薩摩串木野ふるさと円坐街道

風薫る皐月、5月3日から5月7日鹿児島県串木野市におきまして、山下薫さんの田舎串木野のお父様の遺されたお家を中心に薩摩ふるさと円坐街道を開催いたします。

山下さんに初めてお会いしたときのことを思い出すと・・
これまでの不思議なご縁も同時によみがえってくるようになりました。

< 薩摩串木野ふるさと円坐街道 >

日 時 2026年5月3日(日)~7日(木)
場 所 鹿児島県(知覧 長鼻先 冠山 指宿 城山)
参会費 宿泊費込み全日程 80,000円(部分参加もOK です)
守 人 有無ノ一坐
お問合せ・申込み enzabutai@bca.bai.ne.jp 橋本久仁彦まで

初めてお会いした円坐で山下さんはお父様が田舎の串木野に遺されたお家や山林などの土地を負担に感じながら話しておられました。それでもどこかわたしは山下さんを通じ厳めしい面持ちとは裏腹に未だ見ぬ串木野という土地に懐古の情を感じ「いつか参ります」とお伝えしました。

それからほどなくして2022年9月「関ヶ原古戦場円坐」で不思議なご縁で結ばれるように、衝撃的な出来事が起きました。1日目の夜、ロー助こと益子智美さんがふるさと納税で取り寄せた焼酎をもって来てくださり、山下さんの田舎も串木野だと話題にのぼりました。

そして関ヶ原二日目、石田光成の陣跡に向かうのに近道をしようと細い道に迷いこんだ際、寄る予定のなかった島津陣跡隣りの小池神明神社の前でふと、せっかくやからちょっと寄ろうとはしもとさんが仰って、二台車を停めて神社の境内からゆっくり歩き始めました。

そのとき広島から参加してくださったひろこと大方宏毅さんが神社の石碑の表も裏も見て歩いていて、小池島津義弘陣所古跡碑の前に建立されてた灯篭も同じように裏も見て「山下さんのご両親じゃない?」と山下さんに声をかけられました。

驚かれたのは、山下さんでした。お父様が60年前島津義弘陣所古跡の寄贈された灯篭と期せずして関ヶ原の地で向き合うことになったのです。

この大きな出来事の後、有無ノ一坐と益子智美さんは山下さんとともに串木野へ円坐影舞の旅をする運びとなり、わたしは山下さんと串木野の喫茶店で未二観をさせていただいたのです。ご縁とは不思議なものです。

山下さんはそのときの串木野円坐のことを、

「以前からずっと、父が田舎に残した山林や家をどう処理しようかと負担に感じていた私ですが、有無ノ一坐の方々によってこの田舎が清められ、照らし出された感があり、負担であるという気持ちは私の心の中から消え去り、懐かしい大事なものに変わっていきました。このような因縁の下、橋本久仁彦坐長・有無ノ一坐の方々との関係はずっと続いていきます。」

と、現在お住まいの地で和泉国相聞円坐開催の折、このような言葉でご挨拶くださいました。

今年の円坐影舞山月記では、山下さんの生まれ育った町もご一緒に歩きました。町のあちこちで何度もしみじみ「懐かしいですねえ」とおっしゃってた声と少年の頃の姿が町に焼きついてしまいました。

そして今年の五月、ふたたび一坐は、九州鹿児島へ串木野ふるさと円坐街道をさらに奥の細道へ旅に出ます。
もしよければご一緒しませんか。
ご縁をお待ちしております。

有無ノ一坐 松岡弘子

一昨日の朝、横浜の寿町から大阪の自宅へ戻り、有無ノ一坐の「円坐のふるさと」を、関東にまたひとつ発見した喜びの余韻に浸っています。

寿町で円坐に坐ると、もうすぐひとりで死んでゆくしかない人間に「生血が通う」。

「もうすぐひとりで死んでゆくしかない人間」とは、知的に計算高くなって個性が平均化し、自分の存在理由を知らずに生きる我々現代人すべてのことです。

「円坐に坐ると生血が通う」とは、先日の「円坐影舞阿波のうた」に坐った桑田祥恵さんの言葉です。
円坐に坐ると、自分が死んでゆく具体的な未来の姿と、生きてきた過去の姿がはっきり見えます。
その視界が、人間の生身と生身がかかわりあう「円坐舞台」です。
生きた人間の円坐舞台を、生死の境の向こう側から名乗れば「縁坐舞台」になります。

かつて篠原さんたちが戦って勝ち取った日雇い労働者の生命線「横浜市寿生活館」の三階の広間で、篠原さんと一緒に観たドキュメンタリー映画『どっこい!人間節、寿・自由労働者の街』。

1970年代の寿町にも「かかわりあう労働者の守人」と、「対峙し、相仕合う労働者の円坐」が存在していたことを知りました。

映画はそのまま『どっこい!円坐節』の生きている実体となって、2026年を生きる有無ノ一坐の四人の人間の、魂の奥底まで入って来ました。

僕は、今病室の小さなベッドの上にいる畏友、門戸大輔氏と一緒に寿町に来たいと思っています。
そして篠原氏や木下氏、寿の日雇い労働者たちと街角でたむろする「寿町たむろ円坐」をしたい。

