「逢阪・柿の木の下塾~大人のための教えない授業」開講のご案内

「逢坂・柿の木の下塾~大人のための教えない授業」 
2026年9月開講のご案内

講師・守人 
有無ノ一坐 橋本久仁彦 橋本悠

<橋本久仁彦 ご挨拶>

1980年代に僕は高校教師として「教えない授業」を実践していました。
大学時代に夢中になって探究したカール・ロジャーズのカウンセリングや、ベーシック・エンカウンターグループの体験は、僕の人生の目的であった「人間関係とは本当は何か」という問いへの大きな手掛かりになるものでした。

ロジャーズは効率性を求めるワークやエクササイズを用いず、非構成的なプロセスを重視して、参加者の自由で主体的なかかわりあいを生み出す対人関係の方法を提唱したのです。

大学卒業後、私立の男子工業高校の社会科教師になった僕は、授業現場でさっそく身に付けたカウンセリングやエンカウンターグループの技術を応用しようとしました。

しかしまったく思うようにはいきませんでした。

エンカウンターグル―プやグループカウンセリングは、あらかじめ出会いや心理治療を目的としているので、方法は非構成的で一見自由に見えても、最初から合意と秩序が契約された上でファシリテーション(グループの進行)が行われているのです。

授業が始まってもクラスの誰もちゃんと座らず、後ろの席では喧嘩が始まったり、大騒ぎが続くいわゆる「底辺校」で、ファシリテーションや傾聴共感など、どんな技術を使っても表面的な利害関係にしかならず、苦しい日々でした。

悩むこと半年、今は亡き僕の恩師のひとり、千葉カウンセリング研究会会長、石原文里先生のエンカウンターグループに参加して相談しました。

石原先生も中学校で「札付きの不良」の生徒指導をされていた経歴をお持ちだったのです。

「橋本さんの話を聞いていると、橋本さんのやりたいことは見えるけど、生徒たちの姿が見えてこないんだよね。」

胸に突き刺さる言葉でした。

僕は「やり方」をあれこれ考えることをやめて、一人ひとりの生徒とただの人間として対峙し、仕合い、かかわりあうことにしました。

そのためには、学校側が期待する教師像を裏切り、クビになるかもしれないという恐れを引き受ける必要がありました。

「ちょっとみんな聞いてくれや。みんなはこの教科書でホンマに勉強したいんか?」
意を決して問うと、皆がじっとこちらを見て誰もうなずきません。

「そうか、わかったわ。ほんなら僕の授業ではもう教科書は使わへん。
けど僕は今教師の仕事してるから皆の成績つけて教務課に出さなあかんねん。

どないすんねん。この授業どんなふうにやるのがええんや?」
一番後ろの席に座っていたひとりの生徒が、僕の目を鋭くまっすぐに見つめて口を開きます。

「先生、俺らのやりたいことやろうや。」
彼の声には腹の据わった存在感がありました。

このとき、ファシリテーターとして皆の気持ちを肯定的、共感的に聞けばよいと思っていた自分が、「本当の生きた現場」をまったく見ていなかったことが分かりました。

僕がクビを覚悟してかかわりあう態度を変えたのを感じ取って、クラス全体の代弁者としてはっきりと僕の目の前に現れたのは、いつもは寡黙に後ろの席に座って目立たなかったひとりの男子生徒でした。

クラス全体のファシリテーションではなく、この一人の生徒と人間同士として真正面から対峙し、かかわりあいになることによって、クラスの全員が僕を認めるようになり、未知の授業が展開し始めます。

「バイクの六甲山峠攻め」
「ホンダとトヨタの車のフォルムの比較」
「アーケードゲーム“R-TYPE“3周目以降の攻略の仕方」
「学校近くの東海道線を走る列車の種類と車体の記号」
「東京でビッグになるロックギター」
「好きなアニメのキャラを手描きして見せ合いその魅力を語る」

など、生徒たちが自分と波長の合う仲間同士に分かれて、40数名のクラスが自然にいくつかの小グループになりました。

こうして「教えない授業」が始まりました。

東南アジアのマーケットみたいな大騒ぎだったクラスは、1学期の終わり頃には、僕が教室に行くともうすでに自分たちで机を動かして小グループに分かれ、それぞれ情熱的にかかわりあって彼らなりの秩序が生まれています。

