関ヶ原古戦場円坐2024

毎年お彼岸に開催する有無ノ一坐の看板円坐舞台
「関ヶ原古戦場縁坐2024」
いよいよ来月15,16日に迫ってきました。

継続して円坐に坐り続ける方々の顔つきや雰囲気は、よりしっかりとした実在を表現するようになります。

自分自身の一番深いところから生まれる「純粋さと真剣さと尊厳」という人間の本質は、
円坐舞台に立つ本人には見えません。

自分の顔がその本質から輝いている瞬間を同時に自分で見ることはできないからです。
それは我々「他者」が「他者」だからこそ目撃し、知ることができる「その人の人間的本質の輝き」です。

円坐という精神舞台の質感に惹かれ、いつしか円坐が自分の人生の大切な一部になり、
人間に対する真剣な関わり合いに目覚めて生きるとき、

我々は肉体と時間を超えて広がるお互いの「存在そのもの」を
感じることができるようになります。

ほとんど手で触れられるようなお互いの存在感が、
毎年必ずお彼岸に開催する「関ヶ原古戦場円坐」の特徴です。

「人間関係芸能」を生業とする有無ノ一坐は
「きくみるはなすかかわりあう」ことの深層を探求しています。

「他者と関わり合いになること」は人間として生まれた特権であり、不変の喜びであると思います。

何度も何度も円坐に坐り、時に厳しい人間関係を通過しながら、他者と自分自身に取り組む年月。

その「円坐の年月」という時間は、やがて鮮やかに周囲を照らすその人の「現在の輝き」になり、
「ただ存在すること」の迫力となって、実人生という名の円坐舞台が立ち上がります。

その輝きと迫力は間違いなく、この人生を終えて旅立つ時に、
我々が身につけて往くことのできる唯一の所有物です。

自己実現や自己一致という言葉の本当の射程は、
「この人生を終えて旅立つ自分を実現し、さらに旅先へ向かう眼差しに一致する」
ことにあるのではないでしょうか。

有無ノ一坐 橋本久仁彦

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今年も関ケ原古戦場円坐の季節がやって参ります。

いままで宿泊先と道場合宿でお世話になってきましたサウンドロッヂ伊吹の林さん。

関ケ原といえば林さん親子(お母様と息子さん)の存在は
とても大きく欠かせなかったのですが、
今年の九月の連休は合宿の予約で埋まっているそうで
宿泊先をやむなく長浜の古民家に変更することになりました。

一日目は関ケ原古戦場を駆け巡り、夕方長浜へ移動して
琵琶湖畔の湖桑庵で合宿し、二日目は賤ヶ岳古戦場へ足を伸ばし
車列を組んで七本槍で有名な余呉湖湖畔と奥琵琶湖を一気に駆け抜けようと考えています。

生涯を通じわたしに多大な影響を与えている叔父に加えて、
わたしのすぐそばで睨みをきかす存在がもう一人徐々に近づいてくるのを感じつつ、
今年の「関ケ原古戦場円坐 2024」に挑もうと決意しここにご案内いたします。

それでは、それぞれ自分自身の決意を胸に今年の関ケ原へのご参戦を心よりお待ちしております。

今年の募集参陣は6名とします。
(最大10名まで可能ですので参陣希望の方はお問合せください)
口頭でのお申し込みの方もお手数ですが、ご一報ください。

有無ノ一坐 松岡弘子

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未だ残暑厳しく、暑い日が続いています。皆様お変わりなくお過ごしでしょうか。
有無ノ一坐で影舞、円坐守人、個人セッションなどをしている橋本悠です。

2024年も早いものでもう9月、関ヶ原の時期がやってきました。
ついこの前まで1月…4月、まだ6月だと思っていたのに、
気がつけば24年も後半の9月に入ってしまいました。今年は特に時間の流れが早いように感じます。

関ヶ原の円坐と言えば、全員で山を登ったり、関ヶ原の各所を巡りながら
円坐を置いていき、人前で影舞をしたり日差しも強かったりと、
普段の室内で行なっている円坐と比べると、厳しさの方が先に来る
少し特殊な円坐になっていると思います。

もちろん普段の円坐も特別なのですが、関ヶ原の円坐では、
会場に来て座って時間を共に過ごす円坐よりも、短い時間ではありますが
同じ苦楽を共にし、同じ釜の飯を喰らい、行く先々で自らの生き様を
成し遂げた、人生の先達の前での円坐をし、いつも以上に自分という人間や、
人生、人と相対するということを体感できる時間になると思います。

