熊本・火の国円坐

九州は肥後の国、熊本市で初めて開催される「円坐舞台」のご案内です。
名付けて「熊本・火の国円坐」。

熊本市在住の中村雅孝さんが命名してくださいました。
大阪人の僕にはとても名付けることのできない土着の名称を頂き光栄に思っています。

「土着」ということを大切にするのは、円坐の本質が傾聴や共感や対話などの人間の作為ではなく、「土地」であり、「場所」であり、「風景」であるからです。

そして円坐に坐る「人間」の本質も、「位置(そこにいること)」であり、「空間」であり、「時間」であるからです。

去年までまったくご縁のなかった熊本の地にご縁が生まれ、有無ノ一坐は円坐旅の大切な「歌枕の地」を新たに恵まれました。

円坐衆が帰るべき「ふるさと」がまたひとつ花開いたということです。

かかわりあいになった円坐衆と道行を共にする円坐旅、「ふるさと円坐街道」は、「たった一人のその人のふるさとを歩き、坐ること」を通じてこの世界の隅々まで続いています。

「たったひとりの円坐衆とのかかわりあい」が、世界の果てのどんな小さな集落にも辿り着いて円坐舞台を立ち上げます。

そこがその方の「ふるさと」であるならば、それは我ら円坐衆の「古里」でもあるからです。

「ふるさと」は円坐衆の「かかわりあい」の中で新しい実体を持つゆえに。

円坐に共に坐った山下さんの串木野(鹿児島)も、吉川さんの四万十(高知)も、臼杵さんの三豊(香川)も、ヒロの江田島(広島)も、前っちの古座(和歌山)も、泰ちゃんの武生(福井)も、三輪っちの金沢も、まなびーの軽井沢(長野)も、みっちーの日の出町(東京)も、加倉井さんの鹿放ヶ丘(千葉)も、じゅんきの鷹栖(北海道)も、アンジェリカさんのドネツク州(ウクライナ)も、マニーのノースカロライナ(アメリカ)も、岳さんの内モンゴル自治区(中国)も、コンボーンさんのリング村(カンボジア)も、ミケラのパドマ市(イタリア)も、

円坐のかかわりあいの中で実体となり、我々円坐衆の新たな懐かしい魂のふるさととして帰るべき場所になります。

この度、熊本市在住の中村雅孝さんとのかかわりあいから導かれた、新たな土地と魂への円坐街道の「道開き」を、ここにご報告いたします。

口承即興円坐影舞
有無ノ一坐 橋本久仁彦

「“火の国円坐”という名は瞬時に浮かんだが
実は私は鹿児島生まれで

あの真っ黒な桜島をこよなく愛し
その圧倒的な存在感と精神性に共鳴している。

なので
“母性”さえも感じさせる阿蘇の緑と優しさをイメージさせる名前かも知れないが

その実態は
容赦なく火を吹き、巨石をも吹き飛ばし、
瞬時に辺り一面を制圧する“桜島の男性性”かも知れぬ。

(火の国円坐は)
対面でも電話でも、1対1で6~7時間が当たり前の私には
あまりにも短すぎて

本音は2日がかりでお願いしたいくらいだが
“きっかけ”の口火や導火線にはなり得る“稀有な体験”になるはずだ。

とは言え
私はまだこれが二回目の円坐ゆえ

万一、“大言壮語”で果てたならば
次の火の国円坐で“存続”を賭けるのみ。

依って
“嘘でできた世界”に甘んじ
“自分”どころか
“人”かすら危うい者達への
これは火の国熊本からの紛れもない宣戦布告である。」

(出会いの経緯など)

もはや熊本では"傾聴"で私に並ぶ者はいないと感じ"傾聴もどきだらけ"に辟易していた私は、その"傾聴"に関して初めて目にした刺激的な演題に惹かれ、名前すら知らなかった橋本先生の講演会に参加した。

