しまんとご縁の糸円坐

四万十の中平満氏と有無ノ一坐 橋本仁美で、
夏・秋の二回にわたり
大阪と四万十のご縁を繋ぐ円坐をします。

しまんとご縁の糸円坐〈夏〉

【日にち】 2024年7月14日(日)
【時 間】 10:30~16:30
【場 所】 高知県四万十町大井川
(詳細はお申込みいただいた方にお伝えいたします)
【参加費】 5000円
【守 人】 橋本仁美(有無ノ一坐)
申込先】 hitomi.hashimoto918@gmail.com
     (橋本まで)

しまんとご縁の糸円坐〈秋〉

【日にち】 2024年11月30日(土)
【時 間】 10:30~16:30
【場 所】 有無ノ一坐スタジオ
     (大阪市西区千代崎)
【参加費】 5000円
【守 人】 橋本仁美(有無ノ一坐)
【申込先】 hitomi.hashimoto918@gmail.com
     (橋本まで)

ー中平満(なかひらみちる)氏より、ご案内ー

今回、有無ノ一坐の橋本仁美氏に守人をお願いして円坐を開きます。

まず最初に自分は2019年9月、四万十で初めて「円坐」という言葉
に出合いました。

自分はデジタルでも理系でも文系でもましてや哲学系でもありません。
アナログで野系の人間です。

空を見る、雨の匂いがする、雲の流れ、風の向き、第六感?逃げ足が速い。
こんまい(幼い)頃から野、山、川を走りまわって木に登って、泳いで
まったく勉強をしない子どもでした。

四万十川まで5分、野・山まで20秒で、
冬は雪が降ると、雪だるま、かまくら、中に七輪をもって
モチを焼いて食べてました。

そんな自分が「円坐」に出合いました。

「円坐」、自分にとっての円坐は「縁」と「糸」です。
「縁」、円が縁になってまたそこから縁が円になる。そんな様な気がします。

実際にぜったいに出合うことのない愛知や東京や千葉の人達、
また一度も会ってないけどお米を送ったり、年賀状が届く福岡の夫妻。
みんな円坐で縁が結ばれました。

「糸」、糸は自分の命の源です。
生まれる前から蚕を育てて糸をつくる仕事の家に生まれました。

縁、結、継、繋、線、絆
全部円坐に繋がる言葉やと思います。

自分の中の円坐は泣いて笑って怒って
時には言い合いになって、ぶつかり合ったりする円坐(場所)です。

一緒に向き合って対峙しませんか。

中平 満

ー円坐守人 橋本仁美よりご案内ー

中平満さんとは、私が四万十で暮らしながら
廃校を活用したカフェをしていた時に出会いました。

お客さんとカフェの店長、という関係でした。
役割を脱いで橋本仁美として付き合い始めたのは、大阪へ帰ってからでした。
そこからのご縁が続き、まさか円坐を一緒にやることになるなんてびっくりです。

自分でご縁を繋いだという感覚はなく、周りにいた仲間やお世話になった人や
因縁の相手との関係を全て含めていった先に今があります。

円坐は、仲良しの人とやったり気が合うからやる、というものではありません。
能力や性格や社会的地位は関係なく、互いにどんな有り様だろうとも付き合い続けます。

ただ円になってすわるだけですが、ともに過ごし、付き合い続けるにつれて、
互いの間柄に筋を通す必要が生じ、そこから因縁が生まれていきます。
因縁は好き嫌いで測れるものではなく、一生ものの付き合いになってゆきます。

もし円坐をやってなかったら、私は四万十には戻っていません。
自分の好みや得手不得手で他人のことを判断して、
大阪でいる方が楽だからと、都合の良い考え方をして
確実に四万十に行っていなかったと思います。

因縁を嫌がる人は多いです。
でも因縁がなかったら、物事に対しても人間関係にしても
好き嫌いや、自分が取り組みたいかどうか、楽か、楽しいか、
という基準で生きる生き方になり、
嫌な事や人とはぶつかるのを避けたりして、
利己的な、自分中心の生き方になってしまいます。

「これまで楽に楽しく生きてこれたけど、どこか空しかった」
と、円坐を通して本気で付き合いはじめた仲間が言っていました。

生きている一番の意味とは、好きなことをすることではなくて
因縁を果たすことなのかもしれません。

そう書くとなんだか重苦しい気がしてしまいますが、実際のところは
因縁を果たしにいくときにだけ、世界は「あなたとわたしの関係」だけになり
個人的悩みなどの精神的なしがらみや、国家の構造
(日本なら資本主義社会の構造)から自由になります。

「自由」は好きなことをした先にあるのではなく、
因縁を果たしに行く先にこそ、あるように思われます。

しまんとご縁の糸円坐。
ご一緒できるご縁を楽しみにお待ちしております。


有無ノ一坐
橋本仁美