福岡・糸島円坐舞台

来週と再来週の東京と福岡での円坐をご案内いたします。
2月11日(火・祝)は、福岡県の糸島にて開催の運びとなりました「糸島円坐舞台」です。
2月12日(水)は「第八回はかた円坐~縁起をまとう」を開催いたします。

「はかた円坐~縁起をまとう」のご案内はこちらから!

< 糸島円坐舞台に寄せて>

主催のともぞうさんとは昨年吉次潤さん主催の「はかた円坐舞台〜縁起をまとう」で出会いしました。
当初ともぞうさんも九州ご出身の方だと思っていたので岩手の出身だと
お聞きし意外な驚きを感じた時のことを今こうやって案内を書き始めると、再び鮮明に思い出します。

というのも、昨年「秋のお彼岸みちのく旅の一坐 ふるさと円坐街道」で、
20年前からずっと行きたかった宮沢賢治の精神のふるさと「種山ケ原」を目指したのも、
ともぞうさんご本人から直接岩手のご出身だとお聞きし、
彼が語る数々の幼い頃の思い出から多大な影響を受け、

秋の彼岸にみちのく旅の一坐で種山ケ原を目指し走ったワゴン車の窓から見た「景色」や、
そして物見山頂上を目指し一坐で山道を歩いて見ていた「景色」からも
ともぞうさんのふるさとを遥拝していました。

不思議なもので、実際に他者と関わりあうなかで、ご縁の深さや豊かな實り、
そしてこの広大なひろがりを感じ、と同時に、微細な兆しまで、
知らず知らずに感じているようです。

それでは、
ご縁をお待ちしています。

有無ノ一坐 松岡弘子



ともぞうはよく泣きます。
北九州で初めて会った時も、たくさんの参加者の中でボロボロ泣いていました。

玄界灘の津屋崎の円坐でも泣いていました。
はかた円坐でも泣いていました。

彼の涙が心に残るのは、涙の向こうに人々がおられるからです。
ともぞうと円坐に坐っていると、ともぞうを通じて、
随分昔に若くして亡くなった方と我々が親しくなっていきます。

ともぞうの御親族の方々とも親しくなっていきます。
先日亡くなったともぞうの叔母様とも親しくなりました。

だからふるさと円坐街道で、宮沢賢治を訪ねて岩手の種山ヶ原に宿をとったときも、
ともぞうから聞いていたともぞうのまだ見ぬ御実家の風景がありありと心に浮かんでいたのでした。

国道沿いにあるとだけしか聞いていないともぞうのご実家は、
一坐が車で走った岩手の道や街並みや山々や冷たい空気に重なってありありと目に浮かぶのです。

心のあわいに存在するその御実家には、今生きているご家族の方々だけではなく、
ともぞうの人生に多大な影響を与えて夭逝した従弟さんもおられます。

今も変わらず若い彼は、ご実家と国道の境に立って、こちらを見てニコニコと笑っています。

岩手からは遠く離れた九州福岡の糸島円坐舞台でも、
再び彼らとあわいの空間にて再会することになるでしょう。

九州でしか会ったことのないともぞうと九州で円坐に坐ることが、
有無ノ一坐が岩手へ向かったふるさと円坐街道の、
一番大事な本質の一部になって往く不思議さと豊かさと喜びを思います。

「秋のお彼岸みちのく旅の一坐 」の名称は、いつの間にかともぞうの亡き御親族も、
我々旅の一坐や宮沢賢治とともに、秋のお彼岸の魂のみちのく(道の奥)を
訪ねる道連れ旅の名のりになっていたのでした。

この成り行き、この道行きが、「泣き虫のともぞうと九州の地で円坐に坐る」ということです。
謹んで福岡・糸島での「きくみるはなすかかわりあう円坐舞台」の開催をお知らせいたします。

有無ノ一坐  橋本久仁彦

< 糸島円坐舞台 >

日時:2025年2月11日(水)10時00分~17時00分
場所:福岡県糸島市大入(だいにゅう)
   「合同会社こっから」のスペースにて
守人:有無ノ一坐 橋本久仁彦 松岡弘子 橋本仁美
会費:7,000円
申込:hitomi.hashimoto918@gmail.com 橋本仁美
主催:石川知洋(保育園まほろば)
有無ノ一坐https://umunoichiza.link/

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石川知洋(ともぞう)さんより御挨拶。
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この度自分が主催者となり糸島市に
「有無ノ一坐」坐長の久仁さんと一坐の皆さんを招いて
円坐を開催させていただくこととなりました。

久仁さんとの出会いは、23年10月に行われた
「森の育ち場」主催の北九州でのワークショップ、
『聴くを聴く』 という久仁さんの講演会で、
「保育に関わる仕事に従事している者として子どもや
保護者など人との関係で何か役立つHow to的なことを学びたい」
と思い参加したのがきっかけでした。

その時に久仁さんが自身のエピソードを交えて話した
「縁や因縁あっての人との関わり」や
「相手と真剣に向き合う自身の対話や行動のあり様」についての内容は、

これまで「こんな自分なんて」と自嘲して
あまり人には話さず自分の内側にだけで“大切にしていたこと”や
“触れられたくないと隠していたこと”として人と付き合う際に
どこか境界線を作り相手にも自分自身にも真剣に向き合い
寄り添えていなかった自分の関わり方・在り様に気付かされ、
人と関わり生きていく上で大切なことを痛感させられました。

いまでもその時に久仁さんの一つ一つの話に
自分の中に無意識に抑えていたものを突かれ、
心が震え溢れ聴きながら涙が止まらず出てきたことを覚えています。

そして初めて自分が円坐を体験したのは、
その後久仁さんに再会したいと福岡・津屋崎で開催された円坐に参加した時でした。

初体験の円坐は、それまでの自分の人生において大切な人の存在や死、
違和感や劣等感、隠し抱えて生きていたことを拙い言葉で懸命に
初めて初対面の人達に曝け出し話した場となり、
またその場を共にした人達も同様にそれぞれが内面に触れ、
向き合い言葉にして生き様を深く感じ共有し合えた体験でした。

その後も円坐には何度か参加させてもらっていますが、

いつもその場にその都度違った集まった人同士が真剣に対峙しあう舞台
を体験する度に、その人の想いや生き様に真剣に向き合い言葉を
交わし合い他者との深い関わりを感じると同時に、

自分は真剣に対峙し関わろうと思っているのにもかかわらず、
相手の話を理解しきれなかったり、違和感を自分が感じていても、
そのことをその場で伝え返さず相手に合わせようとして流していることや
頭の中で都合よく解釈してしまっていたり、逆に自分が話し伝える際に
言葉足らずにして相手に理解を任せて自分からの関わりをどこか投げてしまっていたりと、
まだまだ相手と対峙しきれていない自分に気づかされる関わりの場です。

そんな円坐舞台を今回は糸島に久仁さんと有無ノ一坐を招いて、

日頃お世話になり自分との関わりのある人や保育園まほろばのある地域の人が、
いまこの時この地に共に暮らし、互いに自分と円坐を介して集まっていただき、
その時に出てきた言葉や想いを交ざり合わせ、通わせることができたらと思い開催します。

興味を持っていただき、ご一緒くださる皆さまのお越しを心よりお待ちしております。
宜しくお願いいたします。

保育園まほろば 石川知洋