くまもと 子ども・若者 “よりそい” シンポジウム 基調講演録
2024年10月、熊本市での「第13回 くまもと子ども・若者'よりそい'シンポジウム基調講演」の逐語記録を、「フレンズネットワーク」の石井 嘉寿絵さんが作ってくださいました。石井さんが小見出しを付けてくださってとても読みやすいです。有無ノ一坐と熊本の皆さんとのご縁の始まりになった講演を公開いたします。


<橋本久仁彦氏 講演内容>
皆さん、短い時間ではございますが、宜しくお願い致します。一人対沢山で喋るって、最近はあまりしないんです。オンラインで講義や講演をすることも僕の人生ではほとんどありません。
さて「傾聴ってなんだろう?」、ずっと考え続けてきたことではありますが、まず、今日こういう感じで座っていらっしゃる皆さんと、僕はどんな風に親しくなればいいんでしょうか・・・。
◆人間関係が変化
1970年代、僕は学生をやってました。60年代にはベトナム戦争があり、学生運動もありました。
その頃はスマホはなくて、好きな人に連絡をとる時は、彼女の家へ電話するわけです。すると親が出でくる。まず親との関係を作る必要があります。彼女と話をするまでには、いろんな「かかわりあい」を通って行かなければならない。ところが今はメールで簡単にいっちゃうのね。人間関係というものが、50年前と比べたら、相手にふれるために「いろんな人とかかわりあいを作って行く」ことがなくなって、オンラインで他者をはさまず簡単に、安易にやりとりするようになった。
コロナ禍の時、9時のニュースで大学病院の偉いお医者さんが「本当にその人のことを思うんだったら、会わないようにしましょう」なんて言ってて、衝撃でした。
誰が誰に会うのかということが、データ化され、リスク管理され、専門家を名乗る人々にコントロールされるようになってきた。
70年代に僕が通ってた大学で「人間疎外」というテーマの講義があって、情報(データ)を集めることを最優先するような生き方を「レーダー型人間」と名付けて、それは非人間的な在り方だと教えていた。「あなた」や「わたし」は客観的な情報やデータではなく、直接ふれ合って、ぶつかって初めて分かりあうかけがえのない存在同士であると。
80年代から90年代、そして2000年代に入ると、そういう授業は消えていき、「情報をしっかり集めて賢く使いましょう」という教えに変わってきます。
「人間疎外」という言葉も死語になって、その代わりに「ネットをどういうふうに使うか」「たくさんの人に情報を拡散して効果的に影響を与えるにはどうするか」ということを皆が学びたがるようになった。
美空ひばりさんが亡くなって、AI(人工知能)でひばりさんそっくりの姿や声を創り出し、それを観て「ひばりにまた会えた」と涙する人々や、里山の「どんど焼き」で燃え盛る大きな炎を初めて見て「スゴイ!まるでCG(コンピューター・グラフィック)みたいだ」という子どもが出てきました。
◆父の死
僕が中学1年の時、獣医をしていた親父が亡くなって、母が、僕を筆頭に弟妹の3人の子を育ててくれた。妹は未熟児で生まれてすぐ保育器に入れられ、医者が「この子には名前をつけなくていい」と言ったのを怒った母が保育器から出して連れ帰ったが、目と喉に障害がありました。
僕自身は親父を尊敬してたし、大好きでしたが、怒ったらすごく怖かった。だから親父の言うとおりに生きようとしてました。それがある日、劇症肝炎で、当時「ポックリ病」って言ってましたが急に死んでしまった。僕は親父のことを家族を守ってくれる大きな屋根のように感じていたのに、急に野原にひとりぽっちで放り出されたみたいに感じて「なに僕を残して死んどんねん!」みたいに腹が立った。父が居なくなった悲しみを本当に感じるまで結構時間がかかりました。
でも母は違ってた。一週間で髪が真っ白になって、すごく淋しそうに、悲しそうにしてた。母と父の間にはおとなの人間同士の愛情と信頼の関係があって、息子の僕とは感じ方が違うんだなと後で思いました。
母に聞いたことですが、親父の死に絶望した母が道頓堀川の川沿いを「飛び込みたいけど、子ども3人いるからどうしようかな」と思い詰めながら歩いてた時、たまたまビルの玄関の前で掃除していた「レレレのおじさん」みたいな人が、母のただならぬ様子に気づいて声をかけてくれて、ビルの中に招き入れて話を聴いてくれた。
このおじさんがいなかったら、今僕はこの世にいないかもしれないね。一生懸命生きてると、そんな風に誰かと出会って話を聞いてもらう節目、節目というのがあるんやね。
◆悩み事は専門家に!?
