世界未二観

来月2月9日日曜日からスタートする「世界未ニ観」第一回目のお知らせです。

世界未ニ観

日 程:【第1回】2025年2月9日(日)
    【第2回】2025年3月2日(日)
時 間:13時〜17時
会 場:有無ノ一坐スタジオ
    (大阪市西区千代崎2−20−8)
お問合せenzabutai@bca.bai.ne.jp 橋本久仁彦まで
受講費:8千円
世界未二観守人:エマニュエル・ハーパー、
     松岡弘子、橋本仁美、橋本久仁彦


<世界未二観 ご案内文>

世界未二観の前身は15分間のミニカウンセリングです。

ミニカウンセリングではカウンセラー役(聞き手)とクライエント役(話し手)に役割が分かれ、
カウンセラー役は傾聴と共感の態度をトレーニングによって身に付けました。

ミニカウンセリングは15分間に限定されたパーソン・センタード・カウンセリングです。
僕は40年間に渡ってミニカウンセリングの研修を仕事としてきました。

ミニカウンセリングとは、カウンセラーの訓練のために生まれた
15分間の短い時間のカウンセリングです。

50代の頃に、ミニカウンセリングの「15分間」に起こっている内容への
視界が大きく変化し、その新しい視界と知覚を「未二観」と名付けました。

最も特徴的な変化は、カウンセラー役の個人的な「傾聴能力」よりも、
15分間の時間の枠組みそのものを「変容の法則」として重視するようになったことです。

僕は、未二観の「15分間」と「8分間」の現場を作り続け、探究するうちに、
真摯に対峙して向き合うふたりの間に生じる「限られた小さな時間」を、
「有機的な磁場」であると認識するようになりました。

やがて、僕にとって「真摯に相手と自分に対峙する限られた小さな時間」は、
ひとつの生命体であるという知覚が生じ、逐語記録のレビューを重ねるたびに証明される
普遍的な事実として疑いのないものになりました。

「円坐守人」とは、自分の意志によって立ち上げた「限られた時間」が生きた実体であることを認識し、
その生きている時間の働きに敬意を払い、時間の持つ力、時間の意志と対峙し、
仕合うことができる人間のことであると言えます。

僕は、数千例に及ぶ15分間のパーソン・センタード・ミニカウンセリングの逐語記録を
レビューしてきた現場で、
「聞き手と話し手が作り出す磁場の中では、時間の感覚体験が拡張する」
「その拡張体験は、後日逐語記録をレビューする第三者にも等しく生じる」という事実には
当初から気がついていました。

その拡張体験が、聞き手が作為する傾聴や共感や受容ではなく、
15分間という「時間の限定」そのものから生じていることを理解した時に、

パーソン・センタード・ミニカウンセリングは、
「未二観」にいわばメタモルフォーゼしたと言えます。

時間とは客観的で直線的な長短に意味があるのではなく、
限定すること、有限であることに意味と価値があることを明確に認識すると、
世界観は根底から変わり、人間関係を基盤とする世界体験も変わります。

我々の人生は、生きている時間の長短ではなく、最初から限られていること、
生まれた時から「終わり」という限定がしっかりと「100パーセントある」
ことによって初めて新鮮な意味を持ちます。

人生とこの世界のすべての意味と豊かさは、我々ひとり一人が生きている時間に、
「終わりがある」ことによって生み出されているのです。

世界未二観は対峙したふたりが生み出す8分間の時間です。
8分間の世界未二観は、あらかじめ限定されていることによって
すべての意味と価値が生まれるという「限定の法則」にもとづいて成立しています。

こうしてカウンセラーや聞き手に「個人的な傾聴の能力がある」という見方が後退し、
時間の限定という「実存の絶対条件」が話し手と聞き手の双方に直接影響し、
働きかけているという視界が開けてきました。

円坐や未二観の現場を創造する「守人」は、
基本的にこの認識にもとづいて円坐や未二観の「刻限の宣言」を行っています。

8分間の世界未二観も、この「刻限の宣言」によって成立します。

それは「限界の宣言」であり、「必ず終わることへの敬意と承認」です。

目の前にいる人間がアメリカ人のマニーであっても、ルーマニア人のマリであっても、
ウクライナ人のアンジェリカであっても、中国人の岳さんであっても、
カンボジア人のリナであっても、世界未二観は成立します。

必ず終わる時間の中の共通存在であるがゆえに。

たとえ認知症の方であっても、5歳の幼児であっても、
発話できない障害を持つ方であっても、世界未二観は成立します。

必ず終わる命を生きる共通存在であるがゆえに。

それどころか、すでにこの世にはおられない方々に対しても8分未二観は成立します。

ふたりが対峙して真剣に仕合うことのできる限定された時間の中で
「すべて終わる」というシンプルな事実が共有される場では、
ふたりの8分間が唯一無二の尊厳と意味を持ちます。

