第二回 江戸板橋宿往来円坐

来月、夏の江戸に参ります!
第二回 江戸板橋宿往来円坐開催のご案内です。
ご縁をお待ちしております。

松岡弘子

第二回
江戸板橋宿往来円坐

【日時】

7月15日(月・祝)
10時〜16時半(開場 9時半)

【場所】

板橋区
※お申込いただいた方に詳細のご案内を送ります

【円坐守人】

有無ノ一坐 橋本久仁彦 松岡弘子

【参加費】

12,000円 

【申込み、お問合せ】

当日のご連絡先(メールアドレス、電話番号)を
ご記入のうえFacebookメッセンジャーまたは
rosa.09.10.71@gmail.comまでご連絡をお願いいたします。

お申込いただいた方に改めて詳細案内を
送らせていただきます。

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向こうの岸に渡りたい
最初は簡単に渡れると思っていた
渡りやすそうな石が目の前に幾つか見えていたからだ
ぽんぽんと怖さよりも面白さで進んでいく
進んでいる割には岸はいっこうに近くならない

はて?
とりあえずうつれそうな石に飛び乗ってみる
気づけば川なのか海なのか
振り返ってみても
出発した場所はすでに視界には入らない

不安になる
戻ろうか?このまま進もうか?
立ち尽くしても不安は増すばかり
戻ろうが進もうが、ここまで来たらどっちも同じなんじゃないか?
だったら前進しようじゃないか!

ぽんと飛んだ先の石から足を滑らせて青タンできたり
溺れてどっちが上で下(底)なのかわからなくなったり
ぷはっと顔をあげてよじ登って見たら
また進む石が見えた!

往来の名のように
行ったり来たりする中で
ひと/ \ひと が会って人になるように
円坐をおくような感じ

何とも肩の力が抜けた感じで円坐の開催をします
というのは初めてです!

皆さまのお越しをお待ちしています。

天下一の主催者 ロー助(益子智美)

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岡山県倉敷市での
「どかどかと足を踏み鳴らして前に進め!円坐」
は、すでに人生の佳境を生き、
人間の尊厳を語り合える仲間が広島や島根から参集し、
重厚な円坐舞台を立ち上げました。

坐衆の方々の息と言葉によって命を吹き込まれ、
「どかどかと足を踏み鳴らして前に進む」
倉敷での次回の円坐舞台の開催日時は、
あらためて円坐舞台ラインナップでお知らせいたします。

7月15日の「第二回江戸板橋宿往来円坐」は、
同じ主催者による東京での円坐舞台です。

昨年の第一回板橋宿往来円坐では、
個性も生き様も、価値観や世界観も異なる
関東の坐衆の皆様にお目にかかることが出来ました。

それぞれが生きてきた姿勢や態度が円坐舞台で交差し、
対峙し、仕合い、刻み合った手応えと明瞭な記憶は、
僕の現在の思考と仕事の中に今も生きて強い輝きを放っています。

今回の楽しみは、主催者のご案内の言葉が、
昨年の江戸板橋宿往来円坐に比べて心境の変化を
示していることです。
きっと前回とはまったく異なった「円坐歌」が
響き渡ることでしょう。

既成のメソッド(方法論)や理論のような、
その場にはもともと存在しない「作為的な客観性」に
基づいて人間関係を「作る」と、
参加した人びとは同質の共有経験へ誘われ、
意識水準の均質化に向かいます。

円坐は「そこに居る者」しか存在せず、
その都度新しく創造し、生きる舞台ですので、
どの円坐も間にフォーマットをはさんだ「既成品」や
「規格品」にはなりません。

参加者は常に、主催者や守人や坐衆が全身から発する
「意識性」と「霊性」を新たに直接経験することに
なります。

他者の意識性や霊性を全身で直接体験するとき、
我々も自分自身の意識性と霊性を全身で直接
生きています。

我々は、ここに確実に今、「我在り」そして「我思う」。
このかけがえのない「我在り」と「我思う」の復活劇が「円坐舞台」です。

意識性(霊性)は周知のとおり我々に宿っていますが、
それを発揮するためには、自分以外の他者や世界の意識性(霊性)と対峙し、仕合い、往来する必要があります。

他者や世界に対して「我在り」と向き合い、
「我思う」と往来することが、円坐影舞という「実存芸能」であると言えます。

そのとき、他者や世界も「この私」に対して始めて
「我在り、我思う」と直接向き合い、ふれてきます。

我々が生きた実在となって世界に立ち向かう時、
向こうからも、直接、ふれて、かかわって、来る。

こうして我々は他者と世界の「本当の関係者」となり、
ただひとりでも、どこにいても他者と世界を自分自身で
あると感じて生きる「生きた実在」=「実存」となります。

第二回江戸板橋宿往来円坐では、前回仕合った方々に
再会できるでしょうか。
そしてまた新しい人々ともお目にかかれるのでしょうか。

上方から真夏の江戸板橋宿に向かう円坐旅芸人
上京往来の図。
我ら一坐にとっては心躍る円坐夏祭りの始まりです。

有無ノ一坐  はしもとくにひこ


・・・

みなさま

今夏、江戸へまいりますm(__)m
第二回江戸板橋宿往来円坐のご挨拶です。

ロー助から「どかどかと足を踏み鳴らして前に進め!
円坐」の早くも三日後に往来円坐の案内文が届きました。

一読ボブ・ディランの
Blowin’ in The Wind
の歌詞みたいだと感じましたが、

彼の書いた歌詞は、
どこか社会へのメッセージを込めて書かれている
問いであり答えは風の中というが、
ところがこの案内文の言葉は、ロー助にしか歌えない唄だし、ロー助が歌う唄です。

円坐には勿論、問いも答えもありません。
問題は、未だ、未解決のまま。だから、我々は常に現場に何度も立ち戻ります。

最近、幼い日の景色が何度もよみがえり、
ふと目が覚めると自分がいまどこにいるのかと周りを見まわすことがよくあります。

徳島を流れる新町川からモーターボートを出して、
海に出た時の海風の匂いと一緒にひろがる目の前の景色もそのひとつです。

波打ち際で泳ぐ人々が小さく見える沖洲海水浴場を
遠目に、梶を切って大海に出る瞬間の景色は円坐守人の
世界そのものです。

大海に出る直前に、想定外の事を妄りに想像すると
心がめげて、恐ろしくなります。

ところが「梶を切れ」という叔父の声を聞くと
未知の世界へ出発し元気がわきます。

いまも「梶を切れ」というこの叔父の声がわたしの背中を押している気がします。

人のいない宇宙や誰もいない世界を持ち込むのではなく、
円坐は人間が関わりを維持し存在し続けている未知の世界=大海へ向かって動いてゆく『滴』の動きであり、

何も言葉を発さずただ後ろに引いて全体を見ているだけの人には、単に落ちぶれていくようにしか見えないかもしれませんが、舞台を90度ひっくり返しよく見てください。

いま現在も目の前の他者や因縁の相手に向かって前進し続ける「もののふ魂」が宿る生き様が見えるでしょう。
川浪さんも然りです。

世間一般の社会から落ちて見えなくなったとしても、
ご縁ある人たちに向かって日々前進している事に変わりはありません。

ご縁をお待ちしております。

有無ノ一坐 くぅ 松岡弘子