熊本・阿蘇 円坐影舞~五輪の書
阿蘇外輪山に抱かれた、湯のまち内牧にて、このたび、有無ノ一坐をお迎えすることとなりました。
円坐というものが何か──
正直に言えば、まだうまく言葉にはできません。
でも、身体が心が、少しずつ知ってきている気がします。
誰と、どこで、「ともに坐る」のか。
そして、坐ったとき、何が起こるのか──
それはまさに、起こってみないとわからない不思議な出会い。
静けさのなかに、そっと波紋が広がるように、人と人、場と記憶、そしてその人の奥深くにある何かと
触れ合ってしまう瞬間があります。
今回の舞台となるのは、友人が繋いでくれたご縁、
ご両親の残された家を民泊として再生しようとされている阿蘇の地。
その想いと記憶が宿る家に、新たな出会いが重なっていくこと──
まさに、円坐にふさわしい場になる予感がしています。
どうぞ、どなた様もご一緒いただけますように。
越名智美
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暑い真夏7月17日水曜日と18日木曜日に「熊本・阿蘇円坐影舞~五輪の書」を開催いたします。
第一回火の国円坐に来てくださった越名智美さんの御縁にて阿蘇に参ります。
九州や東京、北海道などで、すでに実績のあるファシリテーターやグループリーダーの方々と円坐に坐るようになってきました。
日本には1960年代にパーソンセンタードと呼ばれる非構成ファシリテーションが入ってきて、70年代80年代にはエンカウンタームーブメントとして隆盛を見ますが、その後90年代以降、実施時間を管理して行われるゲームやワークを用いて、組織や体制が発注した時間内に出来事を納める構成的なファシリテーションが台頭し、非構成的アプローチを駆逐していきます。
現在では、人間関係をすべて「やり方」ととらえ、「多様性」を損なわず、誰の立場も「損なわず」、誰の「命や心も傷つけず」、みんなが同じようにウィンウィンの関係になれるという潜在的な平等概念、企画の前提、出来事の予定調和で進行する「構成的なかかわり方」が花盛りです。
90年代からさらに35年が過ぎて2025年、構成的な人間関係を積み重ねたファシリテーターや、ファシリテーションを受けてきた参加者の心身に、いったい何が起こっているのか振り返ることのできる時期になっていると思います。
「人間関係」は、我々が「本当に人間存在である」ためのもっとも基本的な土台であり、誰もがこの世と言う「人間関係」の中に生まれ、あの世という「人間関係」に向かって去っていきます。
宗教や芸術、哲学や心理学はひとつに融けあうことができます。
満を持して円坐に坐る気骨あるファシリテーターやグループリーダーたちとのかかわりあいの中で、我々が確認するのは、バラバラにしたものを再び一つのものとしてとらえる新たな、全体的な人間科学の萌芽です。
円坐影舞未二観を「かかわりあいの芸能」としたのは、芸の世界には有無を言わさぬリアルな他者と舞台と生き様があるからです。
口承即興円影未二の有無ノ一坐は、あらかじめ出来合いの概念で場作りを構成せず、直接他者を生きる円坐舞台を「関係芸能」と掲げて日本全国をドサ廻りしています。
有無ノ一坐 橋本久仁彦

< 熊本・阿蘇 円坐影舞~五輪の書 >
日時 : 2025年 7月16日(水) 〜 17日(木)
場所 : 熊本県阿蘇市 湯のまち内牧
円坐守人 : 橋本久仁彦 松岡弘子 橋本仁美
参会費 : 30,000円
宿泊:参加申込の方に詳細をお伝えします
※宿泊費・食費・ガソリン代・高速代など別途実費は各自負担となります
申込 :soumon.enza@gmail.com 松岡


このたび、熊本阿蘇にて、初の円坐影舞〜五輪の書を開催いたします。
4月16日に開催しました「第一回 熊本・火の国円坐」の翌日に「熊本・阿蘇円坐影舞〜五輪の書」の種子がうまれました。
わたしの知る宮本武蔵は、岐阜の関ヶ原の戦いでは若くして足軽として参戦し、京都の一乗寺下り松では吉岡一門と決闘した、剣の達人です。
学生の頃から40年近く、ずっと通っている大将と女将さんの営むお料理屋さんが、京都の一乗寺にあって、行くたびに宮本武蔵の存在をなぜか身近に感じてきました。
ところが「宮本武蔵」は死ぬ直前、晩年の五年間を熊本の地で生き、阿蘇近くの洞窟で剣術の奥義をまとめて「五輪の書」を書き上げたということは、まったく知りませんでした。
このたび越名智美さんのご縁でお迎えいただく阿蘇の湯のまち内牧にて「円坐影舞〜五輪の書」を開催する運びとなりました。
昨年の夏、ちょうど一年前の7月に、吉次潤さんに連れて行っていただいて以来、2度目の阿蘇となります。
阿蘇の連なる峰々と大草原の景色を初めて見て影舞を置かせていただいた時の背景があらためて今はっきりと蘇ってきます。
このようにして縁起をまとう我々は目に見えないからだでその土地に生き、知らず知らず他者の背景となって、自分以外の人間の生き様に重なり込んでいるのでしょう。
自分の背景は決して自分にはみえないし、こちらをまなざしてくださる他者にこそ、見えるものであって、決して自分を無視したり、容易に見逃がしたりはしません。
そのように対峙し仕合う他者こそ、自分という存在をそのまままるごと見てくれているともいえるし、自分以上に自分であるのは、実はそのような他者だと思います。
それでは、このたび越名智美さんとご友人の方や熊本の方々にお会いするのを楽しみに阿蘇へ参ります。
有無ノ一坐 松岡弘子
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先日たまたま父が「これ面白いで」って言って
1時間ほどの短編ですが映画?海外ドラマ?を久しぶりにみました。
「ブラック・ミラー」というタイトルで各1話ものの、イギリスの短編映画集です。
そのなかの「1500万メリット」という映画だったんですが・・
・・というところですみません、こちら「円坐影舞〜五輪の書」のご案内文なんですが、
この後の文章は上記映画のネタバレになるので
読みたくない方は急いで映画を見てから読んでください(笑)1時間で観れます!