関ヶ原に来ていつも思うのは、人生とは自分目線では死んでそこで終わりですが、
関ヶ原で未だ語られている人達は、死んでからも続いているように見えるということです。

自分が想像しうる終わりの、その先を示してくれるというのは、
本当に人生という道の先達の方々なのだなと感じます。

円坐に初めて座って6年、守人をして5年。
円坐に来る人の中には、人に興味が持てないという事を仰る方もいます。

かくいう自分もそうで、円坐を始める前から現在に至るまで、
正直なところ他人にはほとんど興味がありません。
ではなぜここまで人に関心を無理なく向けられるのかというと、
自分に対しての興味が尽きないからです。

そしてその自分という生き物のことを正確に教えてくれたのは、
自分自身の気付きでも瞑想でもなく、いつも自分を今この瞬間見ている他人でした。

円坐以前は役者をしておりましたが、その点はずっと同じでした。
自分ではこうしたつもりとか、どれだけ頑張ったなどはただの自分の感想でしかなく、
事実はお客様の目に映ったもののみで、それは否定しようのない現実なのです。

そして自分が本当に追い求めてしまうものは、嘘や思い込みで見繕った自分像ではなく、
辛くてもしっかりと突き刺さる感触のある現実でした。

その感触が唯一、自分という人間の有り様を教えてくれた感触です。
なので私は、どんな間柄だろうと、自分という存在を教えてくれる人様に関心が尽きません。
人に対する興味とは、すなわち自分への興味なのだと思います。

賛否はもちろんあるかと思いますが、楽しみにして下さっている方は言わずもがな、
否定的な方にも是非とも、この関ヶ原の円坐に参加して頂きたいと思っています。

皆様の参加を心よりお待ちしています。

有無ノ一坐 橋本悠

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関ヶ原。初めて自分の誕生日じゃない日程での関ヶ原古戦場円坐です。

なんで関ヶ原に行くんやろう。
有無ノ一坐の人たち(父、くぅ、悠)が行くからです。

現代的にとらえると受動的で主体性の乏しいわたしの姿勢は、
関ヶ原が活気だっていた戦国時代ではもしかしたら
どんな地でも主君が行くところへ行くという
積極的な関わりになるのかもしれません。
時代というのは不思議なものです。

意義や目的が必要で、能力至上主義で、
自立していないといけないと思っていました。
いまだにそう思う面はあります。

四万十での仕事をやめて帰ってきたばかりのときは、
ただ行くだけ、会いに行く、それだけ、なんて、
円坐の仕事はなんて無意味で生産性がないんだろう
と思っていました。

大阪に帰り有無ノ一坐で仕事し始めてから4年、
いまはその「無意味で生産性のない仕事」をしています。
意味がないかわりになにがあるのでしょう。
いまだにうまく言葉にできません。

でも、円坐をすると、意味・意義がある、生産性がある、
と思っていたことが
ことごとくひっくり返る心地になることが何度もあります。

一人のとき、家にいるとき
いまだに私はタスク管理が大好きです。
できてないけど。

一人だと本当に怠け者です。
私自身はほんとうにどうしようもない人間で。
だから自分を律しないと動かないです。自分を律しても動かないです。

だらだらなんですけど、そのままで会ったら他者との関係がはじまります。
このどうしようもない私で他者にむかいます。

「他のあらゆることは行く気にならず家から出られないのだけど
円坐だけはなんの準備もいらず体が動いて大阪まで来れる」

と言っていた遠方の方の言葉を思い出しました。
では、関ヶ原でお待ちしています。

有無ノ一坐 橋本仁美

< 関ケ原~賤ケ岳古戦場円坐 2024 >

一、合戦日 令和6年9月15日(日)~16日㈷
      【集合】10時 JR関ケ原駅 【解散】17時 JR米原駅
二、合戦場 岐阜県不破郡 『関ケ原古戦場』
      〜滋賀県長浜市木之本町大音 『賤ヶ岳古戦場』

三、合宿場 古民家「湖桑庵」 滋賀県長浜市木之本町山梨子144
四、参陣費 40,000円 【貸切・素泊まりの宿泊費込】
      (※食事等の実費は各自払いとなります)

五、守 人 橋本久仁彦 松岡弘子 橋本仁美 橋本悠
六、申込先 soumon.enza@gmail.com松岡
      ※口頭で申込みの方も正式にお申込みください
七、有無ノ一坐 ウェブサイト https://umunoichiza.link/