篠原幸雄氏、木下大樹氏、そして門戸大輔氏をはじめとする日本各地、世界各地の「球体の時空の円坐衆」は、お互いに肉体的には知り合っていなくても、円坐衆どうしのかかわりあいの時空間の中ではすでに「旧知の間柄」であると言えます。

串木野を人生のふるさととする山下薫氏もまた、命あるかぎり円坐街道をともに歩く円坐衆です。

山下薫氏と、彼のふるさと串木野のご一族の魂は、寿町の篠原氏、木下氏、そして台湾の帰国子女として我々に出会った門戸氏ら、「どっこい!円坐節」を歌い上げる円坐衆の訪問を歓迎してくださるでしょう。

円坐の球体の時空に坐る友が、たとえ今どんな肉体の状況に宿り、どんな人生の風景を見ていようとも、ひとりでさびしく生きることはなく、ひとりぼっちで彼此の川を渡ることもありません。

なぜなら、有無ノ一坐の円坐影舞とは有無一つ、生死ひとつの人間節をあなたと一緒に唄い、舞うことだから。
なぜなら、円坐とは生死の境に坐り、ともに彼岸の旅路を往くあなたとわたしの「丸ごと全部のかかわりあい」のことだから。

そして「円坐衆」とは、円坐に坐り、対峙し、相仕合う世界中の「あなたとわたし」のことであるから。

きくみるはなすかかわりあう~口承即興円坐影舞未二観 有無ノ一坐 
橋本久仁彦

★★

山下薫氏より「薩摩串木野ふるさと円坐街道」へ向けてご挨拶の言葉をいただきました。
これらの言葉は、意志のある人間が持つ「空気の体の姿勢」です。
「言葉が心にふれてくる」と感じる方は、どなたでもすでに円坐に坐り、我々と一緒に歩いています。
ご遠慮なくお問い合わせくださいませ。

☆☆

「薩摩串木野ふるさと円坐街道によせて」

橋本久仁彦先生は、高野山大学人間学科においてコミュニケーション演習の講義を受け持たれていました。

2019年に私が橋本久仁彦先生の講義を受講し、高野山大学卒業の後、大阪・千代崎の先生のスタジオに通うようになって、7年が経とうとしています。

この間、橋本先生・有無ノ一坐の皆さん、円坐仲間と共にふるさと円坐街道で日本各地を旅してきました。

私にとって、ふるさと円坐街道とは、円坐仲間と一緒に円坐・影舞・未ニ観を通してその土地・歴史・人々と交わることです。

その土地その土地の美しい光景を背景に、円坐仲間との円坐・影舞・未ニ観の体験は、貴重なものとして心に積もり続けています。

そして、何か思いがけない不思議なご縁を賜ります。

そのひとつが、2022年関ケ原古戦場円坐の島津義弘陣跡で、まったく思いがけず両親が寄贈した灯篭に出会うという、幾重にも重なった偶然によって起こった不思議な出来事でした。

松岡弘子(有無ノ一坐副坐長)さんの「薩摩串木野ふるさと円坐街道」案内文に記されている通りです。

その年の11月には串木野で円坐影舞の旅を、有無ノ一坐の皆さんで執り行って下さいました。

関ケ原古戦場円坐で串木野から取り寄せたお酒を振舞ってくれた益子智美さんもご一緒して下さいました。

1泊2日で、父を偲べるところを廻って影舞をし、父が50年程前に建てた家で円坐をし、串木野にあるジャズ喫茶で鳴り響くジャズ音楽の中で松岡弘子さんに未ニ観もしていただきました。

関ケ原古戦場円坐で私の内界の父が呼び起こされ、串木野円坐影舞で長年にわたる父へのわだかまりが解けて、負担に思っていた串木野の建物や山林が重荷ではなくなりました。

橋本先生・有無ノ一坐・円坐仲間のご縁が、このような心の変化を導いて下さいました。とても不思議なことです。

この度、薩摩串木野ふるさと円坐街道(2026年5月3日~7日)で、橋本先生・有無ノ一坐が再び串木野に来て頂けることになりました。

前回の串木野円坐影舞において、私は父を偲び、辿ることができました。

今回は足を延ばして、まだ訪れたことがない知覧特攻平和会館へ行ってみたい旨、橋本先生・有無ノ一坐に要望しました。

それには理由があります。

関ケ原で両親の名前を発見してくださったひろ(大方宏毅)さんの故郷で、広島江田島ふるさと円坐街道が催された時のことです。

江田島旧海軍兵学校見学で、色々なことを考えさせられることがありました。

まだ、多くを語れるほどにはまとまっておりませんが、いま生きる私達は過去の出来事や人々を裁くことをしてはならない、過去の出来事や人々を無いことにしてはいけない、なぜなら過去の人々がいるから、いま私たちが生きている。

そう思うからです。

参加して下さる皆様も鹿児島で行って見たい処があれば、要望を伝えてください。

串木野の家は、父が建てて55年ほど経ちますが、父がその家を利用したのは4年足らずです。

橋本久仁彦先生は、円坐・影舞・未ニ観によって、その場所が照らされるとよく仰いますが、その通りで、いま串木野の家が照らされているのだと感じます。

父も串木野の家が使われていることを、あの世で喜んでいると思います。

精一杯、お世話させていただきます。

    山下 薫