三重県四日市市八郷ふるさと円坐街道へのご案内(ちゃこの空)


いま神戸空港です。
白波のたつ海を見ています。

これから、仙台空港へ向けて空の旅です。
その先種山ケ原まで真っ直ぐ北上します。

ちょうど一年前のお彼岸に「この世の名残り みちのく旅の一坐 秋のお彼岸ふるさと円坐街道」に
参加しご同道いただきました、たくちゃんこと伊藤卓也氏のいらっしゃる
四日市にてふるさと円坐街道を開催する運びとなりました。

昨年のこのふるさと円坐街道から帰り、
たくちゃんからご挨拶の言葉をいただきました。
抜粋し再掲させていただきます。

そして、昨日(9月21日)たくちゃんから、このたびの円坐の案内文が届きました。
こちらも合わせてどうぞご高覧ください。

それでは、ご縁をお待ちしております。

有無ノ一坐 松岡弘子

昨年の「秋のお彼岸ふるさと円坐街道」の折、蔵王「御釜」・火山弾に耐える分厚いコンクリートの避難小屋にて。
右:たくちゃんこと伊藤卓也氏。左は盟友 芳野学氏。

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この旅を始めるまで、人生とは生まれてから死ぬまでの時間のことで
「この世にいる間」のことだと思っていました。

しかし、
人生とは「あの世」のことでした。

それは言葉を介してではなく、
一座であること、それだけで自分の中で揺るぎないものになりました。 

その感覚は旅を始めてまもなく起こり
旅の中で静かに落ちていきました。

「あの世」は豊かで懐かしく、力強くにぎやかなところであると知りました。
自分の本体は「あの世」である、と知りました。

あかあかとした一本の道があるばかりです。

この世の名残ではなく、あの世から迎えが来てしまった旅人
伊藤卓也

 三重県四日市市八郷ふるさと円坐街道へのご案内(ちゃこの空)

9月21日は、愛犬ちゃこ(茶色のミニチュアダックスフンド 女の子)の12回目の命日です。

ちゃこがぼくの足元で冷たくなっていた日、
ぼくは、コーチングの講師として2日間出かけなければなりませんでした。

我が家は、妻のきいちゃんが美容院を経営し、お客さんの人気者だったちゃこの枕元には、
2日間、たくさんの花や手紙と、ソーセージや竹輪やケーキなど、ちゃこの好きものが届けられました。

コーチング講座を終えて帰宅したぼくは、みんなで一緒にお経を上げました。
きいちゃんと何人かの人は、亡くなって2日目に、
ちゃこの形をした龍が空に上っていくのを見たそうです。