その思いの強さが私を最前席に座らせ、先生にお声を掛けられ、その場でのやり取りがどれもごく自然でスムーズだったのも、冒頭から徹頭徹尾、共鳴し共感できていたからだ。

なので、講演会終了後の先生との立ち話は、あっという間に30分に及び「ぜひ熊本でも円坐を開きたい」と仰って頂いたのが"火の国円坐"の始まりだ。

思えば、あのシンポジウムが"二部構成"になっていたからこそできた"立ち話"で、先生の講演会だけで終わっていたら"火の国円坐"は生まれなかった。

お互いの六十余年の生き様や生い立ちを経て初めて交じり合った"軌跡"。さらにあの席が空いていた等のそこに至る様々な"奇跡"を思えば、まさに『門を叩け!そうすれば与えられる』この名言しか浮かんでこない。

「立ち位置は同じ」というお言葉もうれしかったし「京都で陰陽師と言われた」と笑っておられた先生の笑顔は忘れ難い。

そして
初めて参加した"博多円坐"は
まさに"言葉の刃"が飛び交い"自らの生き様"を賭けた"現代の関ヶ原"だった。

"火花"を散らすほどに"自分の屍"が心の奥底からおぼろげに浮かび上がってくる
あの"衝撃"と醍醐味こそが"時間が足りない!"と私が痛感した所以だ。

とっくに"辿り着けたつもりで満足していた私"に"まだ先"があると気づかせてくれた場所。
人は、自分と同じレベルかそれ以下としか関わらなければ、自らを退化させる"勘違い"には気づけない...

"修羅場"の後のまるで戦友同士のような打って変わった雰囲気も、初めて知る感覚で心地よかった。

☆★

皆様、初めまして。

私たちは「口承即興円坐影舞 有無ノ一坐」という「かかわりあいの芸能」の一坐です。

有無ノ一坐は、日本の各地を旅して円坐を開いています。
円坐とは丸くなって坐る「かかわりあいの現場」のことで、どなたでも坐ることができます。

この広い世界にたったひとりしかいない「あなた」と、
たったひとりしかいない「わたし」が、「かかわりあいになる」ことはひとつの奇跡です。
かかわりあうと、あなたとわたしの人生がはっきりと輝いて、生きることに筋が通ってきます。

今回、有無ノ一坐は熊本県で「火の国円坐」を開催することになりました。
円坐では自然に、「きくみるはなす」稽古と「かかわりあいになる」稽古をすることができます。

人とかかわることに関心を持っておられるすべての方々をお誘いいたします。

口承即興円坐影舞  有無ノ一坐
橋本久仁彦 松岡弘子 橋本仁美 橋本悠

<第一回 熊本・火の国円坐>

【日程】
2025年4月16日水曜日 10 時 15 分〜16 時 45 分

【会場】
中央公民館 5 階 和茶室
(熊本市中央区草葉町 5-1)
・水道町バス停から徒歩 4 分
・熊本市電水道町電停から徒歩 5 分

【参加費】
5千円

【申込み
enzabutai@bca.bai.ne.jp 橋本久仁彦まで

☆★☆

このたび九州熊本にて「第一回熊本・火の国円坐」が開催される運びになりました。
ご縁とは本当に不思議なもので、ご縁を通じて、出会うべくして出会う人がいます。

はかた円坐〜縁起をまとうで、ご一緒しました熊本の中村さんにもう一度会いに行こう、そして熊本の方々とも円坐をご一緒したいという思いで今回早い時期から熊本行きの航空チケットを探して手配しました。

人間が生きていくうえで多難を乗り越えるのに必要なものは、過去を克服するために身につけるスキルでもなく、どんなことも解決でき克服できるようなすごい人になることでもなく、

ただ相手の前にずっと存在し続け相手と本気で関わりあう人間としての「覚悟」と「努力」に尽きるのではないでしょうか。

中村さんとはこの先長いスパンでおつきあいさせていだくことになりそうです。一寸先は未知ですがなぜかとても楽しみです。

そしてこれから新たにお会いする熊本の皆様との新たな旅路を楽しみにしています。

口承即興円坐影舞 
有無ノ一坐 松岡弘子