ふるさと円坐街道 熱海に置かせていただく円坐

下段にご案内する「ふるさと円坐街道 熱海に置かせていただく円坐」の名称は、主催の東京都在住、芳野学さんが命名してくださいました。

芳野学さんが円坐に坐ると、いつも芳野学さんの全人生が一緒に坐っています。

芳野学さんが坐る「円坐空間」には、過去現在未来の全体としての「芳野学」と呼ばれるひとつの人生が、現在の生き様、有り様として、背景に広がっているのが見えます。

円坐では、一切技法を使わず自分自身の知覚と直観に頼ります。
すると人の周りに広がる「風光」が「見えて」きます。
そこにはかならず人影、人の輪郭があります。
これが「面影」です。

面影と風光は分けることができず、そのままひとつの「風景」を形作っています。

芳野学さんが身をもって体験し、言葉にされた「ふるさと円坐街道」の記録は、我々有無ノ一坐にとって大変貴重なものです。

他に類例がない「円坐」という独自の即興芸能を、「ひとりの他者」として参与的に把握し、客観的に評価した上で、ご自分の人生の中心に位置付けてくださっているからです。

「この度、有無ノ一坐の橋本久仁彦さん、松岡弘子さん、橋本仁美さんに熱海までお越しいただき、円坐を置かせていただくことになりました。

亡くなった両親も含んでの時間を過ごさせていただける円坐。
その場に臨んでのわたしのことばから、両親の面影と会ってくださる有無ノ一坐のみなさま。
その面影は、語っているわたしには、会うことはかないません。

面影のことをことばにしていただくことで、改めてわたしは両親と出会うことができます。
すでにこの世にいない両親と、このような時間を持たせていただける、なんと幸せなことでしょう。
両親がこの世にいないからこそ体験できることとも思います。

熱海の2日間では、晩年の両親をいろいろなことで助けて下さった、熱海で出会った
方々の面影と会っていただけるかもしれません。
この気持ちは、お若い方にはピンとこないかも知れませんね。
このような時間を生み出す円坐と有無ノ一坐のみなさまにご縁をいただいたこと、何よりのことです。」

「このような時間」とは、円坐のかかわりあいを通じて、我々の内面世界の奥行きに存在するもう一つの『円坐』が立ち上がる時間のことです。

それは文字通り「生きている時間」です。

円坐舞台の時空間に写り込んだ存在は、肉眼には決して見えないがゆえに、明瞭に直観することのできる「風景」になって周囲に広がります。
そして、日本各地の円坐固有の精神的風土・風景とひとつに融けあって、我々の存在とかかわりあいます。
この「生きている時間・風土・風景」を「天然の舞台」であると認識し、「円(縁)坐舞台」や「影舞」という言葉が生まれたのでした。

我々がシンプルに円坐と呼んでいるこの「生きている時間」は、「精神的生命が『アラハレる』要件を満たした全体的な時間」のことです。

全体的な時間の中では、我々ひとり一人の切実な言葉や思いが思念の海、思いの大海となって、ひとつのいのちのように切れ目なくつながっています。

その事実を明確に知覚し、認識の大前提としている立場から見ると、「傾聴」や「共感」や「肯定」など、人間関係やコミュニケーションの用語が部分的、要素的な概念として用いられ、操作的な態度や生き方を生み出している現状が把握できます。

我々の側からは利己的な操作が不可能である「全体的な時間」に向き合う姿勢を「未二観」と名付けました。

「影舞」は、未二観や円坐であらわれた「かかわりあいの姿勢」を、舞台上のふたりの舞いとして観る芸能です。

円坐・影舞・未二観は、精神的、内面的な他者とのかかわりあいが、全体性に向かって深化する「渦のような動き」が骨格になっています。

この全体性へ向かう「渦のような動き」に向き合い、対峙する態度から「人間の自由と尊厳」が生まれます。

「熱海」の地に、芳野学さんの思いに応えてまたひとつ、「人間の自由と尊厳」が立ち上がります。
このたびの「ふるさと円坐街道 熱海におかせていただく円坐」の成立を、心よりお祝い申し上げます。

口承即興円影未二 有無ノ一坐 橋本久仁彦

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主催:芳野学さんからのご案内
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わたしと熱海のかかわり

始まりは昭和42年3月下旬、私が幼稚園を終え小学校に上がる前、今で言う幼稚園のママ友、園児ら10名ほどで熱海のニューフジヤホテルに行きました。

3月28日屋内プールで遊んでいると、父方の祖父が亡くなったと知らせが来、母と2人急いで東京に戻りました。
60年近くたった今もプールでの様子は、ぼんやりではありますが覚えています。

高校生だった昭和52年ころ、大晦日からお正月を熱海の隣、湯河原の旅館で過ごしました。たしか1月2日両親と熱海駅近くにあるマンションを見に行きました。
両親はそこの101号室を購入し、それからしばらくは、お正月を過ごすために利用していました。
凡そ30年のち晩年の両親はそこで暮らし、ふたりとも熱海で亡くなりました。

ここからは100年近くも前、昭和初期の話となります。
父方の祖母がまだ若かったころ、妹さんらと年越しのため熱海に出かけました。
その妹さんが大晦日の晩御飯の折、お酒を召し上がりご機嫌になって踊るうちに倒れ、そのまま亡くなりました。
祖母らは亡くなった妹さんを寝ていると偽り、その晩のうちに一緒にタクシーに乗って東京まで戻ったそうです。
東名高速などなく、舗装された道路もまれ、小田原からは箱根駅伝と同じ道筋です。いったいどれくらい時間がかかったのでしょう。

