和泉国(イズミノクニ) 相聞円坐
来週の10月30日水曜日、山下薫さんの地元、大阪府和泉市の光明池近くの会場にて
「和泉国相聞円坐」を開催する運びとなりましたのでご案内いたします。
山下薫さんとは高野山大学のスピリチュアルケアのクラスで出逢いました。
クラスで山下さんからお聞きした印象深いエピソードをご紹介します。
ある日、多数の参加者が集まったユング派の重鎮たちのシンポジウム。
彼らの言説に違和感を覚えた山下さんは、大勢の聴衆の注視の中、おずおずと手を挙げて質問します。
「おっしゃること拝聴させていただきました。が、しかし、そうは言うけども・・・」
と粘り腰の質疑を表明します。
軽く受け流せない山下さんの「問いの姿勢」に業を煮やしたユング派の著名な先生は、
そんな質問をこの場でするな、あなたは理解が足らないのだ、と感情的になって言い放ったそうです。
その姿勢は石切の円坐守人十六番稽古でもいかんなく発揮されます。
付いたあだ名が「マムシの山下」。
まるで地割れの隙間からはい出た大きな赤いマムシのような、
一歩も引かないとぐろを巻いた対峙の姿勢は、
沖縄はじめ日本各地からやって来た港湾労働者の多い大阪市大正区の同族会社で、
たたき上げで生きてきた生き様を体現しています。
有無ノ一坐の全員が山下さんと対峙し、真剣の上に真剣を重ねて仕合いました。
あるいは、山下さんは有無ノ一坐のひとり一人と本当に真剣に、
一歩も譲らず対峙し、仕合ってくださいました。
そしてある時「頭がパッカーンとなって(山下談)」山下さんの雰囲気が変わりました。
姿勢がスキッとまっすぐになり、白髪交じりの髪を後ろに束ねてかっこよくなり、
僕より年配なのに今や青年のような微笑みをみせる好男子、“ナイスシルバーガイ”
になってしまいました。
必要とあらばいつでもマムシのとぐろを巻く胆力はそのままに、
頭がパッカーンとなった山下さんは、余生を身軽に天駆ける黄金色の「まむし龍」となって、
今では日本各地のふるさと円坐街道の常連であり、
我ら一坐にとってはまさに盟友として敬慕しあう、押しも押されもせぬ侠客円坐衆のお一人です。
ではここに、山下さんが和泉国相聞円坐によせてくださったご挨拶の文章を掲げます。
口承即興円坐影舞
有無ノ一坐 橋本久仁彦
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和泉国相聞円坐によせて
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橋本久仁彦先生と出逢ったご縁をどこから話したらいいか分かりません。
今思えば、人生の長い道程を経て、必然の出逢いだったように思います。
私は、社会に出てから臨床心理学を学び続けてきました。
そして臨床心理学の学びは、日々の仕事の対極に位置し、興味深く、楽しく、
社会や自分自身を理解できるような気にさせてくれるものでした。
しかしながら、定年を迎え仕事から離れてみると、これらの学びは全く面白くなくなり、
興味も失せてしまいました。
これから何を自らの心の糧として生きるべきかと思い悩みつつ、
マインドフルネスで著名な井上ウィマラ先生がスピリチュアルケア学を教える
高野山大学で勉強することにしたのです。
敬愛する井上ウィマラ先生は、入学した年には高野山大学から離れられており、
とても残念な思いを抱えながら大学に通っていました。
しかし、夏季集中講座で橋本久仁彦先生と出逢うことができました。
ちなみに、橋本久仁彦先生は井上ウィマラ先生と長い付き合いがあり、
井上先生から高野山大学で教えるように要請されたそうです。
橋本久仁彦先生のコミュニケーション演習は、これまで学んできた臨床心理学とは
全く違っていて、橋本久仁彦先生考案の円坐・影舞・未二観の実習からなる授業で、
とても新鮮で心に響くものでした。
大学卒業後は橋本久仁彦先生の千代崎橋の道場へ通ったり、
地方で開催される出稽古に同行させてもらったりと、円坐・影舞・未二観を学び続けています。
橋本久仁彦先生・有無ノ一坐の皆さんに学んでいると、不思議なご縁に導かれることがあります。
2022年9月18日~19日に催された「関ヶ原古戦場円坐」で、
私にとって一生忘れられない不思議な出来事が目の前に現れました。
18日の夜、有無ノ一坐の方々と参加者メンバーの皆さんは遅くまで酒盛りをしていましたが、
私は明日も運転があるので一人だけ早く休みました。