あるとき、熱が高じて喧嘩が始まったことがあります。
すると例の眼光鋭き生徒が、

「やるんやったら思いっきりやれや。」

と机を四角いリング状にならべて喧嘩していた二人の生徒を中に入れます。

突然できた「特設リング」の中に入れられ、クラス全員の注目を浴びて戸惑っていたふたりは、ついに腹をくくって本気で殴りあいを始めます。

一人のメガネが吹っ飛んで、
「ああ、何もせず成り行きを見てる俺はこれでクビやな」

と覚悟したとき、眼光鋭き彼が突然
「そのへんにしとけや!」

と気合の入った声を発しました。

突然喧嘩を止められたふたりは、しかしほっとした様子ですぐに自分の席に戻りました。

騒然となっていたクラスのみんなもそれぞれ席に戻り、まるで憑き物が落ちたみたいに落ち着いて、教室に「秩序」が生まれています。

「よっしゃ!。ほんじゃいつものようにやりたいことやれや。僕も順番にみんなの机へ行ってかかわりあいになるで!」

当面クビにならずに済んだことに心からホッとして皆に号令します。
不思議なことに、クラスの皆も僕も、喧嘩の前よりも気持ちが生き生きとして元気になっています。

もう40年ほども前の出来事ですが、今も鮮やかに目の前に立ち現れてくる体験です。

僕の父が享年43歳で突然亡くなって、「もう二度と会いたい人に会えないのか」という理不尽な運命への切実な問いが生まれたのが13歳の時でした。

この時の問いが僕の人間関係探究の原点であるとしたら、20歳代に実践していた私立高校での「教えない授業」は、現在の有無ノ一坐の円坐に通じる「きくみるはなすかかわりあう」人生の道の始まりだったと言えます。

「みんなを教えず」
「みんなを導かず」
「その現場にもっとも強く存在している人間と対峙し、仕合い、かかわりあいになる」

その結果どうなるのでしょうか。
「みんな」ではなく、この僕自身が人間としてはっきりと存在するようになります。

自分が自分自身に対して意志を持ってはっきりと存在しているという事実は、自分が一番よくわかっているので、誰かに共感や肯定をしてもらう必要はありません。

僕が人間としての意志を持ってはっきりと存在すると、他者とのかかわりあいも、意志のはっきりとした輪郭を持ちます。

そして人として筋の通った、腹の据わったかかわりあいが始まります。

筋が通る、腹が据わるとは、自分が特定の他者や出来事の前で、意志を持って本当に存在しているという知覚であり、体験です。

2026年9月、現代の日本社会において、有無ノ一坐の橋本久仁彦と橋本悠が、「逢坂・柿の木の下塾」という私塾を立ち上げます。

塾を開講する目的は、物質的情報と機械的効率を最優先する現代という時代と社会構造に対して、人間としてはっきりした意識と個性を保ち、ひとりの生身の全体的な人間としての意志と情熱を持って他者とかかわりあうこと。

そして世代や生死を超えて連続する人間同士の絆が生まれること。

そのために、「今、ここに絶対的に存在しているわたしという個性」を、疑いなくはっきりと知覚する意識と意志をもったかかわりあいを実践します。

科目名は、「大人のための教えない授業」です。

「授業方法」は、有無ノ一坐の橋本久仁彦と橋本悠が、技術的に接する専門家ではなく、全体的な生身の人間として臨在し、皆さまという本物の人間に向かってかかわりあいになるという事実だけです。

世界でたったひとつの「本物どうしの出逢い」から、今まで経験したことのないかかわりあいが始まります。

「本物であること」は、客観的、物質的な対象ではないため、技術的ノウハウで教えることができません。

それで「教えない授業」と表現しています。

お互いのかかわりあいが人間として本物であるとき、人間同士の時空を超えた伝達と了解があり、その人本来の生きざまを思い出して、物質主義や効率性へのとらわれから自然に離れます。

教えない授業では、個別のかかわりあいの実践の中でだけ意味を持つ実存的な言葉のテキストを用います。

<橋本悠 ご挨拶>

「神経症者は『出来損ないの芸術家』であり、自分の葛藤を芸術(表現)に変えることのできない芸術家である。『正常』な人というのは、その葛藤を一時的に抑圧することに成功した人のことである。」 ロロ・メイ著『愛と意思』より

私が最近愛読している本の一節をご紹介しました。

この言葉は、人間の苦悩や葛藤を「問題」として処理するのではなく、それらをどのように自分自身の表現へ変えていくのか、という大切な問いを含んでいると感じています。

心理学とは本来、人間を分類したり、説明し尽くしたりするためのものではありません。 心理学は、人間の心や行動について、 ・観察すること ・傾向や法則性を見つけること・仮説を検証すること・より良い支援につなげること を目的とした学問です。

