未ニ観門前稽古 逢坂千代崎 千夜十二夜『聞く稽古』

皆様、初めまして。

私たちは「口承即興円坐影舞 有無ノ一坐」という「かかわりあいの芸能」の一坐です。「口承即興円坐影舞 有無ノ一坐」は、「円坐守人」を生業とし、日本全国津々浦々をドサ廻りさせていただいています。円坐守人とは、円坐の現場を創造する「かかわりあいの芸能者」のことです。円坐の現場とは、「巡り合った人間同士が、かかわりあう相手と自分をはっきりと生きる人生舞台」のことです。「口承即興」とは「生きた人間の言葉を聞くこと」で、聞いたとたんに「即あらわれる命のかかわりあい」のことです。我々円坐守人にとって「人の言葉を聞く」とは、「あなたが絶対確実にすでに目の前に存在している」という「かかわりあい」のことです。

「聞く」という行為には常に「あなたが絶対確実にすでに目の前に存在している」という「かかわりあい」が先行しています。本当に心を込めて繰り返し申し上げますが、「聞く」とは真っ先に「絶対確実にすでに目の前に存在しているあなたとわたしのかかわりあい」のことなのです。ですから聞く相手であるあなたがそこにいないなら「聞くというかかわりあい」はありません。

一般に「傾聴」や「聞き方」や「対話」「ダイアローグ」「リスニング」「ファシリテーション」と言った用語が使われるとき、そこに「絶対確実にすでに目の前に存在しているあなた」はいません。ゆえにそれらの用語の中に「あなたを聞く」という「かかわりあい」はありません。それらは操作可能になった物質的な概念の名称であって、「人間関係の取り扱い説明書」に記載されている情報用語です。

生きた人間関係を記号化し、概念化し、操作可能な対象物に置き換えた「取り扱い説明書」の中に、「絶対確実にすでに目の前に存在しているあなた」はいませんし、「あなたとわたしのかかわりあい」もありません。我々が「人間関係の取り扱い説明書」を学び、用語の知識にもとづいてワークし、エクササイズし、スキルアップすると、「かかわりあい」ではなく物質的な「人間関係の取り扱い方」に熟練していきます。物質的な人間関係を取り扱う専門家は「ワーカー」「ファシリテーター」「ティーチャー」「カウンセラー」「セラピスト」「コーチ」「トレーナー」等たくさんの名称を持っています。これらの人々が対人関係を取り扱う態度には顕著な特徴があります。

誰に対しても平等で均質的な態度であること。
誰に対しても伝わりやすい同質的な感情表現ができること。
誰に対しても分かりやすく概念化し、図式化できること。
誰に対しても共感し、肯定し、「自己実現」を促進できること。

「人間関係の専門家」の物質的、機械的、没個性的な関わり方や態度は、科学的なプログラムに基づいたワークやトレーニングによって「誰にでも身に付けられる能力」であると宣伝されています。彼らの仕事は、「過去の成績や実績から計算されたプログラムに基づいて傾聴や共感を施しファシリテート(促進)すれば、誰にとっても望ましい生産的な結果が出力される」という学習されたアルゴリズム(入力)によって支えられています。そしてそれらの仕事は、過去の情報に基づく操作可能な対人関係の手続きであるため、AI(人工知能)によって順次置き換えが進んでいます。

現代社会の中枢部ではすでに企画開発、事業、生産などの会議や調整をAIが能率的に遂行しています。ワクチン開発や医療全般、社会福祉、産業、経済の諸分野でもAIのプログラムへの置き換えが進んでおり、最近では日常的、個人的な人間関係の機械化も成立しています。例えば「ベッドから動けない障害者のため」という「誰に対しても分かりやすい理由」のもとに、遠隔でアバターと呼ばれる別人格を操作して、自分の思い通りの対人関係を別の場所に構築する機械的プログラムやシステムがすでに機能しています。

もし我々の精神が健康で、心身が一致した全体的な人間であるならば、自分が人間関係において人工的なプログラムの対象物にされ、操作され、取り扱われているとき、不満や怒りを感じます。それは自分が「モノとして、対象物として部品や機械のように扱われて生きている」と感じるからです。しかし19世紀以降、我々人類は唯物論的信念を強化し、物質科学的情報による再構成を繰り返して、物質的に無限に豊かになりたいという巨大な社会的欲求にもとづいた発展を続けてきました。そしてこの200年間の物質文化の急激な発展とともに、人間としての我々自身も自ら物質化しました。

そのため、21世紀の現代社会の人間関係では人間として直接向き合うことを避けて苦痛を感じなくしたり、人とかかわりあった事実を無かったことにして記憶から消去したり、人間の感情にポジティブやネガティブといった物理用語を当てはめて差別化し、心理的テクニックやワークを用いてコントロールするということが積極的に行われるようになりました。教育や医療、福祉の現場でも、煩わしく非効率な「生身の人間同士のかかわりあい」を「プロセス化」し、機械的な技法やファシリテーションによって無駄をカットし、目的に合わせて促進するといった実践が現れています。このような人工知能とテクノロジーの時代と社会の現実の中で、「口承即興円坐影舞 有無ノ一坐」はあえて、まだ生きている全体的な人間たちを代表して名乗りを挙げてみたいと思います。

