2025年9月円坐舞台ラインナップ
「医師の診断を聞いた直後、私の人間関係は、ずっとつきあえる人と、無理をしてまで会いたくはない人たちに分けられた。ほとんど直観的にすばやくなされたその圧縮の過程で、ウニ姉さんはずっとつきあえると感じた数少ない一人だった。」
韓国の作家ハン・ガンの短編『明るくなる前に』の一節を読んだとき、円坐守人である僕は、まったく円坐の現場で人々に起こることと同じだなと思いました。
表面的な違いは、不治の病の診断を聞いたことと、ずっとつきあえると感じたのが数少ない一人であるという点だけです。
円坐では、生涯つきあう「存在の人」と、つきあっているように見せているだけの「不在の人」との差異を、明確にとらえる知覚器官の感受性が、長年の油汚れを掃除して再び回転し始めた換気扇みたいに復活します。
円坐における「不治の病の診断」とは、我々が他者や自分自身とまったくかかわりあっていないという現実の自覚のことです。
我々はお互いにかかわりあっているふりをしているのです。
「命をかけて本当にかかわりあう」のは生命の本質ですから、他者と本気で、真剣にはかかわりあいたくない我々現代人にとっての「不治の病」とは、「生きること」そのものです。
このたびの人生もようやく終わりが見えて来た67歳の僕にとって、円坐が魅力的なのは、生死を超えてかかわりあえると感じる「他者」が、少しづつ増えていくと言うことです。
この「他者との出会い」こそが、本物の青春の出会いであるとすれば、若い頃のそれは「青春の影」に振り回されていたのだと言えます。
仕事と家族を分け、物事を分別して生きてきた僕の若い頃、昭和時代の価値観は、今、「全体性」という新しい価値観に変容しようとしています。
「全体性」とは、たとえどのような「最低の」人間や状況がそこにあったとしても、「人間であること」に対するとてつもない合意があるということです。
現代において円坐守人として生きるということは、「人間であること」に対する「あらゆるものを賭けた真剣な合意」を表現するということなのです。
ハン・ガンは言葉を続けます。
「その瞬間気づいた。もう時間が残されていないということに。一度しかない一日(人生)を、ずっと握りしめたまま、どうしたらいいのかわからず、握りつぶしてきてしまったのだということに。」
2025年9月の有無ノ一坐の円坐舞台ラインナップをお知らせいたします。
口承即興円影未二 有無ノ一坐 橋本久仁彦
<<2025年9月円坐舞台ラインナップ>>
①9月3日4日(水木)高知市葛島「高知市東部健康福祉センター」
<全国ひきこもりKHJ親の会高知県支部やいろ鳥の会ピアサポーター円坐舞台>
②9月5日(金)大阪市西区千代崎15時~18時
<デッサン×円坐~世界に関わる、他者にかかわる>
③9月5日(金)19日(金)大阪市西区千代崎19時~22時15分
<第22期影舞山月記>
④9月6日(土)7日(日)東京都板橋区
<第11回東京板橋円坐影舞>
⑤9月7日(日)徳島市応神町
<第五回円坐影舞~阿波のうた>
⑥9月9日(火)高知県四万十市
<四万十西土佐円坐>
⑦9月10日(水)大阪府泉南郡岬町
<幼い頃母と貝を獲った思い出の岬町ふるさと縁坐舞台>
⑧9月14日(日)15日(月祝)滋賀県彦根市
<彦根湖北~ふるさと円坐街道>
⑨9月17日(水)18日(木)福井県武生市~大飯郡
<越前の国葬式ライブ円坐~一滴文庫縁坐舞台>
⑩9月20日(金)大阪市西区千代崎16時~18時
<悠久円坐>
⑪9月20日(土)大阪市西区千代崎19時15分~21時30分
<逢坂千代崎千夜十二夜「聞く稽古」>
⑫9月21日(日)東大阪市石切町
<生駒石切円坐守人十六番稽古>
⑬9月23日(火祝)大阪府高槻市駅前「南風楽天」
<有無ノ一坐の南風楽天縁坐舞台&舞踏公演>
⑭9月24日(水)高槻市梶原
<きくみるはなすかかわりあうピッコロ保育園円坐舞台>
⑮9月25日(木)高槻市芥川町
<第40回ふるさと相聞茶堂>
⑯9月26日(金)福岡県篠栗町
<フリースクール山ねこ影舞稽古会“春ノ雪”>
⑰9月27日(土)熊本市東区「グランモッコビレッジ」
<「聴く」とは何か?トークセミナー@熊本>
⑱9月28日(日)福岡市博多駅前「ヒューマナイズ・オフィス」
<第15回はかた円坐~縁起をまとう>
⑲9月29日(月)福岡県北九州市
<森の育ち場・親たちの円坐>
⑳9月30日(火)福岡県福間市津屋崎町
<暮らしの問屋(株)畔道円坐>
㉑10月1日(水)2日(木)徳島県阿南市~自然スクールTOEC
<阿南ふるさと円坐街道~自然スクールトエック代表×有無ノ一坐橋本久仁彦人生丸ごと対談>
(※申込問合有無ノ一坐サイトor橋本久仁彦まで)