つまり、「この人はこういう人間だ」と決めつけるためではなく、「このような状況では、このような傾向が生まれやすい」という理解を深めるためのものです。

しかし、ネットやSNSによって心理学的な知識が身近になった現在、私たちは「心理学的に正しい生き方」に強く影響されるようになりました。

もちろん、正しい知識を得ることは大切です。

ただ、人間にとって本当に重要なのは、「正しいことをしているか」だけではなく、
「たとえ間違っているように感じても、これは自分が選んだことだ」 と、自分自身の選択として実感できることではないでしょうか。

ロロ・メイは、人間の内側にある葛藤や苦悩そのものに創造性の源泉があると考えました。
その葛藤を表現へ変えていくことができる人もいれば、できないまま内側に抱え込むことで苦しむ人もいる。

大切なのは、苦悩をなくすことだけではなく、それをどのように自分自身の人生へ結びつけていくかということです。
「自分で選んだ表現」ができずにいると、人間は孤独を感じ始めます。

いつの時代も人間を内側から蝕んでいるものの一つは「孤独」ですが、その背景は時代によって変化しています。

心理学が大きく発展した時代には、現在のようなAIやインターネット環境はありませんでした。 現代を生きる私たちは、膨大な情報や「正しい答え」に囲まれています。

だからこそ、その知識を受け取るだけではなく、その上で「私は何を選ぶのか」を自分自身で感じ取ることが重要なのだと思います。

その為には、専門家から論理を手渡されるのではなく、自ら経験したことのない関係性を経験する。

その都度、自らに対して問いを立てて、自由な選択肢だけでなく、時には不自由さを含む選択肢であっても「私はこれを選んでいる」と感じられる人間になることが重要だと考えています。

今回の「大人のための教えない授業」では、専門的な知識を一方的に学ぶことを目的にはしません。

自分自身の問いと向き合い、その問いから自分自身が学びと答えを生み出していくこと。

その経験を、この時間の中心に置いています。
「教えない授業」と名乗るのはそのためです。

<講師・守人プロフィール>

橋本久仁彦(はしもとくにひこ)

1958年大阪市生まれ。大学卒業後は高校教師となり、「教えない授業」を10年間実践する。
平成2年より龍谷大学学生相談室カウンセラー。様々な集団を対象とした非構成的エンカウンターグループを行う。

平成13年12月に龍谷大学を退職、プレイバックシアタープロデュースを立ち上げ、プレイバックシアター、エンカウンターグループ、サイコドラマ、ファミリー・コンステレーション、コンテンポラリーダンスなど、フィールド(舞台)に生じる磁場を用いた欧米のアプローチの研究と実践を10年間重ねて看板を下ろす。

「目的を持たない生命体的集団フェンス・ワークス」、

高野山大学スピリチュアルケアコース講師を経て現在は「きくみるはなすかかわりあう~口承即興円影未二 有無ノ一坐」の坐長。

橋本悠(はしもとゆう)

1992年大阪市生まれ。高卒後大阪で演劇を学び東京の劇団で活動するが、演者と観客、運営者との関係性に疑問が生じ「こんな状態でお客さまの前に立つのは失礼」と役者を辞め大阪に戻る。

父の仕事を見るため東南アジアのタイで開催された円坐に参加。

演劇で培った自分の感情や他者との関係性の捉え方と、父の言う実存心理学的なかかわりあいの世界観が非常に重なると感じる。

芸能と心理学の有機的な統合が、目には見えない問題を正確にとらえて前進させることを知り、父と行動を共にして現在に至る。

浄土真宗出雲寺派僧侶。喫茶「柿の木の下」マスター。

円坐のご縁で僧侶になり喫茶店も開店したので、お寺で法話し喫茶「柿の木の下」で「お寺と教会の親なきあと相談室」を開催している。

<きくみるはなすかかわりあう~口承即興円影未二 有無ノ一坐主催>

「逢坂・柿の木の下塾~大人のための教えない授業」

開講日時 9月12日(土)より毎月二回土曜日10時~17時(悠久のカフェ円坐含む)
受講期間 一学期4か月・三学期制 一日単発参加有 
会場1 大阪市西区千代崎「有無ノ一坐スタジオ」
会場2 喫茶『柿の木の下』店内~「悠久のカフェ円坐」

※受講ご希望の方は橋本久仁彦までお問合せください。
問合せ先:enzabutai@bca.bai.ne.jp