ふたりの存在が唯一無二の尊厳の時間の中に凝縮するとき、
球体となった時間の中にれっきとして生きている不可視の存在が輝きます。

円坐に生じるこの出来事は本当に驚くべきことです。

我々の人生とは「終わらねばならない刻限までを生きる」という一個の事実です。
我々人間は「最初から根本的に限定されている存在」です。

ではこの「限定」とはいったい何なのか?
ここに限定された生を生きるしかない我々人間にとって大変重要な問いが生まれます。

限定された時間とは、無限定の時間(永遠)のもう一つの顔なのです。
この認識は我々人類の「言葉」のベールも開きます。

無限の現象を限定して特定の事実を認識するための言葉、
意味付けして分け、分かり、誠実に用いられる言葉は、
世界を形作るすべての言葉と直接つながった「ひとつの小さな顔」です。

可視であれ、不可視であれ、事実に基づく誠実なひとつの言葉は、
その言葉を発する者がたとえ誰であれ、全世界の成り立ちすべてを含み、
全世界を代表する「ひとつの言葉」として存在すると言えます。

今回守人として参加するマニーことエマニュエル・ハーパーは、

「最初は英語と日本語だけかもしれんけど、多言語になる可能性もあるから
 『全世界全言語未二観』 っていう名前はどうかな。」

と言います。

全世界の全言語、すなわち全世界のあらゆる人々が、
未二観の8分間の中で、「ひとつのことばとひとつのせかい」になります。

それが円坐、影舞、未二観の背景にどこまでも広がっている
「円影未二」の空間であり、有無が一つになる空間です。

きくみるはなすかかわりあう「全世界全言語未二観」 第一回目のクラスを開講いたします。
どうぞこの冒険の旅路をご一緒いたしましょう。

有無ノ一坐 橋本久仁彦

こっちからはこんな景色を見て感じているけど、
相手は世界の向こうからはどんな景色見て感じているのかと関わりあうことは、
お互いの事を理解しましょうというものではまったくなく、
関われば関りあうほど新鮮でとても面白いです。

世間の目を気にしたり居場所を奪い合って自分の中をさ迷う人も円坐に来られますが、
他者を理解しようとして相手を切り離すのは
相手がわからないことに耐えられず自分から相手を切り離して
自分で自分を疎外しているのかもしれません。

これは国家間の関係に頻繁に見られる、世界情勢と同じ構造である気がします。

現代は多様性や相互理解をうたいながらその事がトラップや落とし穴となり、
自ら穴に落ちてしまい出れなくなってしまい、
それが緩衝材になるのでしょうか、もはや自分から出ようとしなくなるようです。
そんな時代なのかもしれません。

円坐で対峙したり未ニ観でお互いにふれていったりすることを
英語や外国語でもできたら面白いだろうなあと思ったのは、
広島弁の混じった日本語を流暢に話す、アメリカから日本にやって来た
マニーと出会ったからです。

マニーは英語と日本語の相方向からトランスレートしてくれるので、
マニーの言葉を辿ることで、もう一度相手の語ったことや自分の語ったことにふれることになり、
ちょっとしたニュアンスを感じたり、余白や余韻も感じたりします。

マニーと一緒にいると、毎回、タブラ・ラーサの状態で関わりあうことになるので、
とても新鮮で面白いです。そしてついに!

マニーと半年間「世界未ニ観」をする運びとなりました。

既存の外国語会話レッスンでは物足りなさを感じたり、
外国の方と会話するのが苦手であったり、
もちろん未二観や円坐そのものに関心がある方もどなたでもどうぞ。

世界未ニ観の旅、ご一緒しましょう。

マニーのYouTube案内coming soon!

有無ノ一坐 松岡弘子


マニーとの世界未二観が本格的に始動しました。
私がいまめっちゃ楽しみにしてるのは、 英語での「八分未二観」です。

マニーに向かって、八分間を語る。
普通の英会話の先生だったら、単語や文法の間違いを教えてくれますが
未二観の聞き手(辿者)になったマニーは
話者のわたしにとっての“空間”になります。

そこへ言葉(英語)を発していくのは
ふつうの英会話とは全然違う
未知への冒険みたいな英会話になりそうです。

わたしのたどたどしさも、間合いもすべてがマニーの英語空間に乗ってくるので、
たぶん教科書に載ってる英語や他の人がしゃべる英語ではなく
「マニーとのあいだで生まれる私の英語」が
話せるようになるのではないかなと予想しています。

ふつうの英会話やったら
自分の中にないものに合わせて話さなきゃいけないので
「間違ってないかな」と嫌な冷や汗をかきながらドキドキして話すし、
英会話の先生と会話するために、ある程度自分のテンションを上げていかねばなりません。

でもたぶん、未二観では「次どうなるんや」ってわくわくするドキドキで、
出てくるひとつひとつの言葉が自分の精神と直結しているので、
それが英語としてあらたに刻まれ、
本当の意味で自分の身になる言葉に なるのではと思います
(まだやってないので予想ですが!)。

とにもかくにも
聞き手の空間と互いの関係性もぜーんぶ含めた形での”英会話”は
世界初です。 楽しみ!

ご興味のある方、どうぞお越しください!
ご一緒しましょう。

有無ノ一坐 橋本仁美