第二回 北安曇郡池田町円坐

2025年夏、信州にて開催、第二回 北安曇郡池田町円坐のご案内です。

第一砲 松岡弘子

【 池田町との出会い 】

2023年の秋、長野県北安曇郡池田町のベトナム出身のれんさんという方が営むゲストハウスに泊まりました。「そら」という白い人懐っこい柴犬がわたしたちを迎えてくれました。夜、れんさんと語り合いました。

翌日、田園風景のひろがる花見という集落をすこし歩きました。集落センターの横に佇む道祖神と諏訪神社にそれぞれご挨拶をし、お辞儀をして、影舞を置かせていただきました。

午後からは、れんさんにご紹介していただいた関西出身の森木香蛍さんが営まれる民家写真館で円坐を開かせていただきました。こちらでは「シュヴァルツ」という人懐っこい黒い猫が私たちを迎えてくれました。

第一回信州北安曇郡池田町円坐には、松本にお住まいの方が参加してくださいました。来し方行く末や生死を越えたお付き合いについて語りあい、円坐の終了後は、短い時間ではありましたが森木香蛍さんと関西弁を交え、互いの人生観や仕事への姿勢を語り再会を約束しました。

円坐の前後には、小谷村と千曲からそれぞれ片道1時間半、車を飛ばして、収穫した新米や林檎を持って会いに来てくださいました。このようなうれしい出会いや再会もあって、やはり池田町に実際に行ってよかったし、これからも、きっと様々なご縁が末永くあると思います。

【 七夕 北安曇郡池田町円坐〜会染編 開催にあたって 】

先日ふと思い立ち、長野で暮らす友人たちに会いに行きました。久しぶりの再会でしたが、早朝から夜まで、一緒にいることであらわれる信州の自然や景色とともに、それぞれの友人たちの生き様や存在があらためて新鮮に刻まれました。

そのうちのひとり安曇野に暮らす友人と、あづみ野池田クラフトパークへ向かいました。北アルプスをはじめ、そこから見える山々の眺望や町の風景は絶景で、平日だったせいか、ほとんど人がいなくて、広大な草原をふたりで歩きました。あらためてこのタイミングだからこそやっと会えたのだと思いました。

ちょうどユリノキの木の下で、ある年配のご夫婦と会いました。

「この木はご存じですか」と聞かれて、ふと上を見上げると淡い色の蓮のような花が満開で、初めて見るこのふしぎな木の名前をご主人さんが教えてくださいました。

「じつはわたしたち、毎年、ここにお参りに来るんです」

と仰るまなざしの先には、ユリノキのそばに建っている石碑に刻まれた言葉を遺した上原良司さんの実家の場所がありました。

「きけわだつみのこえ」にも掲載されているという彼の言葉を、この風景で辿ると、ずしんと衝撃がありました。この地にいまも生きている、彼の精神にふれたからでしょう。

わたしたち現代人はそういった精神からすっかり日常的に閉ざされてしまっているので、旅と円坐には、絶妙な親和性があります。

日ごろ馴れ親しんでいる世界からいちど出て、所縁の場所へ出向き、その景色の中に身を置いて真剣に他者とかかわりあうと、真の姿が背景に焼き付きます。

人の縁は、決して消えてなくなるものではありません。

2023年秋に引き続き、七夕の前日7月6日の午後「第二回 北安曇郡池田町円坐」と称してこのたび「会染円坐」を開催いたします。池田町にてお会いしましょう。

有無ノ一坐 松岡弘子

< 七夕 北安曇郡池田町円坐~会染編 >

日時:2025年7月6日(日)13時半~16時半
場所:長野県北安曇郡池田町会染
守人:橋本久仁彦 松岡弘子 橋本仁美
会費:6,000円
申込soumon.enza@gmail.com 松岡
会場:申込みいただいた方にお知らせします

アクセス:関東方面~JR中央線特急あずさ 松本駅
   →JR大糸線 安曇追分駅
   大阪・京都方面~アルピコ夜行バス 松本BT
   →JR大糸線 安曇追分駅
送迎:JR大糸線 安曇追分駅(行きは13時頃)から
   会場まで送迎可能です
主催:有無ノ一坐 https://umunoichiza.link/

第二砲 橋本仁美〜

信州の安曇野で円坐をします!