母が話を聴いてもらったのは、偶然出遭ったおじさんだったけど、そのビルは実は喫茶学校で、そのおじさんは校長先生だった。それが縁で母はその喫茶学校に入り、生徒さんたちも母の背中を押してくれて、妹の「りえ」という名前をとった「喫茶リエ」を開業して子ども三人を育てて生きていけた。
ここには一生懸命に生きる普通の人たちが、人生の節目、命がけになったその時にこそ、話を聞いてくれる人と出会い、人生そのものが変わっていくという事実がある。
ところがオウム真理教の事件があって、それまでは資格はなくても、皆さんのように苦労して叩き上げてきた人生経験のある人たちが話を聞いてくれてたんやけど、それが、「悩み事を話すのは、専門家に相談しないとオウム事件のようになるから、資格を持った人間に話すようにしましょう」というリーフレットが大学に回ってきた。
日本中のすべての大学に「話を聞くのは専門家の仕事だ。公的な資格のない人に個人的な悩み事は話さない方がよい」という御触れがでたんです。
アメリカの有名なカウンセリングの先生だったカール・ロジャーズさんは、本来自分が心から信頼した人にこそ話すべきことを、専門家の資格を掲げた人に安易に話させようとする社会の動きにもっと反対すべきだった、と言って死んでいきました。
◆生きてて良かったと思うことを
僕は60才回ってから人間として本当の青春に入ると思っています。
親父が死んだように僕も遠からず死ぬわけですが、中学一年の時に見た親父の死に顔が心に焼き付いて、テスト期間中の真ん中の日、昨日も試験、明日も試験という憂鬱なあの気分の状態で死ぬのだけは絶対イヤや、と思ってました。
だったらどうする・・・?「生まれて生きて最高に面白かった」と思うことをやりたい。
たとえば怪盗ルパンみたいに社会が許さない生き方であったとしても、心の底からほんとに面白いと思う道がそれしかなければ俺はやりたいと。
僕の高校時代の野球仲間で、プロからスカウトに来た人がいるのね。でも、小豆島出身で苦労した彼の母親は大反対。「そんなことで、長い人生どうするの。もっと堅実な仕事に就きなさい!」と。
最初は「夢を追いたい」と抵抗していたんだけど、母親がたまたま子宮筋腫になって、「ガンかもしれんからいつまで生きてるか分からん」と迫られて、長男だった彼はプロになるのを諦めた。その後、家に引きこもって、髪ボサーってなってました。
しばらくして社会復帰して、公認会計士になったんですけど、後年母親の墓参りに行った時、彼はワーッと感情がこみ上げてきて、墓石を蹴っ飛ばしたそうです。・・・・・
◆その人は世界に一人
縁あって皆さんと出会って、かかわりあいになったら、傾聴してようがしてなかろうが、“ここで会ったが百年目”じゃない?
僕の「有無ノ一坐」としての仕事の現場は「円坐」ですが、円坐の中で坐衆(参加者)と真剣に「出会った」なら、僕はその人と直接語るのはもちろんやけど、それ以上にその人と我々の「かかわりあい」について、有無ノ一坐の四人でいっぱい語り合います。それが有無ノ一坐の日常の「舞台稽古」になります。四人のその人についての見方はそれぞれ僕とは違うことが分かったりして、その人をいろんな角度から見つめて「その人と出会うこと」がどんどん深くなります。すると我々一坐の仲間同士の関係も「その人と真剣にかかわりあうこと」を通じてどんどん深くなる。
その場合、ネットや本で調べたり、他人が作ったスキルやメソッドを使うんじゃなくて、一人一人のナマの人間に「自分自身が直接向き合う」ことをやってます。だって、その人は世界にたった一人しかいないんだから。それを、本や理論や○○法など過去の情報や思考を間にはさんで色付けてしまうと、相手は「世界でたった一人の人」ではなくなります。
同時に自分のことも「世界でたった一人の人」という尊厳は感じられなくなって、お腹の底に薄い膜が張ったような虚しさと不安を抱えてしまう。そして人との関係をコントロールするスキルやメソッドにもっと頼るようになっていきます。
◆看板下ろした
母は87才で死んだけど、「死ぬの怖くないか?」と聞いたら、「思い出があるから怖くない」と言っていた。 どういうことか聞いてみるとそれは単なる記憶があるということじゃなかった。
病院の三階の窓際のベッドで寝ていたとき、亡くなった親父や友人たちがベッドの足元の方からすーっと動いてきて、母を見下ろして微笑みながら頭の方へ行く。母はうれしかったけど、その先には窓があって落ちるよ、落ちるよ、危ないよと叫んだが声にならなかった。
これが母の言う「想い出がある」ということで、亡くなった人々を非常に近い生きた存在として感じていた。
現実を忘れて不思議な言動をするお年寄りに「あんた認知症だ」と言うから落ち込むわけで、僕は認知症というのは「新しい認知に移行していること」だと思います。心理学ではそれを「妄想」だというけど、そんなこと言うんだったら、テレビや映画を観て泣いてるのも妄想じゃない?人は夢中になると、時間を忘れるじゃないですか。さて、どちらがリアルで本当なんだろう・・・?
