第八回ボスケ円坐✕ 第五回 大人の森のようちえん!

~ご案内 松岡弘子より~

もしわたしが円坐をしてなかったら・・
森のようちえんもフリースクールもわたしにとっては理論上の教育制度のひとつに過ぎませんでした。

こんな自分が「大人の森のようちえん!」というタイトルで
円坐を定期的に開催しているのですから人生は本当に不思議です。

やはりべべさんこと越智久美さんとの出会いが大きく、
わたしの人生にもたらした衝撃は多大なものでしてた。
ひょっとしたら、べべさんにも衝撃だったかもしれませんが。

わたし自身をふりかえってみても、幼稚園から高校まで地元の公立学校に通い、
地元の方がひらいていた勉強学校や塾は、地元の子たちと通う「もう一つの学校」でした。

地域には学童保育などもなく、鍵っ子だったわたしは、
近所の子たちと遅くまで外で遊び、勉強学校のある日は、
そのお宅に行って勉強してから、やっぱり暗くなるまで外で遊んでいました。

その頃の大阪市内の下町には自然らしい自然はなく、川は汚れ、
光化学スモッグが発令する日々でした。それでも、空き地や路地、
環状線の駅のコンテナなどで、鬼ごっこをしたり、
銭湯に行きがてら寄り道して遊んだり、時には自転車で遠出して
大阪城公園に秘密基地を作りに行ったり、一方では、
いじめや喧嘩も日常茶飯事でしたが、毎日結構楽しく子ども時代を過ごしてきたし、
いまもいろんなことをよく思い出します。

もちろんうちだけなく家庭環境は様々で、
複雑な状況下の子たちも多かったのですが、
なぜ日々楽しかったのか不思議です。

ひょっとしたら当時の大人から見たら、地域的に良くない環境だったのかもしれないし、
改善しなければいけない問題や課題も多々あるものと考えられていたのかもしれませんが、
残念ながら、わたしにはそんな事を知る術も、知る由すらありませんでした。

そんな背景もあって、森のようちえんやフリースクールは
一般的に子どものための教育現場のように思われていますが、
わたしには全くそう思えません。こんな事を言ったら
いろんな所で集中砲火を浴びることになるのかもしれませんが、
表向きは子どもたち対象ですが、寧ろ、
大人のための実現すべき教育現場にすぎないのではないでしょうか?

こんな事を語り合える人がこの世に一人でもいるなら、
実際にお会いしいろんな事を話してみたいと切に願ってやみません。

以下、橋本仁美さんからの案内文です。ぜひご高覧ください。
それでは、このたびのご縁を心よりお待ちしています!

松岡弘子

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~ご案内 橋本仁美より~

来週日曜に愛知にゆきます。

森のようちえんを立ち上げた越智久美さんと
カフェボスケの主(あるじ)石原菜名子さんに会いに行く円坐です。

昨年夏に「次は半年後やね!また!」と別れましたが
あっというまに半年がたち、また愛知の二人に会いに行くときが来ました。

前回参加してくださった方も、今回もいくよ!と
ご連絡くださり、とってもとっても楽しみな限りです。

フリースクールを巡って私自身いろんなことがあって、
フリースクールとはなんぞや!!ということで
対峙し問い直すためにはじめた「大人の森のようちえん」。

本当のフリースクールとはこうなんじゃないの!!?と
めっちゃこだわって、もう自分がやるかぐらいの勢いの時期が
最初はありましたが、

回数重ねるごとに主催者同士の関わりが深くなり、
いまとなっては、フリースクールやるかどうかとか、
もうどうでもいいや、というところまで来ています。

それは、ここまで円坐を重ねてきた越智久美さんや石原菜名子さん、
参加してくださった方との間で交わされ新たに生まれる言葉、
新しく見えてくる地平、思いがけない展開、それらが面白くて仕方がないからです。