埋葬の朝、亡くなったとき目をぱちっと開いていたちゃこの瞳が、
おだやかにとじていました。

外に出ると、明け方の西の空に、
見たことのない大きな虹が昇っていくのが見えました。

それは見る見るうちに右側から空全体に広がり、
空の向こうの左側にまでかかって、壮大な半円形になりました。

30年前(26歳)、友人から「県会議員の選挙に出る」という相談を受けたぼくは、
会社をやめて選挙を手伝うことにしました。

30年前、20代の政治挑戦にまちの空気は冷たく、
事務局長を拝命したぼくは、選挙事務所に寝泊まりをはじめました。

未経験の選挙を切り盛りすることのプレッシャーや、
人との摩擦やらに疲れてたどり着いたのが、四日市市八郷地区のきいちゃんの家でした。

きいちゃんはぼくより18歳年上で、当時、旦那さんも息子さんもいました。

きいちゃんは選挙の後援者のひとりで、
疲労困憊しているぼくを、家に泊めてくれました。

それが、一泊、二泊と入り浸り、ついに居候になってしまいました。

選挙に惜敗したぼくは、ある日は嘆き、ある日はぼおっとしたまま、
という日々を送っていました。

「ちょっと風にあたろう」と、
そんなぼくを夜のサイクリングに連れ出してくれたきいちゃんと、
ヒンヤリとした夜風を、ぼくは忘れません。

きいちゃんは、やがて、当時の旦那さんと別れ、
ぼくには「いつまでも家に居なよ」という態度でした。

一方、そんな状態で4、5年過ごしたぼくが、
「この家を出ていかなくてはならない」と、

自分がいなくなった後の頼りになれば、
とクリスマスの日に迎えたのが、ちゃこ です。

この、ちゃこが、ぼくの思惑とは逆に、
ぼくを、きいちゃんと、四日市市八郷とに結びつけることになりました。

ちゃこは、ぼくの在宅時、片時もそばを離れませんでした。
きいちゃんの美容室のアイドルでもありました。

近所の人は、ただ、ちゃこに会うためだけに、我が家に来ました。
隣の町からも見知らぬ人が、「こちらにかわいいワンちゃんがいると聞いて、
写真を撮らせてもらえませんか」と訪ねてきました。

ちゃこと、きいちゃんと、息子のかあくんと、ぼくは、いろいろなところに出かけました。

ぼくは、何度かきいちゃんの家を出ようとしたことがあります。
ちゃこは玄関で何も食べず、数日ずっとそのままでいました。
ちゃこが死んじゃう、と、近所の人があわててぼくを探しました。

ぼくは、きいちゃんと結婚し、八郷地区を拠点に、自分で選挙にも出る機会にも恵まれました。
まちの人は、ぼくの選挙事務所を守ってくれました。

三重県の西側は山です。ちゃこの空は山の彩とともに、様々な表情を見せます。

「あんたら一緒になりな」とふたりの結婚を後押ししてくれた男勝りの福田のおばさんや
大阪からの帰り道に尿道結石で動けなくなったぼくを迎えに来てくれたたけやんや、

どんな遠くの選挙の演説会場でも、義眼と義足を引きずって来てくれた清水のおじさんや、
ぼくの選挙事務所の守りをしながら体調を崩し、そのまま亡くなった、おしゃべりの谷口さんや

いつも前のめりで、しゃべりながらだんだん沸騰してくる名倉のおじさんや
ちゃこに、いつも竹輪をもってきてくれたみよちゃんが

あの空にいます。

熊本県の御所浦という島の漁師の娘で、心臓の病気で働けない”とおちゃん”のために、
病気をなおしてあげたい一心で15歳で働きに出た、きいちゃんと毎日、眺める空です。

きいちゃんが島を出る前夜、”とおちゃん”は「ごめんな」と泣きながら焼酎を飲んで、
そのコップは、飲んでも飲んでも涙で減らなかったそうです。

港で手を振る”かあちゃん”は、手だけでは足りなくなって、タオルを大きく上下に振り
マッチ棒ぐらい小さくなっても、まだタオルを振り続けていたそうです。

御所浦の西は海です。海にきれいな夕焼けが映ります。
八郷の空と御所浦の空はつながっています。

きいちゃんは、お金をためて、(熊本では見られない)リンゴの花と富士山を見たら島に帰ろうと思いました。

でも、その前に”とおちゃん”が亡くなり、”かあちゃん”が亡くなり、
リンゴの花と富士山は、ぼくが連れて行きました。

そして、八郷がふたりのふるさとになりました。

ぼくの通夜・告別式に、ぼく自身が参列するとしたら、
通夜では、八郷のみんなや、きいちゃんや、とおちゃん、かあちゃん、そして、ちゃこの話をすると思います

告別式では、あとに残る人のことを話すと思います。

四日市の八郷地区は小学校区の名前で、とりたてて何もありません。
東名阪自動車道路と東海環状道が交わる、四日市ジャンクションの端になる、人が行き過ぎていく場所です。

そこに、ぼくは居ます。

よろしければ、ぼくのふるさとへお越しください。

伊藤卓也

三重県四日市市 八郷ふるさと円坐街道  開催要項

日時:令和6年11月13日(水)11時〜17時
場所:三重県四日市市 八郷
守人:伊藤卓也 有無ノ一坐
会費:一万五千円
申込soumon.enza@gmail.com  松岡
主催:有無ノ一坐 https://umunoichiza.link