第十一代 九鬼紋七氏×有無ノ一坐の坐長 橋本久仁彦 「不易二人の未ニ観対談」記事掲載のお知らせ

創業明治19年の胡麻作りの老舗 九鬼産業株式会社代表取締役会長であり 、
九鬼家第十一代当主の九鬼紋七さんは、
長年僕の仕事をずっと見つめてくださっている古き仲間であり、
そのまなざしが恩師のようにも感じられる方です。

我々は彼のことを「くっきー」という愛称で呼ばせて頂いています。

かつて広島で語り部のパク・ナムジュさんをお迎えして実施した「きくみるはなす縁坐舞台」
岐阜の中野方で開催した「円坐守人稲妻稽古」
近くは「名古屋市公会堂あいち鶴舞円坐」
「きくみるはなす名古屋揚輝荘縁坐舞台」など、

くっきーとの「付き合い」は一過性ではなく、長い年月を通じて僕と仲間の活動に関心を持ってくださり、
折にふれて必ず体を運んで会いに来てくださっています。

「会いに来てくださること」は、「照らし」として我々一坐の心に生き生きと息づくようになり、
先頃「四日市ふるさと円坐街道」として有無ノ一坐がくっきーの住む三重県四日市市を訪れたのでした。

くっきーの案内してくださる四日市の風景に、「万古不易」を生きてきたくっきーの人生と生き様が色濃く浮かび上がりました。

くっきーとの「四日市ふるさと円坐街道」の中でもひときわ光彩を放つ場所である「伝七邸」で、九鬼紋七さんと橋本久仁彦は8分間の未二観対談を行い、お互いの言葉と呼吸と影舞を、
新たにひとつの精神的建築として刻み合ったのでした。

未二観対談とは、有無ノ一坐の円坐舞台の現場から生まれた新しい対談様式です。
「聞き手」や「話し手」「共感」や「傾聴」のように、シンクロしている現象を人工的に機能化して切り分けず、
本来ひとつである「ふたり」という生命空間から出発するので「未二」と名のります。

「互いの空間」は「ふたり」になったとき、同時に重なってひとつの空間になります。
それを我々は「対峙する」と表現しています。
「対峙する」と、新鮮で生き生きとした「未知」で「未二」の空間が開きます。

この空間を認識するのが「未二観」であり、この生きた全体空間に「未二の対談場」が開きます。
その空間が「円坐舞台」であり、分離の無い本来の時空間です。

分離がなく、分かれていないので、人生全体の関わり合いになり「全体に根差した語り合い」になります。
「全体に根差した語り合い」は、機能的で機械的な「個人的」「主体的」「客観的」といったニュアンスは持たず、
ふたりが「人生」と言う大きな呼吸でつながったところで語られる生きた、詩的な言葉によって成立します。

お互いに「この相手」の前でだけ語ることができ、聞くことができ、生きることができる空間にいるとき、
初めて「敬意」や「尊厳」という言葉がその実体をもって現れます。

未二観対談、未二の対談場では、通常の「実感のある文章、伝わってくる言葉」が位相を深めて「実体を伴う文章」になり、「ことばの生命体」となって「臨在」することになります。

未二観対談の未二の言葉、すなわち全体に属する言葉を操作して、関係のない第三者のために「編集」すると、これらの臨在は消えてしまいます。

こうして九鬼紋七さんと橋本久仁彦が伝七邸で対峙し、坐り合い、共に生きた言葉と空間は、無常の風を越える「万古不易の言葉」であり、言葉のどんな表面にもふたりの存在が満ちているような生きた言語空間になりました。

やがて時がたち、どちらかが、あるいは二人とも亡くなったとしても、「未二の空間」における言葉の躍動は色あせず、その影響力はさらに生き生きと拡大します。

言葉を読む度にその景色が新しく時空を越えてよみがえり、
言葉を読む度に新鮮な未二と未知になり続け、
言葉を読む度に誕生日のように生き返り続ける「不易ふたり」。

この対談舞台をひとつの全体的な言葉の生命体として
「九鬼紋七 × 橋本久仁彦 不易二人の未ニ観対談」
と名づけたいと思います。

よろしければどうぞご高覧くださいませ。

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有無ノ一坐 橋本久仁彦