物理的な世界の方が疑似的で、人間同士の一生懸命なかかわりあいの中にある目には見えない精神的な世界の方が本物だと僕は思う。それを「妄想」や「投影」として「心理学的に分かってしまうこと」ができなくて、僕はカウンセラーやセラピストやファシリテーターの仕事を長い間してましたけど、今は看板下ろして「橋本久仁彦、六十六歳、人間」というだけで仕事をしたいなと思ってます。
もし、「傾聴のやり方」を身につけたいと言われれば、2日もあれば身につけてあげられますよ。しかし、演題にもあるように「本当に大切な相手に向き合い、共に生きる時、傾聴という言葉を使うだろうか?」・・使わないね。ワークショップや研修で身につけた「傾聴」っていうのは、相手からお金が欲しい時とか、仕事上とか、「他人と肯定的ないい関係を作りたい」とか、実は相手とあんまり本気で関わりあう気がない時に「使ってる」んじゃない?
◆自分と他者が一つの世界に
たとえば自分の子が死の危険にある時とか、何かにすごく真剣になった時、我々は一心に相手のことだけ見ているんじゃないですか?時間も忘れ、自分のお腹がすいてることも忘れて相手の存在に向き合っている。これ、「傾聴」じゃないと思います。相手の表情や態度から伝わって来るものだけが世界の何よりも気になってます。真剣な時は、自分が「相手」になっている。相手と一つになってる。
量子物理学でもすでに同じようなことが言われてますが、独立した「個」というのはないんじゃないかという認識に、我々はちょっとずつ移行しかかっています。“「私」が「あなた」の話を「傾聴」する”と疑いなく信じている人のそばにいると、僕はなんだか苦しくなる。
例えば大谷選手が打つ時、ピッチャーを正面にとらえて向き合い、真剣に見つめて、まるで相手ピッチャーの一挙手一投足になりきってるようにみえます。脳科学的には、目でキャッチして頭が指令を出し、打つまで0.何秒か掛かる。自分の頭で計算して動くと時速160キロ以上の球をジャストミートするのに間に合わないはずなんだって。相手の動作を、まるで自分の動作のように感じて、ほぼ同時に、ふたりの距離や時間を超えて打つ。自分と他者が一つの世界に入るの。相手に起こった事が自分に起こった事になる世界。それは「共依存」ではない。断片同士の共依存ではなく「ひとつの全体」です。
僕がそれを発見したのは、仲間と実践してる円坐影舞という「かかわりあいの芸能」を通じてです。
円坐では相手の言葉を最後の「てにをは」まで聞き辿って相手の言葉に「なる」。影舞では相手の指先に自分の指先をふれて舞い、お互いが相手の指先に「なる」。円坐影舞の空間の中では他者と私は分かれていない。その分別のない全体性を、個人心理学の「傾聴」では捉えることができません。
それを捉えることができるのは人と人との直接的で真剣な「かかわりあい」の渦中に居る人であり、僕らにとっては円坐影舞の世界に入ることです。
ある著名なアメリカ人に僕が言ってることを英語に訳してほしいと言われた事があって、翻訳家に頼んでみたけど、うまく英語に訳せないと言われました。
英語は自分の事を全部「I(私)」と表現する。日本人は、主語が、オレ、ボク、わたし、こちら、手前などと相手によって言い方を変える。相手によって姿を変えて、相手に沿って生きることができる。
家と家や人と人の境も、日本は西洋のように石の高い壁を作らず、生垣や仕切りで示して自他の区別が柔軟です。数千年に渡って災害の多い小さな島国で生きてきた我々日本人は、相手に沿って、時にはみんなとひとつになって協力して生きる能力を持つ必要があった。
◆生きる理由
ナチスの収容所で多くの人が骨と皮になって、どんどん人が死んでいきました。その中にビクトール・フランクルという学者がいて、人々の生き様と死に様を仔細に見つめた。そしてすぐに死んでいく人と最後まで生き残る人の違いを見つけた。どうしても会いたい誰かがいる人、タンポポ一輪でも愛でることができる人、こういう人は生きるんだって。待っている人や逢いたい人がいない人、帰りたいと切望する風景がない人は死んでいきました。
