金沢 ふるさと円坐街道

人間のふるさとを訪ねる「円坐旅」の一坐、有無ノ一坐は
福岡県の篠栗、津屋崎、博多での円坐舞台を終えて今朝、30日に大阪へ戻りました。

明日10月1日の夕刻まで大阪に滞在し、
高槻市から「円坐オデッセイ(円坐の長い旅路)号」で金沢へ向かいます。

金沢に向かう唯一の理由は、そこが三輪高弓氏のふるさとであるからです。
彼は僕にとってかけがえのない生涯の盟友のひとりです。

もう三十年も前に、大阪天王寺の路地裏の小さな旅館で開催した
「非構成的エンカウンターグループ」で初めて出会った彼の、人生を通じての生き様を僕は見て来ました。

彼も、人生を通じて橋本久仁彦の生き様を見てきた、と言う権利を持っています。
我々はお互いに円坐の中でどう見えるか、円坐の外でもどう見えるかを告げ合うことができます。

僕は彼の言葉には深く耳を傾けます。
彼の言葉は、僕の姿と動き、生き様を正確にとらえているからです。

彼は現在、生駒石切での円坐守人十六番稽古に参加しており、
有無ノ一坐の四名と「きくみるはなすかかわりあう」関係の中にあります。

出逢って三十有余年を経て今、今までで最も深く、
豊かな「人間同士の関わり合い」をお互いに味わっています。

この度の「みわっち」こと三輪高弓氏のふるさとを訪れ、
氏の思い出や大切な面影を辿らせて頂きながら、
魂の旅路を共に往く「金沢ふるさと円坐街道」の成立を心から幸せに思っています。

今回の円坐街道にはもうお一人分残席があり、みわっちとご縁ある方も、
まったく無縁の方もご同道いただけます。

「有無ノ一坐」とは、頭で考える「縁の有る無し」に関わらず、
行くべき理由、円坐に坐るべき理由の有無にかかわらず、
「生きとし生けるものすべてが円坐舞台にすでに坐っている」という名のりであるからです。

他者と「かかわりあうこと」に「やり方」や「理由」や「意義」は
まったく不必要です。

我々がひとり一人存在して、ひと息づつ呼吸をして、自分の生身で経験している
決して多くはない残された一日一日の景色と体感が、
すでに自分自身で決めた「最高に真剣でのっぴきならないかかわりあい」の行動と結果だからです。

円坐守人とは、人間と人間の関係性を客観的に観察して「促進」する「ファシリテーター」ではなく、
まったく新しい関わり合いを生み出す「クリエイター」であり、
過去にはなかった斬新な関係を発火する者「イグナイター」であり、
生死分別を超えた「高い質量の人生」へ向かって自ら起爆するデトネイター(起爆者)です。

それゆえ、有無ノ一坐はこの連続する円坐旅の日常において、飽きること、退屈することがなく、
そして何よりも自分の中から精神的な疲弊や腐敗の徴候が無くなっています。

このたびの金沢ふるさと円坐街道でも、お互いの人生の質感に正直になって大いに語り、
影舞い、深く、高く、末永くかかわりあって参ります。

以下に掲げました二通のご案内文は、
くぅこと松岡弘子とみわっちこと三輪高弓氏との往復書簡の味わいがあります。

みわっちのこのような私的なことばの発露を拝読できること、我々にとっては望外の幸せでした。
よろしければぜひ皆様にもご高覧頂けましたらありがたく存じます。

口承即興円坐影舞 有無ノ一坐 橋本久仁彦

☆☆

23日夜、岩手県種山ケ原でのみちのく旅の一坐ふるさと円坐街道から帰って来ました。

たった一泊二日の旅ですが、ふるさと円坐街道は通常の旅行とは全く異なります。
円坐をしっかり置いて、種山ケ原で影舞したり未ニ観したり、
さいご全員で物見山に登り影舞を置き、もう長年一緒に旅をしてきた仲間のような、
濃厚で圧の高い、銀河鉄道の夜のふるさと円坐街道となりました。

そのような時間空間を共にするようになり最近再び会うようになった人がいます。
みわっちこと三輪高弓氏もそのひとりです。

コロナ禍にあって人と会う事の大切さを切実に確認した人のひとりであり、
みわっちとの関係も表から裏へ転回し始めました。

二度の奈良円坐で彼の暮らす奈良県五條のお家にもお邪魔したり、
最近、みわっちと電話で連絡を取る機会が増え、
電話の声も五條のお家で暮らす面影を思い出します。

人生後半に入り、わたしから見えるみわっちの佇まいや表情も
どこかそこはかとなく表から裏へ切り替わった感じがしています。

酔っ払って絡んでくるみわっちもどこか人間っぽくて
わたしもついついムキになったりするそんな唯一無二の大事な相手です。

昨年の末の除夜の円坐で、
みわっちのふるさと金沢へ円坐街道に行きましょう!と約束をしました。

約束が実りの秋を迎えました。
このたびみわっちの故郷、金沢へふるさと円坐街道に参ります。

オデッセイ残席わずかとなりましたが、
ご縁ある方のお越しを心よりお待ち申しあげております。

有無ノ一坐 松岡弘子

< 金沢 ふるさと円坐街道 >

日時:令和6年10月2日(水)~3日(木)
集合:10月2日朝 JR金沢駅

守人:三輪高弓 橋本久仁彦 松岡弘子 橋本仁美
会費:二万五千円
   食費・宿泊費・ガソリン代:各自人数割実費

申込soumon.enza@gmail.com 松岡
主催:有無ノ一坐 https://umunoichiza.link

写真:奥琵琶湖にて 関ケ原古戦場円坐2024 

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三輪高弓氏より御挨拶
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くうから金沢の案内文をということで、くうの案内も読ませてもらったのですが、
表から裏というあたりがあまりしっくりこなくて、今度会ったときに少し話してみないと。。。
なんとなく、表面的なところから、あまり人に見せない部分へという意味合いのように読めますが、
裏というとダークサイドというか、暗黒面みたいなイメージが浮かんできて、
鬱々とした幼少期、私にとって暗黒の時代といえる金沢に居た頃を思い出します。
親の庇護下で自分が何なのかわからずもがき続ける日々でした。

私は金沢生まれですが、生まれてすぐに、転勤で山口県や広島県に行ったりしてたので、
金沢には小学校三年生から高校卒業までの10年ほどの間居たことになります。

親が私が高校卒業後に東京に引っ越したので、金沢にはすでに実家もなく、
めったに行くこともないので正直現在どんな場所になっているのか不明です。

今回くにちゃんやくうに金沢に一緒に行きましょうと誘われて、懐かしさと同時に
気恥ずかしさ、息苦しさ、怖いもの見たさみたいな感じがあるように思います。

金沢というと、新幹線が通ったりして、観光地として良いところみたいなイメージが
多いのですが、私の中ではどちらかというと雨、雪が多くてどんよりじめっとした気候、
坂が多くごちゃごちゃして狭苦しい土地と、内にこもる気質の強い人たちの居る場所です。
また、今年の正月から地震、大雨などの災害で否応なく注意の向いているところです。

離れて30年以上経ち、いろいろな土地に住まい、私自身も年経て変わってしまいました。
今現在の私、および道行を共にしてくださる方々をそこに置いてみた時に、何が映るのでしょうか。

三輪