「人間が話す」「人間が聞く」ということは、愛や友情や花や風と同じで、部分に切り離してしまうと消えてしまう全体的な「かかわりあうひとつの生命」です。この全体的な「生命とかかわりあう態度」への認識と確信は、「客観的な観察データ」や「繰り返されるワーク」の中からは生まれることができません。それらは過去の部分的なデータや機械的行為の直線的な集積にすぎず、「部分の集まりは全体ではない」からです。我々円坐守人にとって初めてお会いする皆様がすでに「懐かしい」のは、円坐という全体的な「かかわりあう曲線の時間」の中で皆様の言葉を聞くからです。

円坐守人は、常に現在に生きて流動する曲線的な時間の中で活動しています。それは「過去と未来」や「データと予測」といった直線的時間と直線的思考にはもとづかず、全面的な未知の時間の中で仕事をするということです。「円坐に坐る」とは、「全面的な未知の時空間につながる」ということ。その空間での時間経過は直線には流れず、いわば球体となって360度あらゆる方向から突然やって来るので予測することは不可能です。そのため「円坐」「刻限」「対峙」「仕合」といった有無ノ一坐の舞台言語に宿る精神は、直線的な時間のロジックを使って予測的に分かりやすく説明する直線思考の世界とは交わらず、断絶しています。円坐の現場でリアルタイムに生まれる「全体的な球体の言語」は、円坐や球体の時空間を離れれば直ちに意味を失い死んでしまう「全体に土着したことば」なのです。

「誰にでも分かりやすくする」ために円坐を部分や要素に裁断して編集し、矛盾する曲線部分は捨てて、直線的な言葉で合理的に、デジタルに説明すると、「生きた円坐のことば」は単なる概念機械の冷たい部品と化し、当の本人も「パターン化した機械的な言葉を繰り返す空っぽの人工的な存在」になってしまいます。今や現代人の多くがそうであるように、全体から生まれる「ことば」を忘れて人工的な異形の姿となった自分自身をどうしたらいいか分からず漠然とした不安を感じているとき、「全体的な人間と人間が直接はっきりとかかわりあう円坐」は「人生で一番怖い」ものとなりえます。しかし、自分や他者の異形の姿と対峙して向き合い、仕合う覚悟を決めて円坐の時空に坐る時、苦痛だった他者との真剣なかかわりあいは、この世のすべての文化を生み出してきた創造的な母体としての「あなたとわたしのかかわりあい」に変容します。

今、円坐守人は、現代社会の直線時間を結界して円坐という球体の時間を開きます。円と球は次元がひとつ違うだけの同じ場所です。円坐守人は、自分が開いた円坐の中で、我々人間の「元の姿と元のことば」を見つめ、敬意を払い、かかわりあいます。円坐とは「全体的な人間」という「ふるさとに帰るかかわりあいの芸能」なのです。

「ふるさと円坐街道」や「未二観玉手箱」「影舞山月記」「ふるさと相聞茶堂」などの名称は、以上のような事実認識に基づいて生まれました。西暦2025年の早春3月末日、口承即興円坐影舞 有無ノ一坐は、直線時間に支配された現代社会を生きる方々との「きくみるはなすかかわりあう」ご縁を祝賀し、「未ニ観門前稽古 逢坂千代崎 千夜十二夜『聞く稽古』」を開催いたします。よろしければどうぞご一緒いたしましょう。

口承即興円坐影舞 有無ノ一坐 
橋本久仁彦 松岡弘子

生きたる永久(とわ)が人に成る
円影未二の現場とは
目には見えない円坐道

あなたと歩く門前の
千代の御崎の柿の木亭
頬染め辿る言の葉は

難波の国の逢坂の
ふたりを映す蓮の露

< 未ニ観門前稽古 逢坂千代崎 千夜十二夜『聞く稽古』 >

日時:

2025年3月29日・4月19日・5月17日・6月21日・7月19日・
8月16日・9月20日・10月18日・11月15日・12月13日・
2026年1月17日・2月14日

【全て土曜日 19:15〜21:30】

守人 :

有無ノ一坐 橋本久仁彦 ・ 松岡弘子

会費 :

全十二夜参会 60,000円(一夜 6,000円)

場所 :

大阪市西区千代崎 有無ノ一坐スタジオ

お問合せ・申込:

enzabutai@bca.bai.ne.jp 橋本まで 

有無ノ一坐 : https://umunoichiza.link

未ニ観門前稽古 逢坂千代崎 千夜十二夜『聞く稽古』 では、
自分が今どんな影響を及ぼしているかについて客観的視点と舞台空間で稽古します。

【 第一夜 】 「聞く」態度に意識的になる 
【 第二夜 】 自分の「聞く」態度について知る

参加者同士で、聞く態度による相手からの反応やふりかえりを通じて影響を知ります。

【 第三夜 】 相手の「聞く」姿勢を考える
【 第四夜 】 相手と「聞く」姿勢を考える

舞台上で向き合い、八分ずつ、相手の言葉の「てにをは」まで「聞く」実践 です。

【 第五夜 】 存在を「聞く」稽古をします
【 第六夜 】 間合いや周囲の音も「聞く」

録音した音源にもとづいて逐語記録を作成し、レビューする「聞く」稽古です。

【 第七夜 】 空間になって「聞く」
【 第八夜 】 「聞く」と時間になる

八分間の相聞舞台をその場でレビューする「聞く」稽古です。

【 第九夜 】 相互に影響しあうお互いの背景
【 第十夜 】 レビューとインタビューの相違

向き合った相手の存在と言葉に丁寧にふれあうと、背景や周囲の音とも関わりあう円坐舞台になります。

【 第十一夜 】 向き合って、ふれて話すことは聞くことです
【 第十二夜 】 ふれあう言葉の先に、未知の花咲く円坐舞台

以上。