音遊び円坐 〜音楽と会話と人間関係〜 ご案内

音遊び円坐 〜音楽と会話と人間関係〜

【日時】4月13日(日) 13:00〜16:30

【場所】板橋区内(申込頂いた方に詳細案内を送らせていただきます)

都営三田線 本蓮沼駅A3出口より徒歩9分
  〃   志村坂上駅A1出口より徒歩8分
国際興業バス 池袋駅西口ー高島平操車場(池20)間 「小豆沢」下車4分
国際興業バス 赤羽駅西口ーときわ台駅(赤53)間 「志村一丁目」下車3分

【参加費】 5,000円

【守人】 橋本仁美(有無ノ一坐)

【申込・問合せ】 ロー助(益子智美)
        rosa.09.10.71@gmail.comまたはfbメッセンジャーまで

★当日使いたい楽器がありましたらぜひお持ちください。

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~橋本仁美よりご案内~

人間関係でも、なにか夢や目標を達成する場合でも
「なりたい自分・在りたい自分」という理想をもつのは
素晴らしい事ですが、
その「なりたい自分・在りたい自分」のイメージと
いま現在の自分とは、かけ離れていることのほうが
圧倒的に多いものです。

そこで「あぁ‥」とうなだれ
元気を失ってしまうと
理想へ向けて進むことすらできなくなるので、
そのかけ離れた状態や場面を
どう楽しんでいくか、ということも、
理想を追いかけるうえでは
大事なことと思います。

理想と「かけ離れた」と感じられるということは、
自分と理想との間の距離をしっかりと
把握できたということなので、
理想へ向けての一番正確なスタートラインに
立てたということになります。

円坐でもよく起こるのですが、他者との関わりあいのなかで
理想の自分と現状との差を体感し、せっかくスタート地点に立てたのに
理想にしている自己イメージと実際の自分との
かけ離れ具合が辛すぎてリタイアしてしまう人が多く、
それがとてももったいないなぁと感じています。

言葉のやりとりだと誤解しあってややこしくなることが
多かったりもしますが、
音楽を通すと意味や解釈に捉われないところで体感的に
やりとりができたり、気楽に実験的に動いてみたりということも
できるのではないかという思いもあり、
今回、益子智美さんに主催いただく形で
東京で音楽を用いた円坐的な場をひらくことになりました。

人間関係でのやりとりを、会話だけにとどまらず音楽も使いながら
自由な人間関係、また同時に自由な音楽も模索してみたいと思います。

他人と関わり合うことに難しさ窮屈さを感じる方、
また、音楽の演奏にハードルの高さを感じる方など
このご案内にご興味湧かれましたら
どうぞご参加をお待ちしています。

【以下、やってみようと思っていること
(参加された方と話し合いながら進めるので
内容は若干変化する可能性があります)】

●音で円坐
●音で円坐したものを録音して影舞
●音で影舞(未ニ音ズ)
●ルールに縛られずに演奏/作曲 など

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・・・

「音遊び円坐」をやるにあたっての仁美の思いあれこれ

①【音楽と人間関係、の仁美なり視点】
影舞は身体感覚に特化したコミュニケーションですが
音楽や言葉のやりとりは音でのコミュニケーションです。
特に音楽は「言葉になる前/意味を持つ前の音」であったりもして、
ときには言葉より速く雄弁に伝わる伝達手段にもなります。

また、音楽と言葉は同じ音なのに、 言葉を話す時は左脳を使い
音楽するときは右脳を使っているという事も、考えてみると面白いことです。

私は、今でこそ人間関係を実践する現場をつくる「円坐」を
仕事にしていますが、もともとはよく緊張していたし人付き合いが苦手でした。
言葉を相手に伝えようとするときに頭の中で変にこねくり回してしまい、
結局自分が望まないことを起こしていました。

そんな私にとっては音(音楽)は相性が良かったのか親しみやすく、
頭の中でこねくり回さなくても直感的に出せるものでした。

円坐や影舞・未二観を続けていくにつれ、
人間関係を“舞台”のように捉えられるようになってゆき、
音楽を演奏しているときの感覚が人付き合いのなかでも
出てくるようになりました。
言葉の意味に囚われすぎたり相手にどう受け取られるかを考えすぎることなく
楽器を鳴らすような感覚で無意味に自由に言葉(音声)を発せたり、
相手が話す内容の意味はわからなくとも
その音(声)の出し方になにかのニュアンスを感じ取ったり
逆に、相手が言っている事は頭では大変納得できて申し分ないのだが、
声のトーンに違和感がある!というような直感的な関わりをしたりと、
柔軟に対応するようになりました。

