第11回 はかた円坐〜縁起をまとう

北海道の鷹栖での円坐は、白い帽子をかぶった大雪連峰の雄姿をはるかに臨みながら、春五月のまるで天国のように美しい花の絨毯と緑の大地の真ん中に建つ一軒家、湯本家の二階座敷で開催されました。

鷹栖円坐に毎回参加し続けてくださる、大雪最高峰の旭岳のような存在感を放つ「まこちゃん」は、我々が北海道にこの人ありと信頼するまぎれもない「北の侠客」です。

彼女の言葉や生き様にふれるたびに「ひとりの全体的な人間」が発揮する尊厳と温かさを味わうことができます。

そして、今回我々が来道する姿を見つけて下さって、札幌から車で駆けつけ旭川のイオンの「暖龍」で初めて有無ノ一坐と対面した宮本奏(かなで)さんと円坐に坐ったことは、深いご縁の成就となりました。

まこちゃんと奏さんの未二観舞台でふたりの間にあふれた涙は、周囲の色とりどりの花畑や鳥の声と交響していました。

それは、北の大地に咲いた8分間の「まるごとの人間の対話」でありました。

じュんきのお家の緑の庭でふたりの未二観舞台に立ち会った我々は、言葉をまったく使わずに、奏さんとまこちゃんと我々の北の大地での新たな再会を確信し、「時間を超えた8分間」を分かち合ったのでした。

我らが一味、北の守人「唄うたいのじュんき」は、奥様や子供たちとともに、人間としての存在感をこの一年で大きく深めていました。

じュんきの家の空気感が、一年前よりもさらにずっと滋愛あふれる明るい光になっていて、我々を瞠目させたのです。

「次は札幌かな。」と次回の円坐を予言して颯爽と走り去ったまこちゃんを見送り、橋本悠が奏さんの車の助手席に、我々はじュんきの車に乗って、北の円坐の里、鷹栖を後にしました。

今日の「生駒石切円坐守人十六番稽古」を終えたら今週は九州へ向かいます。

九州の円坐侠客連筆頭、博多の潤ちゃんや九州の円坐衆が、日本列島を間にはさんで北の円坐衆とともに円坐舞台であいまみえる祝祭の日を、僕は本当に楽しみにしています。

彼らは、我が円坐人生で必然的に巡り合うことになった魂の旅の仲間達です。

円坐侠客衆と坐ることで放たれる円坐舞台の意識空間は、日本列島という時空を超えて異なる民族の人々をも大きく包む位相を示しています。

ではここからは九州博多へ向かう有無ノ一坐、松岡弘子と、はかた円坐主宰、吉次潤氏の言葉に引き継いでもらいましょう。

よろしければぜひご高覧くださいませ。

有無ノ一坐 橋本久仁彦

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昨年より有無ノ一坐は、じゅんちゃんこと吉次潤さんとのご縁で博多へ毎月参るようになりました。
じゅんちゃん目指して会いに行く以外何も無いそんなところに「はかた円坐〜縁起をまとう」は生まれ回を重ねてきました。

じゅんちゃんがいる。
だから、会いに行く。

自分という者にとって圧倒的な「他者」と一緒に円に坐ると、ご縁も生まれ因縁も生じてきます。
同時に、退っ引きならない真剣な円坐の関わりあいは、様々な人間同士の姿をあらはにします。

時には、火花が散ったり、大きな静かな時が流れたり、人と人の間には複雑に入り組んで流れる、直線的な流れとは別の球体の位相の流れがあるようです。

今日、義母と未ニ観をしました。

「未ニ観の未ニは?」という義母の問いから入っていきました。

そして、阿武川の河口を開拓し漁港と村をつくった義母の曾祖父達の偉業を「これぞまちづくり!」と、讃える明るい笑顔と、

龍馬も泊まった馬関(今の下関)の旅館から、曾祖父が曾祖母を連れて来たくだり(毎回登場する場面です)を語ったところで、今日の未ニ観は終わりとなりました。

こんなふうに、もうかれこれ何十回も未ニ観をして、話題としては毎回同じ話なのに、展開が毎回違ってて、義母の少女時代の萩の景色が新鮮に潤いひろがるのは、大変不思議です。

毎月博多へ行くのがとても新鮮なように、未ニ観による義母の萩往還の旅路も毎回新鮮です。

それでは、吉次潤さんより『第11回 はかた円坐〜縁起をまとう』の宣言文です。ご賢覧いただけましたら幸いです。よろしくお願いいたします。

有無ノ一坐 松岡弘子

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「はかた円坐-縁起をまとう」
 -人間と人間が関わり合うということ-

昨年から開催をスタートした「はかた縁坐舞台-縁起をまとう」。
ご縁を重ねて11回目の開催となります。
2025年5月25日(日)に有無ノ一坐の皆さんをお迎えして円坐を開催いたします。

有無ノ一坐を率いる橋本久仁彦さん・くにちゃんと初めて会ったのは、
2015年1月に奈良で開催された「ひとの居場所をつくる人フォーラム」でした。

ひととかかわる仕事を長年続けながら、思うようにいかないことが増え続け、
何かを求めて、奈良に向かったことを今でも覚えています。

くにちゃんの話を、もっと直接聞いてみたいと思い、
そこから、長崎、宮崎、福岡といくつか一緒の場に参加してきました。

その時その場でご縁があった参加者の方々と円坐をご一緒すると、
誰かと出会いながら改めて自分と出会うことが起こります。

有無ノ一坐の皆さんと一緒に坐ると、言葉があっても無くても、
様々な因縁・縁起にまとわれた自分が映し出されます。

映し出された姿を、良くも悪くも意味づけることなく、
ただありのままに観ることで、自分を取り戻す気持ちになります。

円になって座ることで、そこに居るだけで、生きていることを思い出す…
そんな感覚です。コロナが酷かった頃に、息子と一緒に座ったことも貴重な機会でした!

円坐は、生きることの稽古、生きていることを実感するための稽古なのかもしれません。
興味を持っていただいた方々と一緒に居ることを大切にしたいです!

<ご参考> 2017年7月に始めて円坐に参加したときの感想です

円坐に参加して改めて感じたのは、誰かに話すことによって自分がよりわかる、クリアになるという感覚です。言葉に出す、話すことで、自分が浮き彫りになる感じで、「自分が現れる」ような感覚になります(上手く表現できずにすみません)。

その一方で、何か上手くいかない時は、他者の眼を気にしている(誰かに認めて欲しい)ことが多いと言えます。逆に他者の眼を気にしていることで、集中できずに上手くいかないのかもしれません。気にする程度の問題もありますが、いずれにしても上手くいかない時ほど「心ここにあらず」という状態です。

「誰かがいなければ」と思いつつ、「誰かがいると」、この間を行ったり来たりすることが大切ではないでしょうか。

「一人で…、自分で…」と言っても、誰かがいなければ、自分もいないわけで、一人でやってる、自分でやっているというのも、誰かとの距離感の中で成立しているものだと言えます。当たり前ですが、誰かがいるからこそ、自分もいると言えます。

吉次 潤

「はかた円坐-縁起をまとう」

日時:5月25日(日)10時-17時
場所:ヒューマナイズ オフィス
 (福岡博多区博多駅東2-17-5 ARKビル)
参加費:10,000円(税込)
申込方法:氏名、連絡先(メール、電話番号)を記入の上
 下記アドレスまで(event@humanize.co.jp)まで申込みください。