ひとつっちーモード円坐
ロースケは、時代によって名前がいろいろ変わってってますが、モード時代はつっちーと呼ばれていたらしいです。ロースケと喋っていたら押入れの中から当時のモードのパンフレットと卒業制作で描いたでかい絵を出してみせてくれました。
私はロースケがローサのとき、石切の稽古会でものすごいスピードで現実を変えていく「だれ子さん」のだれにも追いかけれない動きを「ワオワオワオ!」と声を出して唯一制したのがとても印象的で忘れられないんです、と声をかけ、このたび守人をしていただくことになりました。その人はとても上手にしゃべる人で、頭が良くて誰も彼女のスピードに追いつく事はできなかったし、別の現実に翻訳した痕跡に気づくこともできませんでした。だけどロースケ(当時はローサ)こと益子智美さんはその人の出鼻を押さえました。その嗅覚はすごいなと思ってて。
でもふだんのロースケはそこまでの動きは見せません。あれは、あの人との兼ね合いで出てきたものだったのかな、あーいうの見たらもっと見たいと思っちゃいます。
ロースケは「あれはビギナーズラックだったんだよ、いまはこわくて?構えちゃってできないよ」的なことを言っていました。
また、だれ子さんもしくは彼女のような強敵に出会いたいしロースケのあの動きが見たいです。
有無ノ一坐 橋本仁美

■■ひとつっちーモード円坐■■
【日時】 7/27(日) 10:30〜16:30
【場所】 板橋区内(都営三田線
本蓮沼駅より徒歩10分)
【参加費】 7,000円
【守人】 橋本仁美 益子智美(ロー助)
【申込・問合せ】 ロー助(益子智美)
rosa.09.10.71@gmail.comまたはfbメッセンジャーまで
…………………………………………………………………………………………
自由とはなんて不自由なんだろう
そう思ったのは、高校を卒業して
くじ引きで入学が決まるセツ・モードセミナーに入った時だった
宿題や課題もほとんどない
学校に来てなくてもお金さえ払っていれば卒業できるよ!
先生も笑って言っていた
絵の描き方を教えてもらった記憶も無い
唯一初めての水彩画の授業で講師の先生に
「線で描こうとしないで、好きな色をおいていってみて
描いてるうちに構図のとり方わかってくるから」と耳打ちされたくらい
それまで習ってきた美術ではない時間
人間をいわゆる肌色で塗らなくなった
セツでは先生に教えてもらうというより
一緒に授業を受けていた仲間から刺激をもらうことが多かった
模写や真似も大いに結構!で
どんなに真似しても真似したモノが本物になる事はなく
真似し続けた中で残っていくもの=オリジナルになっていくと
なんだかんだあろうが無かろうが
それでも残ってしまうワタシ(アナタ)という者
円坐でもふるいっていうか
うまく言えないけどってよくいうけど
このうまくが落ちて残ったところに
その人の味わいが出てくる感じがしている
円坐も自由という名の不自由さがある
でも、<うまく>という不自由をとってしまったら
自由度が増すんじゃ無いだろうか?
坐衆のひとりひとりが唯一無二の色を持っていると思う
それは色見本の何番とかそういう事ではなくて
円坐という他者と向き合う時間の中で
使い慣れた色々を傍において
混ざりまくって終わって出てきたら
こんなんでました!みたいなレインボーまとえたら
それはそれは乙!ですな!!と思っています
今回、仁美ちゃんと一緒に守人としてすわります
守人とは何だろうか?
ずっと考えています
セツの入学案内所の中に「自由の戦士」という言葉があり
昨日炎天下の中庭仕事して意識朦朧とする中
『守人とは自由の戦士なんじゃなかろうか?』と
だからどうのこうのというところまでは
考えが辿り着けていないですが
どうぞよろしくお願いもうします
ロー助