円坐自体が、私はフリースクールの真の姿だと思っています。
フリースクールは、本当は、自由を求め続けるがゆえに
「壊れ、新たに再生し続ける組織」のことだからです。

嫌な人とは別れ、心機一転再スタートしましょう!!という意味ではなく(笑)、
形骸化した組織が維持され続け、関わる人が組織の歯車になり疎外され続ける
世の中の在り様に対峙するべく現れた革命のひとつ、それがフリースクールです。

なので、フリースクールは情熱が燃え続ける組織である必要があって、
そのためには、ときにはトップの人が
「実は退屈してるねん」とスタッフに赤裸々に言える必要があります。

九州のあるフリースクールの代表の人に、
「自分の子どもはもう卒業したけどフリースクールの代表を
続けてるのはどうしてなんですか?
自分の子どもはいなくても面白いんですか?」と率直に聞いてみたら、

「うーん、、もう飽きた。」と口にして、その直後にスタッフの一人が
「それは無し。言わない言わない!」って言ってました(笑)
どちらのセリフも本音だったので、面白かったです。

違う立場や意見だったとしても、それを直接に、公に
言い合えたところから新たにはじまる展開
(新たにはじめることができるまったく新しい関係)があります。

「飽きたのにこの活動をやってるのはなんでなんですか?」と
もうひとつ聞いてみたら、

「子どもに限らず地域のみんなでこんなふうに暮らしていける、
自治区のようなコミュニティ、その土台作りのほうにもっと力を入れたい」
とのことでした。
だから、「フリースクールの代表をやるのはもういい」と。

もっと農業の勉強をして、教育だけでなく食べ物も自分たちで
供給していけるようにしたい、とその人は本気で考えていました。

フリースクールを超えて、日本も超えて
ひとつの“国”をつくろうとしている姿が見えてきました。

そこまで見えたら、あぁこの人、おもしろ!となりました。

そうやって、この人がもし代表から退いたら、きっと現時点で最も
フリースクールをやることに情熱のある人が代表を継ぐことになるのでしょう。
それが、「フリースクールという革命」の最高に面白いところであり
フリースクールをやるうえで外してはならないところなのです。

最近はフリースクールに子どもを入れることが一種のステータスになって
いるようなので、ブランド化したフリースクールを手放したくなくなるのかもしれません。

でも、フリースクールほど、ブランド化して
しょうもないものはないです。
円坐をブランド化しようとするようなものです(笑)

なぜしょうもないかというと、ブランド化できる中身はなにもないからです。
あるのは、人。そこにいる人たちとの関係だけです。
それが、フリースクールであり、円坐です。

では、「第八回ボスケ円坐✕ 第五回 大人の森のようちえん!」
皆さまのお越しをお待ちしております!

有無ノ一坐
橋本仁美

< 第八回ボスケ円坐✕ 第五回 大人の森のようちえん! >

【日 程】2025年1月26日 (日)
【時 間】11時~17時
【会 場】愛知県岡崎 Cafe BOSQUE(カフェ ボスケ)
【守 人】橋本久仁彦・松岡弘子・橋本仁美
【会 費】12,000円(場所代・昼食とお茶代含)
【申 込】下記いずれかのアドレスまでご連絡ください!
     soumon.enza@gmail.com (松岡弘子)
     hitomi.hashimoto918@gmail.com (橋本仁美)

~ご案内 橋本久仁彦より~

明日19日は2024年度の生駒石切円坐守人十六番稽古の最終回です。
来月16日からは2025年度の円坐守人稽古が始まります。

19世紀の産業革命の頃、
工場の煤煙のなかで長時間労働し病んで死んでゆく小さな子供たちに、
キリスト教徒たちが「良好な人間関係の作り方」を教えました。

他人と良好な関係を作れれば仕事とお金がもらえ、
会社や工場の中で良い地位を確保できるからです。

それから100年以上経って、「実技としての人間関係の能力」は、
個人が社会で成功し自己実現するために、
あるいは会社が効率的に問題を解消してゆくために有効な
「スキル」や「メソッド」として発展し、社会に広く認知されています。

