円坐「現し世(うつしよ)は夢、夜の夢こそまこと」
円坐
「現し世(うつしよ)は夢、夜の夢こそまこと」
【日 時】
●その1:1月31日(金)19:30〜22:00(19:00開場)
●その2:2月15日(土)14:00〜16:30(13:30開場)
※両日とも2時間半の円坐/開始時間の30分前より開場します
【場 所】有無ノ一坐スタジオ(大阪市西区千代崎2-20-8)
【参加費】各回3000円
【守 人】橋本仁美(有無ノ一坐)
【申込先】hitomi.hashimoto918@gmail.com(橋本まで)
【主 催】松本裕子(こりん)・橋本仁美
僕のコニュニケーションは傾聴に徹することが多い
そうすると不思議なことに
相手は僕のことを何でも気を遣わず話せる親友とほぼ全員いいだす。謎だ。
僕は自分のことはほぼ何も話していない、謎すぎる。
皮肉にも私は彼らを親友と思ったことは一度もない
彼らは何でも肯定して聴いてくれると思うと、
それはどんな相手であってもいってはいけないということまで言い出して
理解してもらおうとする。
しかし僕も人間だ一線を越えられるとぶちきれる
僕のコニュニケーションは傾聴かキレるかの2択状態
傾聴を求める人間はこちらの話しは聴かない、ひたすら自分の不幸を訴える
私のことをわかってよと
しかもこちらのことを理解する気はない
私の限界がきてキレるともれなく縁が切られる
人間関係と人生に疲れて命をたとうと思ったとき
ふと、くにちゃんがうかんで助けを求めたら
僕はカウンセリングはやってない
でも影舞いなら教えられると返信を頂きお邪魔した
影舞いに参加するなかで傾聴でもなくキレるでもない
第三のコニュニケーションがあることを知った
逃げるのではない
自分が心地よくいれるように押し合ったり(キレる)静止したり(傾聴)するのではなく、
能動的に自らこれなら相手と影舞いを続けられるという動きをすることで、
楽に相手と影舞いができる
影舞いにおいてのキレる傾聴以外の方法は直感的ではあるがなんとなくわかった
しかし現実のコミュニケーションにおいてそれをどう応用していいか?わからない、
そこで影舞いのもうひとつの形、円坐に座ろうと思った。
最初にくぅさんの円坐に参加させていただいた。
私の傾聴とキレる話をしたらスバリと斬り込まれた
最初はいらっときたが
じんわりと彼女の言葉が響いてきて帰りの電車で身体が楽になった
円坐に同席した方にも、
「自分を売ってはいけない」とい言われ泣きそうになった
そういうことを言ってくれる人が周りにいないから
そしてくにちゃんの勧めもあり
橋本仁美さんを守人に迎え円坐を開くことに致しました
今回の円坐のタイトル
「現し世(うつしよ)は夢、夜の夢こそまこと」とは
江戸川乱歩の言葉
私はこれを普段生きている世界が夢、幻想であり、
円坐の中に現し世があるのでなはいかと言う思いを込めてこのタイトルを提案しました。
傾聴でも我慢の限界がきてキレるでもない
第三のコニュニケーションの世界を探る円坐の世界を旅したいと思います。
こりん(松本裕子)
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有無ノ一坐の橋本仁美です。
新年あけましておめでとうございます。
最近「影舞山月記」に通ってこられている
「こりんちゃん」こと松本裕子さんと円坐をひらく運びになり、
案内文を書いていただきました。
真っ直ぐで忖度のない彼女の言葉に私自身が見透かされる思いです。
私は基本的に人と楽しく穏便な関係を築きたい人間なので
ズバッと斬り込むことを言える自信はありませんが
こりんちゃんが書かれている「傾聴でも我慢の限界がきてキレるでもない
第三のコミュニケーションの世界」に非常に関心があります。
“基本的に人と楽しく穏便な関係を築きたい私”としては、
今回の円坐をこりんちゃんと一緒にすることで
こりんちゃんとの関係がどうなっていくのか未知なので
どきどきする面もあります。
しかし非常に面白くまた興味のある道なので
こりんちゃんとの関係がどうなるかという怖さ以上に
こりんちゃんとこの道を一緒に行ってみたいと思います。
私は、影舞をする以前は
「私の言葉を人にこんな風にとられたらどうしよう」
「私の言ってることがちゃんと伝わってるのかな」ということを
気にして人間関係に苦手意識を持っていました。
伝え方や伝える内容が中途半端ではいけない。
ちゃんと私の思いを正確に完成された状態で相手に伝えなければいけない、
と思っていました。
その頃は、人からの誘いを断れず、
不参加にすると決めてもどう伝えたらいいのか
どうすれば参加しなくてもいい状態にできるのか
メールで不参加の連絡をするための文章を
何度も書いては消し書いては消しするのに何時間も費やしていました。
円坐に参加するのも緊張していました。
そんな私だったのが、影舞をしはじめたら、
もう一つのコミュニケーションの道がパカンとひらけました。
いまもそのときの感触を覚えています。
頭で考えたことを話すというよりも体で話す・聞くという感覚です。
相手からの言葉を言葉の意味内容で聞くのではなく、
私自身も意味内容を喋るのではない。
相手と完璧な意味内容の交換をする必要はないのだとわかりました。
相手と向かい合ったときの微妙な違和感や感触、手応えを
伝えながら相手に近づいていったらいいだけです。
それは全くなにもなかったところに
新たに自分が言葉を創造して与えていくような営みで
非常にクリエイティブな感じがあり、それゆえ
ぴったりの言葉を生み出すまでは難しく大変なのだけど
でもむしろそこがそそられるというか、
まるで自分の作品をクリエーションしているアーティストのような、
めっちゃ面白くてエネルギーが湧き出る源泉のような時間でした。
かくしてわたしは言葉に縛られずに自由に言葉を出せるようになり、
人間関係に対する怖さが消えたのでした。
相手に出す言葉の意味内容は中途半端で良く、
終わり方も半端で終わってしまってかまいません。
意味がわからなくても内容をうまく伝えられなくても、
その動きのなかで相手への態度ははっきりさせることができます。
言葉の意味内容は自分の側で決めてしまわなくて良く
自分からの言葉を相手との間において行くことで
相手と一緒に作り上げていくものです。
これが、私なりに言葉にできる影舞的なコミュニケーションです。
影舞のように話す。
円坐は私にとってはそういう場所です。
日常ではなかなかそういう時間空間を作りづらいので、
場を仕切ってコミュニケーションを「影舞的な」次元でできるように
しつらえるのが円坐だと思っています。
と、説明はこれくらいにして
そういう私の体験をシェアしたり教えて参考にしてもらう、
というよりは、
人が集まればなんらかの「事件」が起こるので
そのなかでのいろんな局面を一緒に体験していく
円坐になればと思います。
みなさまのご参集をお待ちしています。
有無ノ一坐 橋本仁美