偶々、東京から来ていたローサさんは、串木野から故郷納税で取り寄せたお酒を
酒盛りに提供されていて、その場で私の田舎が串木野ということが話題になったそうです。
翌日、皆で石田三成の陣跡に向かう途中、何かの理由で島津義弘の陣跡へ寄ることになりました。
広島から来られたヒロさんは歴史好きで記念碑を詳しく観察する人でした。
偶々、ヒロさんが島津義弘の陣跡記念碑の前に据えられた灯篭の後ろの字を読んでいて
「串木野市」「山下」という文字を見つけました。
ヒロさんは昨晩の酒盛りで私の田舎が串木野ということを聞いていたそうで、
それで、私に声を掛けてくれました。傍によって見てみると、
なんと父母の名前が刻まれているではないですか、あまりにも不思議なことに、驚きしかありません。
高野山大学での橋本久仁彦先生との出逢いから度重なる偶然の末に、
父が60年前に島津義弘陣跡に寄贈した灯篭をこの目に収めることができた。
偶然が一つでも起こらなければ、一生その灯篭に出合うことはなかったでしょう。
この出来事の後、橋本久仁彦座長・有無ノ一坐の方々が串木野にて
円坐・影舞・未ニ観を催してくださりました。
以前からずっと、父が田舎に残した山林や家をどう処理しようかと負担に感じていた私ですが、
有無ノ一坐の方々によってこの田舎が清められ、照らし出された感があり、
負担であるという気持ちは私の心の中から消え去り、懐かしい大事なものに変わっていきました。
このような因縁の下、橋本久仁彦座長・有無ノ一坐の方々との関係はずっと続いていきます。
10月30日(水)和泉国相聞円坐開催にあたって、ご説明をさせていただきます。
有無ノ一坐の松岡弘子さんから「ずっと恩師との出会いの地である泉州で円坐を考えています。
会場をさがしているので、またいつでも構いませんので、ご相談させてください」との
連絡をいただきました。私は和泉市在住なので、喜んでお手伝いさせていただきます旨
お伝えしました。
松岡弘子さんの恩師とは沖浦和光先生というお方で、和泉市にある桃山学院大学の学長
(在任期間:1986~1997年)をされていました。沖浦和光先生は著名な
社会学者・民族学者であり、博学で研究は多岐にわたっておられますが、
主に社会的弱者や被差別部落に研究の主軸を置いておられました。
「現代の理論 辺境から歴史を見つめてー沖浦和光追想」(松岡弘子さんから送られてきた
URL(https://gendainoriron.jp/vol.06/rostrum/ro01.php)という記事に詳しく
沖浦和光先生のことが掲載されています。
この記事を読むと沖浦和光先生の社会的弱者人に向ける優しい眼差し、
そして権力に対しても怯むことなく立ち向かっていく姿勢がよく伝わってきます。
橋本久仁彦先生・有無ノ一坐とのご縁、松岡弘子さんと沖浦先生とのご縁、
私が和泉市在住という縁、様々な御縁に結ばれて開かれる和泉国相聞円坐、
どうぞ興味をお持ちの方はお集い下さい。
私、世話役をさせていただきますので、できるだけのことは致します。
山下 薫
<和泉国相聞円坐>
日時:令和6年10月30日(水) 10時~17時
場所:大阪ファインプラザ二階和室とその周辺
※http://www.fineplaza.jp/access/
守人:橋本久仁彦 松岡弘子
世話人:山下薫
会費:12,000円
申込:soumon.enza@gmail.com 松岡
<有無ノ一坐 松岡弘子のご挨拶>
関ヶ原古戦場円坐で山下薫さんのご両親の建立された灯籠を
広島のひろこと大方宏毅さんが発見されました。
それ以来、わたしたちは毎年、
島津義弘陣跡で山下さんと共にご両親と再会しています。
20歳の頃、沖浦和光先生と出会った当時堺にあった校舎がその後、
和泉に移転しました。
和泉国相聞円坐はわたしと恩師の出会いだけではなく、同時に、
山下さんとはしもとさんとの出会い、そして、有無ノ一坐との関わりあい、
そして、九州薩摩国、串木野のふるさとを辿る旅もこの和泉からふたたび動き始めます。
こうして未知の世界へ向かって再び動き始める運びとなりました。
わたしたちは、ふるさとへの旅を共にする仲間・同志として
日々円坐を通じ絆を深めて参ります。
和泉国相聞円坐の世話人 山下薫氏のご挨拶の言葉を掲げさせていただきます。
ご高覧いただけましたら幸いです。
ご縁をお待ちしております。
有無ノ一坐 松岡弘子