母の故郷が松本なので、いままでは親戚付き合いで信州方面に行っていました。
そこへ円坐のかたちでいけることが嬉しいです。
小さい頃から私を見てくれてた親戚のおばちゃんやお兄ちゃんや
がんばってタイ料理レストランを開いている親戚のニムさんの顔が浮かびます。
そのひとたちとも、いずれ円坐のかたちでお目にかかりたいと思います。

楽しみです。
円坐とは、なにもないのにもかかわらず会うことです。
血縁だから、などの理由があって会うのではなく
ただそのひとに会いにいくことです。
いち他人として一人のひととして新しく丁寧にしっかりと会います。
そうすると新しい縁がはじまっていきます。
それは血縁や年齢や興味や好き嫌いを超えた縁です。

「普通の人付き合いで生きていってもいいじゃない」ということもよく言われます。
円坐は、普通の付き合いでは起こらない、未知の出会いが起こります。
円坐はつまるところなにもないので人間関係の圧がシンプルに生じるからです。
その圧を嫌がるひとはたくさんいます。
普通の付き合いは、いまの暮らしや自分の価値観が壊れない程度に付き合うので、
いろんなことがあっても想定内です。わたしはその先にいく道を選びました。

・・・

最近はライブをする場面が多いのでそのことについても書きます。
この頃自分の音楽活動の頻度が上がって来ると同時に

「私は音楽と円坐なんで二つやってんねやろう」とか
「この二つ、私の中では繋がってるけど周りの人はそうじゃないように見てるやろなー」と思ったり
「自分の中では繋がってるけどでも音楽で付き合ってる人と円坐で付き合ってる人、なんか別々な気もするし、分けてんのかなー」と思ったり

「だからといって音楽で繋がった人になんの脈絡もなく円坐勧めるってなんかの勧誘みたいでいややな」と思ったりします。

わたしが5年前に悩んだ末に四万十から帰ってきたのは「音楽と円坐を二つともやりたいから」です。
「四万十でも円坐やったらええんちゃうん?」ということも浮かんではきましたが、
音楽は仲間と続けられたとしても
ブレブレの自分がひとりで円坐の質を保ち続けるのは難しいと思いました。
円坐を人生かけてやってるひとたちのそばにいないとあかんと直感的に思い、
いろんな感情は横においといて、当時ほぼ絶縁状態だった父の住む家に帰ってきました。

音楽ライブと円坐の共通点ってなんやろと思った時に、「打って出る」というのがあるなと思います。
何にもないところに、誰とのつながりもないところに打って出る。なにかしら波紋を起こす。そうすると新たな縁が生まれる。

円坐も音楽も、日常の関係では起こせないことが起こせます。
「私らの演奏聴いたからもうええやろ」って音楽きかせて終わったり、
お互いの演奏を賛美し合って終わるんでもなく
互いが響き合ったところから生じた利害関係ではない(逆縁も含めた)新たな縁を交わしあえるかが勝負です。

そして舞台を通して互いの精神的な視力、人間をみる力が上がっていくこと
それが音楽という関わり合いの本質であり、ライブのメインやと思います。

それと、円坐舞台(舞台で打って出る+円坐で語り合いときには対峙する)は私にとってひとつです。
なので、たぶんライブと円坐もそのうち地続きになってくると思います。

では、どなたさまもどうぞお越しください。
安曇野の空の下でおまちしています!

有無ノ一坐 橋本仁美

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〜第三砲 橋本久仁彦〜

「人に会い、染め、花見る」安曇野の池田町には心を打つ美しい地名があります。
地名には人の生き様が宿り、我々の魂を招きます。

「老人というものは存在しない。重ねて来た生き様と風景があるだけだ。」と、
ある円坐守人が教えてくれました。

円坐は人々の「生き様」を訪ねること。
一人ひとりが生きて来た「魂の姿勢と態度で出来た風景」を旅して歩くもうひとつの人生です。
円坐とは「気づき」ではなく態度、「成長」ではなく姿勢、「理解」ではなく存在することです。

有無ノ一坐 橋本久仁彦