生きる理由ってなんだろうか?僕らは「自己実現」したくて生きるんだろうか?誰かに共感して欲しくて生きてるんだろうか?誰かに肯定してもらうから生きる気になるんだろうか?僕は、皆さんがどんな風に生きてきたのか聴いてみたい。それはどんな映画より素敵ですよ。だってこの世界に一人しかいない皆さんの話ですから。一人しかいないってことがどんだけ凄いことか・・・。
◆記憶や思考について
「記憶」というのは、外側のきっかけで蘇る。他者と関わることで、自分の一つの思いがどんどん変わってきます。思考する内容は、自分の外から入ってくるんです。過去に勉強したことを内側からくみ出して、自分の脳で作っているんじゃないんですよ。
「考える」とは、「か・むかえる」から来ている。「か」は漢字で表すと「交」。剣と剣が真剣に交しあう時、カッ、カッ、というじゃないですか。カッて交わって相手を迎える。そして「迎える」は「みかえる」、つまり「身替える」から来ている。相手と自分が、交わり、迎え入れ、その身が入れ替わってしまうというようなこと。
◆親と子と命
小さいころ、野良犬に追っかけられて、家から飛び出してきたお袋に泣きながら駆け寄っていったら、お袋は僕を無視してそのまま犬に向かって走り、手を挙げて「なんしよっとかー!!」と叫んだ。そしたら犬はキャンと鳴いて逃げた。
お袋は本当に苦労したよ。一人で死のうとしたりね。だけど、必死で育ててくれた。
なぜ人を殺したらあかんのか。こんなものは、傾聴の前の前の話。子どもを3人産んで育てた女性が「生まれたものを殺すと、自分を殺した事になる。生まれたものは殺したらあかんと、子を産んで分かった」と言った。理屈じゃない。
「認知障害」って、分かるかな?子どもって、認知障害になるね。遊びに夢中になると、帰って来ない。
皆さんもなってますよ。寝てるとき、夢を見ているとき、時間・空間というのが崩れます。一瞬のうちに過去に行ったり、違う場所に居たり。こういうのを描けるのは映画とか演芸。
気をつけてよく見ると、僕らは時間、空間から外れていることが多い。時間・空間が外れて戻らないのが「統合失調」です。これは病気ということになってます。しかし「これは病気である」と断言できるでしょうかね。
母は大きな病院に入っていました。面談室の机に数値データの紙を並べて見せて、今退院すれば命が危ないと言う医者たちとやりあって退院させるのは大変でした。麻痺した片足を切断したばかりでまだ傷口がふさがっていなかったけど、家に帰りたがっていたので、粘って交渉して家に連れ帰りました。そしたら、とたんに回復が早くなって、医者が言うよりずっと長生きした。
在宅看護で、痰をのどに詰めないように吸引するんだけど、母の口の中に固いビニールの管を不器用に押し込もうとしたら、意識がないはずの母がすごく嫌がってビニールの管にガブッとかみついた。その力に驚いて僕が「うわ、かあさん離せ!かあさん離せ!」と叫びました。吸引のビニールの管を引っ張り合って、寝たきりの母と、とても力強くやりとりしました。その時の母の強さ、頼もしさは、野良犬を追っ払った母と同じだった。
もし「傾聴」という言葉を使うとしたら、この母と僕のありさまが「傾聴仕合う姿」です。皆さんもそうして来られたと思いますよ、何にも勉強してなくても、相手にふれるために、手探りで。大事な相手にはそうするしかない、それをお互いにやりあう。対峙し、仕合うんです。
◆ある「相談」をもとに
「淋しい悲しい気持ちを素直に言わず、暴言や暴力で発散してくる子どもに対して、どう寄り添うべきか悩ましく感じています。ねじ曲がった言葉に囚われず、素直に気持ちを話して欲しいと感じてしまいます。日々の積み重ねが大事だと思いつつも、子どもの言葉に乗っかって、やり合ってしまう。難しいなと感じています。どうしたらいいでしょう」
この相談について考えてみよう。‘素直に気持ちを話して欲しいと感じてしまいます’その通りだね。そう言ったらいい。‘日々の積み重ねが大事だと思っている’その通りです。でも、対策を求めてしまうんやね。
うまくいく傾聴の仕方とか、○○法みたいな「うまいやり方」が欲しくなる。皆さんもそうだと思います。人間関係ってイヤなこともある日々の積み重ねだもんね。でもね、僕みたいに「人間関係のうまいやり方」をたくさん覚えてしまうと、縁あって出会った相手と素っ裸になってやり合わなくなるんですよ。つまらん。
