたい人には会いにゆけ。
ほたら、しっかり約束しましたで!」

口承即興円坐影舞 有無ノ一坐
橋本久仁彦


5月1日~6日(水~月)高知県四万十市十和村
「この世の名残り旅の一坐高知四万十ふるさと円坐街道」

お問合せは橋本久仁彦まで。