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長くなっちゃうので詳しくは書きませんが、
極限に管理社会化された世界で生きる人たちの一人だった主人公は
そこへ新しく入ってきたある女性が歌う素朴な歌を聴き、
純粋に人とかかわりあうことの喜びに目覚めます。
そのお礼に彼女がいきいきと生きていけるようにと願って
主人公は自分の全財産を使って、彼女の歌手になる夢を追いかけるようにと促すのですが、
それが思いがけない展開を迎えてしまいます(それは映画をみてね)。
主人公は失意のどん底から最終的に必死の思いで
この社会に反旗を翻すべく、社会構造のトップの人間たちに直接会うことができる
とあるショーに出演するところまで漕ぎつけて、パフォーマンスすると見せかけて
番組をぶっ壊し、自分の首にガラスの破片を突きつけながら「俺の話を聞け!」
と命がけで語りはじめるのですが、それが伝わったのかと思いきや・・
『今のは間違いなく今までの人生で最高に響いた、
君には人に伝える力がある、これを聞いていた皆もそう感じているはずだ
すべては理解されなくてもみんなの心に届いている
人でなしと馬鹿にされたこの僕の心にさえも。
気に入ったよ、よくできたコンセプトだ
君の言う通りだ、この世界は”本物”に飢えてる
また君の話が聞きたい
そう、また見たい、素晴らしい情熱だ』
トップの人たちはこう語り、主人公のことを熱く褒め称え
主人公が行った“素晴らしいトーク・パフォーマンス”を定期的に配信するという仕事とひきかえに
もうあくせく働かなくて良く、贅沢で「自由」な暮らしを約束しました。
この社会に属するすべての人たちに認められることになった主人公は
その“圧”に負けて、自分の魂からの発露を「社会での仕事」として受けてしまいます。
管理社会に人間が搾取されていくのをテーマにした映画はいろいろなものがありますが、
わたしはこういうタイプのものが一番嫌いみたいです。けっこうすさまじくいやでした。
自分の魂、他者とのあいだで交わす本物の関わりあいが
エンターテインメントにすり替えられ消費されていく。
もうこの映画を見てる時点で自分がそうなってるのかと思ったり。
自分がやってることも全てそうなんじゃないかと思えてきたり。
なんせ太平洋まで流されやすいタチなもので(笑)、
その夜は気分が悪くなりなにも手につきませんでした。
円坐に出て「気づきを得ました」と言って帰る人がいますが、それも実は同じなんじゃないでしょうか。
他者からの自分への関わり、人間同士の命がけのやりとりを「素晴らしい」と「認める」かたちで搾取していく。そして、自分の中で何度も配信する素材にする。飽きたらまた新たな気づきを探しに行く。
他者との出会いをエンターテインメントとして消費したその先にあるのは「ずっと気づき続ける」という同じ構造の繰り返しです。
円坐は、この映画でいうところの「本物」です。
管理されそうになりながらも、すんでのところで逃れて対峙を続けます。
しかし私もひとりの人間なので、一寸先は「そっちの世界」へ行ってしまうかもしれないせめぎあいです。
そんなところにある円坐だから、これからも決して社会から認められることはないし人気が出るものでもない。
人気が出てきたら、ちょっとおかしいなと思わなければならないでしょう。
(人気も好きな私としては残念なところですが、これはもう円坐を選んでしまったんだからしょうがない)
今回主催してくださる越名智美さんとは以前に別の場でお会いしたことがあるのですが、そのときはその会に参加している人のひとりという感じで越名さん自身と明確にお会いしていなかったと思います。
その会で話されていたことや価値観について、おもしろいとか、わたしはこう思うとか、そういったことをお話ししたような記憶があるのですが、そこまででした。
今年の4月に熊本の中村雅孝さんが企画してくださった「熊本・火の国円坐」にお越しになり、初めて「会い始め」ました。
越名さんのたたずまいや語り様にいろいろなことを感じ、話しかけたくなりました。どんなことであれ、これは越名さんと私とのあいだに起きた、まぎれもない「本物」です。誰にも奪われたり、消費されるものではありません。
それがどんなふうに展開していくのかは誰にもわからないですが、
「熊本・阿蘇 円坐影舞~五輪の書」でその続きがはじまることを、とても楽しみにしています。
有無ノ一坐 橋本仁美