‘素直に気持ちを話して欲しい’とこの人は思ってます。悩み続けています。なんとかならへんかと、この人は考え続けてますね。対峙してる。大谷選手は時々三振するでしょう?その度に、どうしたら打てるか真剣に考えてる。彼も対峙してるのね。
僕が私立の男子高で非常勤講師やってた時、生徒は40数人いて、「教えない授業」をやってた僕は、みなが着席するまでに30分くらい掛かって大騒ぎでした。他の先生のクラスは、鉄拳制裁でやるからシーンとしてた。そのとき僕は24,5才。ある時、やっとみんな席に着いたころ、教室内で喧嘩が始まった。いつもはそんなことしない真面目な生徒同士で。
うわーどうしよう?止めるか、様子見るか?なんかいい方法はないか?その時、いつも教室の後ろの席に座ってるいわゆる番長格の生徒が、「やらせたれ」と言って机を四角に並べてリングを作って、その中にふたりを入れたの。そんで「気が済むまでやれ」だって!。僕は「これで俺もクビやな」と思いながら、それでも口を出せずに見てた。
皆が見てる中で最初は戸惑ってたリングのふたりは、とうとう覚悟を決めたのか今度はものすごく本気になって殴り掛かって、メガネが吹っ飛んだりしてもうヤバイ!ってなったとき、番長が鋭い声で「その辺にしとけや!」って言った。そしたら、喧嘩してたふたりはホッとした様子で急いで自分から席に着いた。リングの机を元に戻してみんなも席に着いた。全員が落ち着いて席に着くことを、その番長は数分でやってのけた。すげーなと思いましたね。
これが、いつまでも記憶に残り続ける「ひとつの全体的な人間関係」の生きた状況だと思います。
この相談者が悩み続けて苦しんでいることを、子どもは知っています。悩み続けている姿を僕は尊敬します。日々の積み重ねをそのまま続けてもらいたい。ただ、その子とのかかわりあいを話し合い、語り合う仲間はいてほしいね。
目の前で溺れている人がおったらどうします?「苦しいんだね」とか「あなたはあなたのままでいい」とか言って相手の「自主的な」「自立した」行動を待ちますか?皆さんのような方々は、我が身を省みず飛び込んででも助けようとしますよね。それで溺れかけたら、また別の人が助けてくれる。助けてくれた人が一生の「心の仲間」になる。命がけで助けた人もその人を死ぬまで忘れない。この世にはそんな人間関係がある。助け合いってのは命の掛け合いのことやねん。人間より面白いものないよ。そういう付き合いをしようじゃないか。
最近、父や母の最期の言葉を聴くのが辛いから「代行サービス」に頼むんやて。こんなのどう思う?人間と人間の命がかかった大事な関係の中に、社会サービスの専門家が入って代行するような社会は歴史上初めてじゃないかな。「はい?」って感じ。びっくりするわ。
肉親の死に寄り添わずにお金を払って他人に代行させる、かかわりあうのが煩わしかったら専門家にお金払って任せる、そういう社会になってきてる。僕やったら肉身や友人はもとより、大嫌いな奴でもかかわりあったなら傍におって欲しい。たとえ物理的にそばにいなくても必ずその人たちと生きた人生を思い出す。僕の母がそうだったように。
皆さんみたいなボランティア、いやボランティアと言うのも止めよう。みなさんのような世界でたったひとりの人が、もうひとりの世界でたったひとりの人と関わる時、彼らを癒してあげるんじゃない、彼らを気づかせたり成長させるんでもない、その人と一緒に揺らいで生きるねん。お互いに揺らいで生き合うねん。対峙して仕合うねん。仕合うと時間は関係なくなって、時間を超えてその人とわたしだけの空間が開く。それはふたりにしか分らない体験で、それでいいんです。
今度は皆さんの話を聴きたい。また会いましょう。熊本は大阪から遠いなぁと思ってたけど、一人でも会いたい人、一人でも憎い人がいたら距離は無くなって近くなるねん。僕はもうみなさんと会いたいと感じています。熊本がとても近くなった。あっという間で少し時間が押しちゃったね。すいませんでした。ありがとうございます。