そうやって人間関係を音楽的・体感的に捉えられると
人間関係はしんどい辛いもの、から、面白いもの!になってくるので
まずは音楽を自由に楽しむところから始めて、
音楽も会話も「こういう捉え方でもいいんだ」
と気軽なものとして感じてもらえたらと思っています。

②【会話への苦手意識/音楽への苦手意識、について思うこと】
言葉でのコミュニケーションが苦手な人もいれば、
音楽を演奏することに苦手意識を持ってる人も結構おられます。
どちらも、言葉なら「会話の正解」、音楽なら「音楽の正解」を習ってしまったために
苦手意識が芽生えてしまったのではないかなと思います。

音楽にも長い歴史があるので、たとえば「ジャズはこうだ!」などの理論があるのは
たしかなのですが、それは「こうなったらこうなるよ」という原理や力学や、
「一緒にジャズをやりましょう」と約束した人同士が
演奏するうえでの必要なルールを示しているだけであって、
「音楽」それ自体にはなにもルールがなくただその場で生まれてくるので、
演奏するにあたり様々な音楽理論を参考にしてみるのはいいけれど、
規範にまではしなくて良いと思うのです。
そういったところで、 参加してくださるみなさんとあーだこーだ
言いながら色々試してみれたら最高です

当日使いたい楽器がありましたらぜひお持ちください。

以下、関連用語について簡単に説明

◇円坐(えんざ)・・・参加者は円になって座り数十分から数時間、ときには数日を共にすることもあります。
テーマや議題・ルールが一切ないので予測できない様々な関わり合いが生じ
どのような展開になるかわかりません。そのため人間関係を実践的に練習できる稽古場になります。

◇影舞(かげまい)・・・2人がお互いの指先を触れあうところから始まる即興のムーブメントです。
会話のかわりに指先から相手を感じ、その感覚に応じて動くことになり、
2人のやりとりと関係性がそのまま動きに現れ、組み合わせによって千差万別、
それぞれのペアにしか出せない人間模様を楽しめます。また、1対1のサシの人間関係の稽古になります。

◇未二観(みにかん)・・・およそ8分間、2人が向きあい、1人が聞く空間となり、もう1人が自由に語ります。
聞き手に聞く能力は必要なく、聞き手の存在自体がすでに語り手の傾聴空間になっているという
語り舞台です。舞台空間をしつらえることで日常的な語りが舞台作品のごとく立ち上がってきます。

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~主催の益子智美さん(ロースケ)よりご案内文~

やっと仁美ちゃんとの〈音〉を使っての場!!
嬉しい、わくわくしている

私は小学生の頃エレクトーンを習っていた
というよりも習わされていた
練習が嫌いでいつもサボっていたから
新しく入ってくる年下の子達にどんどん追いつかれては抜かされていく
良かったのはドレミファソラシドがテストに出ても正解できた事くらいだ

その後高校に入りスカバンドをやろう!とか盛り上がり
彼氏がトランペットを持っていたこともありやってみたが挫折
ギターやベースもタコが出来るほど夢中になれなかった

音楽を聞くのは好きだ!
けど
自分には楽器を弾く才能はないな!と
楽器に音を出すものに触れることが何処か怖くなった

これって円坐や影舞でもよくある事で
自分の理想(想像)とは違う
自分の言葉(音)や動きをして
なんか、あぁ…と(勝手に)落ち込んで怖くなってしまう

動かない(何もしゃべらない)が続くと
その機能が古くなったかのようにぎこちなく感じて
また、あぁ…となる
変な自虐ループに陥いる

私はよく怖いって言葉を口にしてる
漠然としていた怖さに感触が出来てくると
その裏に何があるのかな?という興味も同時にわく

怖いをそのまんまにしておく事の方が
むしろもっと怖くてせっかくのこの時間(生きている)を台無しにしてるんじゃないか?と
のそりのそりと動きだす

どんな事するのか 仁美ちゃんに聞いてはみたけど
全くもって未知なので想像もついていない
とにかくやってみないと何処にどんな風に繋がっていくのか
いや!実はすでに繋がっていたのか
もわからないので、とにかく皆さんのお越しをお待ちしています!

ロー助