父が亡くなって15年経ちます。
父のお骨は、母とわたしと一緒に、わたしが運転する車で熱海から東京に移りました。
母はそれから5年ほどして脳梗塞で倒れ、右半身の自由と、ことばを失いました。

それから亡くなるまでの4年5か月、毎週東京から母に会いに母の世話をしていただいている熱海の病院、途中からは老人ホームに通いました。
通うに際し、熱海は賑やかで、電車、路線バスの本数も多くそういうところに救われました。
いつも利用する東海道線が強風のため不通となっても、並走する新幹線は余程のことがなければ通常運転ですから安心でした。

母のお骨はわたしと一緒に熱海から東海道線、小田原で小田急線急行に乗り換え、わたしが母のところに通っていたのと同じ経路で東京に移りました。
その時に、横向きシートの電車にお骨と一緒の人が乗っているとは、だれも思わないだろうと面白く思っていました。

ここまで書いたように、わたしにとって熱海は直接、間接に人が亡くなることと関連があるところです。


●高校の終わりころから、母が亡くなった2020年まで、40年以上何度も熱海を訪れました。
街歩きが好きなので、熱海の街はあちこち歩きました。
母から頼まれ、パン屋さん、スーパーなどへ買い物というように生活者としても接しました。
『綺麗にしてもらえますか』という、熱海のクリーニング屋さんが舞台のコミックがあります。
その内で、クリーニング屋さんのように架空の場所以外は、ほとんどが知っているところでした。

●この度、有無ノ一坐の橋本久仁彦さん、松岡弘子さん、橋本仁美さんに熱海までお越しいただき、円坐を置かせていただくことになりました。
亡くなった両親も含んでの時間を過ごさせていただける円坐。
その場に臨んでのわたしのことばから、両親の面影と会ってくださる有無ノ一坐のみなさま。
その面影は、語っているわたしには、会うことはかないません。
面影のことをことばにしていただくことで、改めてわたしは両親と出会うことができます。

すでにこの世にいない両親と、このような時間を持たせていただける、なんと幸せなことでしょう。
両親がこの世にいないからこそ体験できることとも思います。
熱海の2日間では、晩年の両親をいろいろなことで助けて下さった、熱海で出会った方々の面影と会っていただけるかもしれません。
この気持ちは、お若い方にはピンとこないかも知れませんね。
このような時間を生み出す円坐と有無ノ一坐のみなさまにご縁をいただいたこと、何よりのことです。

●巡るところ
両親が暮らしていたマンション・・・両親を訪ねたわたしが帰る時に、母が手をふって見送ってくれた玄関を眺めたり、母が亡くなった伊豆山神社近くの老人ホームなどを巡ります。

老人ホームは母が亡くなる3週間前に、母の部屋で母と一緒に声優・能登麻美子さんの朗読CDから片山廣子さんの「北極星」を聞いたところです。
その時に母があの世に赴くに相応しいように、場を整えていただいているという思いが浮かんだのでした。

そのことを母が亡くなってから朗読番組の能登さん宛てにお便りしましたところ、読んでいただいてとても嬉しく思いました。
能登さんは生死にかかわることがらを大切になさるので、読んでいただけたのでしょう。
ですから、読んでいただけたのは母のお陰・・・母は亡くなってからも、どこかから、この世に影響を与えているのだと思いました。

●さてここまで、冒頭の「わたしと熱海のかかわり」から続く色合の話でした。
途中に書きましたとおり、熱海は賑やかなところですが、一時は寂れ、旅館、ホテルが次々とマンションになって行きました。
それに際し、若手の方々が奮闘なさり、小津安二郎「東京物語」に描かれたような団体客中心から、個人客の方に来ていただく観光地へと変わり、賑わいを取り戻しました。
そのような熱海、そして有名な寛一お宮の像のように古くから残るものにも触れていただこうと考えています。

と申しますか、熱海で両親とわたしに関わりがある場所を巡りますと、自然とそのようなところに触れることになります。
どうぞ、初秋の熱海にお出かけください。

このご案内を書かせていただき、お正月という季節、熱海から東京という動きが何度か出てくることが印象に残りました。

「ふるさと円坐街道 熱海に置かせていただく円坐」

集合:2025年10月15日(水)午前10:30 JR熱海駅
解散:2025年10月16日(木)午後 5:00 JR熱海駅
場所:静岡県熱海市 JR熱海駅から半径2km範囲の熱海市街地
守人:橋本久仁彦・松岡弘子・橋本仁美・芳野学(まなびー)
会費:円坐 参加費 三万円
実費:宿泊費(民泊)、食費、現地交通費(路線バス、場合によりタクシー)、外湯入浴料 (民泊には温泉がありません。)
お願い:熱海市街地を路線バス、徒歩で巡ります。歩きやすい靴でおいでください。
申込enzabutai@bca.bai.ne.jp  橋本
    soumon.enza@gmail.com 松岡
主催:芳野学

●補遺 
両親に向けて、有無ノ一坐がしてくださったこと。
橋本久仁彦さん、松岡弘子さん、橋本仁美さんに上野駅近く稲荷町にある両親のお墓にお参りしていただきました。改めましてありがとうございました。

2022年2月16日梅田円坐旅と題し、松岡弘子さんの案内で母が昭和2年に生まれ、そして育った梅田周辺を巡らせていただきました。

出入橋、曽根崎、午後からは母の大阪時代から残る中之島公会堂の部屋をお借りし未二観、影舞を含む円坐を置いていただきました。

2023年、2024年わたしが子供のころから毎夏両親と過ごした軽井沢・白樺台山小屋に円坐を置いていただきました。

この場をお借りして、これらの円坐に来てくださった坐衆の皆様、有無ノ一坐に改めてお礼を申し上げます。ありがとうございました。