萩の花 〜 第28回 ふるさと相聞茶堂
9月の萩の花 ふるさと相聞茶堂 のご案内です。
< 萩の花 〜 第28回 ふるさと相聞茶堂 >
日時 : 2024年9月12日 (木) 13:30〜16:30
場所 : 芥川町公民館 和室 (高槻市芥川町)
会費 : 3,000円
守人 : 松岡弘子
内容 : 円坐・未二観・ 影舞
申込 : soumon.enza@gmail.com 松岡
萩の花は、秋の七草のひとつです。
(花言葉は柔軟な精神だそうです)
萩といえば、わたしは山口の萩を思い出します。
義母は毎日、萩の海辺の漁師町の気風や海で暮らす人々の話をしています。
吉田松蔭をはじめ維新の志士たちの望む故郷の菊ケ浜に、
義母の故郷の風景である玉江の景色も絶妙につながって、
更に義父の故郷の「涙松」近くの千法師も連なってゆき、
断片的な時代の風景が連続し繋がって、萩が広がります。
次回のふるさと相聞茶堂にできればお義母さんを誘って一緒に坐りたいと思っています。
(次回は9月12日 第二木曜日の開催となってます。)
去年の春、この世の名残り旅の一坐 萩 彼岸円坐に参加され、
その年の夏に主催された「62年目の軽井沢に置かせていただく円坐」の案内に書かれた、
芳野学氏の言葉を 萩の花 ふるさと相聞茶堂 結びのご挨拶とさせていただきます。
ご縁をお待ちしています m(__)m
※今年は「63年目の軽井沢に置かせていただく円坐・白樺台山小屋に置かせていただく2年目の円坐」
と題しまして、9月17日〜19日の日程で開催いたします。
またのちほど、まなびーこと芳野学氏主催の円坐、ご案内させていただきます。
有無ノ一坐 松岡弘子
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今年春のお彼岸、萩円坐街道に参加させていただきました。
新幹線新山口駅(小郡)から車で萩に向いました。
その際、毛利氏が参勤交代用に整えた山口・防府へと通じる萩往還と呼ばれる街道の傍を通りました。
萩往還に涙松と呼ばれるところがあります。
涙松について萩市観光協会公式サイトから引用します。
人々が萩のまちとの別れを惜しみ涙した場所
萩城下から山口・防府へと通じる萩往還沿いにある碑。
ここを過ぎると萩の町が見えなくなってしまうため、
ここが城下を見ることができる最後の見納めの地でした。
人々はここで松並木の間に見え隠れする萩を見返り、別れを惜しんで涙し、
また帰った時には嬉し涙を流したということから、いつしか「涙松」と呼ばれるようになりました。
幕末、吉田松陰が安政の大獄で江戸に送られる時にここで
「かえらじと思いさだめし旅なれば、一入ぬるる涙松かな」の一首を残しています。
一入は「ひとしお」と読みます。
(引用はここまで)
さて、萩から小郡に向かう帰り途、この涙松で2つの影舞を置かせていただきました。
それは前日から萩を訪れ、萩の景色(吉田松陰の墓所、吉田松陰の叔父旧宅、旧城下、菊が浜、野山嶽跡、松下村塾など)、空気、萩の方々の吉田松陰への思いに触れ、円坐、影舞を置かせていただいた後、この萩円坐街道最後の影舞となりました。
私が置かせていただいた影舞の際、くにちゃんが大河ドラマ花神(幕末、維新期に活躍した萩藩出身の大村益次郎を描いたもの)のオープニングに流れる曲を選曲してくださいました。
このドラマは私が高校1~2年生の時に放送され、私はこの曲を含めとても好きで、50年近くたった今でも時々見ています。
その選曲のおかげもあり、この影舞では高校の修学旅行で萩を訪れた時から今までの50年近い時間の経過、その中にいろいろな出来事があり、そして今も生き続けていることへの言葉にならない思いを体験しました。
そして私の死出の旅路のおり、いよいよこの世とお別れするところの景色は涙松。涙松でこれがこの世の見納め、そしてそこまで見送ってくださった方々との永遠のお別れを行うことになると思うようになりました。
萩円坐街道を終えてからこのような体験を綴った文を、連れていっていただいたことへのお礼を込めてくにちゃん、くぅさんに送らせていただきました。
くぅさんから「いよいよ今生の人生を発つ時には、各地に涙松があれば、きっと、そこには沢山の思い出や大切な人の面影と、きちんと本当の再会がきることになるのだなあと、思いました。」
という言葉をいただきました。
62年目の軽井沢に円坐を置かせていただくことで、白樺台の山小屋とその土地、軽井沢が各地にある涙松の一つ、
それは沢山の思い出や、両親始め大切な人の面影と、きちんと本当の再会がきるとことが出来る場所、この世に生まれてよかったと思える場所になればと願うのです。
2023年5月吉日 まなびー/芳野 学
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