そして「円滑なコミュニケーション」や「効果的なファシリテーション」
「対話ワークショップ」など様々な「対人関係の技法」を教える
「人間関係の専門家」や「コミュニケーションのプロ」が多数出現しました。

現代の子供たちは、アスベストを吸い込む19世紀の工場ではなく、
傾聴技法やファシリテーションを心得たスタッフのいる
「フリースクール」や「森のようちえん」に通えるほど恵まれています。

こうして、人類の「人間関係」は「対人関係技術」を
使用することによって成長し、豊かになったように見えます。

しかし、我々円坐守人が日本の各地で直面する人間関係の現場では、
人間関係の感情面にまで及ぶ管理と、
人と人とのかかわり合いのノウハウ化と効率化、
ワークショップや研修会で予定調和のもとに大量生産される
コミュニケーション体験の均質化、画一化、脆弱化を確認しています。

先日東京で開催した対談円坐「ファシリテーションを超えて」でも、
プロのファシリテーターの方々との「対峙と仕合」すなわち
「円坐という対話」を通じて、現代の「人間関係科学の領域」に
ひとつの「ズレ」、あるいは「ギャップ」が存在することを再確認しました。

対人関係の現場におけるこの「ズレ」「ギャップ」とは
いったい何を指しているのでしょうか。

現代社会の支配的文化となっている人間関係科学の領域からはじかれ、
こぼれ落ちているものがあります。

「人間関係」を含むあらゆる「人間の現象」を、
みんなにわかりやすく合理的に説明し、
社会(メインカルチャー)の承認を得ようとする近代社会の欲求構造の中で、
居場所を失って立ち去っているものがあります。

立ち去れない場合は「ワーク」によって解決されたり、
解消されてしまうものがあります。

時には「癒し」や「治療」という文脈の中で
「無き者」にされてゆくものがあります。

「円坐のような場は他のどこにもない」と
経験豊富なファシリテーターの方々が驚いて指摘される時、
その意味は「円坐には他の場にはないものがある」ということです。

「他のグループでは解決されたり、解消されたり、
巧妙に肯定されて無視されるものが、
円坐にははっきりと存在している」ということです。

もとより、我々円坐守人は他のグループや
人間関係科学の成果を否定しているわけではありません。

現代社会にはメインカルチャーやハイカルチャーとして、
経済原理に基づく強力な人間関係文化がすでに存在しています。

僕も長年その中で生活をしてきました。

2月から生駒石切でご一緒する円坐守人十六番稽古の生徒の皆さんは、
現代社会の支配的文化、メインカルチャーから暗黙の裡に排除され、
それについて感じないように「ラミネート化」を促進されている
人間関係の隠された部分について集中的に稽古することになります。

すなわち、現代社会における人間関係文化のメインカルチャーと
サブカルチャーの「ズレ」と「ギャップ」を知覚し、
その「あわい」にあるものを明らかに認識できる知覚器官を
新たに育てるということです。

ハイカルチャーとしての他のグループには居場所がなく、
現代の人間関係文化のサブカルチャーである円坐には
存在する要素を思いつくまま記してみます。

異物としての円坐守人
絶対に理解不可能な他者
腐った人間
眠り込んだ人間
暴力
戦争
病気
未知
球体の時間
外からやってくるもの
意識のギャップ(落差)
死に場所
死者
面影
本当によく斬れる一振りの剣
本当に人を斬ること
解決しない異和感
闘争心
裏切り
冷酷
卑屈
卑怯
対峙
仕合
幻術
空気を作る
鬼が出歩く
マウントの取り合い
ラミネート化し腐臭をカットしたファシリテーター
本当に死ぬ(破壊)
だから本当に生きる(創造)
人生をかけて守るべき約束
命を預ける誠実な友
疑いのない友情
疑いのない生の実感
本物の愛
本物の霊性
本物の家族
時空を超えた仲間
    etc.

来週は愛知岡崎の「ボスケ円坐」と「大人の森のようちえん!」に参ります。
石切の稽古に関心がある方々も来られますので、上記の続きも語り合いましょう!

 有無ノ一坐 橋本久仁彦