第10回 円坐影舞 阿波のうた
円坐影舞阿波のうた には、向き合い話す嬉しさ、聞くワクワク感がある。感じたことをズバッと表現するのは面白い。普段の生活では向き合い方が、浅い方が多い。それが嫌なわけではないが、私は、やっぱりしっかり向き合いたいのだ。円坐影舞阿波のうた では、イキイキと生きていると、感じるのだ。
武市有紀江 (こうちぇん)

< 第10回 円坐影舞 阿波のうた>
日 時 9月6日(日曜日)10時30分~17時
会 場 「三軒家」徳島市応神町東貞方字貞光
参会費 1万円
主 催 武市有紀江
守 人 橋本久仁彦 松岡弘子 橋本仁美
申 込 enzabutai@bca.bai.ne.jp 橋本まで
口承即興円坐影舞未二観
有無ノ一坐 https://umunoichiza.link/


【 円坐影舞 阿波のうた に寄せて 】
「効率」や「正しさ」では、人の心は震えない。
そんなもので、生々しい生の実感は湧かないし、魂も磨かれることはない。
いっぽう、一見すると無駄で効率が悪いのに、阿波のうたは未知の世界にみち満ちている。
科学や理論を超えた未知に委ねるとき人は、個人的にやりたいことを実現するよりもはるかに自由に元気になる。
頭で計算し合理的に作られたやり方よりも、自然な揺らぎや不合理に見える円坐から生まれたもののほうがはるかに大きく、決して消えない。
安心感を得るために群れたり膜を作って空気をつくる人たちは利害で結ばれているので脆く、一人の損得勘定に周囲が利用され始めると途端に、そんな群れや集団は自ずと淘汰される。
ところが、円坐影舞 阿波のうたは、わたしにとって不合理きわまりないのに、生々しい生の実感があり、そして、なにより、往くのに還る相互性のある場所でもある。
有無ノ一坐 松岡弘子
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円坐でかかわりあった人と「しっかり向き合う」と気持ちがいい。「自分」を生きる甲斐がある。「他人」と一緒に生きる甲斐がある。身体に「向き合う酸素」がいっぱい入って来て小さな意識が世界に向かって広がっていく。
円坐に坐ると魂が世界に広がっていくその動きを「あ・わ」と発音するそうだ。それが「阿波のくに」の語源であり「阿波のうた」の心意気である。「踊り踊らば品よく踊れ 見目の良い娘(こ)を嫁にとる」。阿波のうたは踊る円坐だ。
こうちぇんやくぅの阿波踊りを観るのは至福の思いだったがとうとう僕も踊るようになった。「円坐影舞阿波のうた 向かう阿呆に見る阿呆 同じ阿呆なら向かわな損損」
有無ノ一坐 橋本久仁彦
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円坐に座ると最初に必ずおもんないと感じる時間がくる。
おもんないと感じるのはたぶん自分にとって都合が良くないことが起こるからだ。
都合がいい、というのは、自分が見せているイメージを壊さずに他人と付き合えてる状態。
表面的にさらっとではなく、利害関係だけでもなく人とほんとに会うと、その人との間に起きる事実に直面するので、それまで自分や周りの人に対して作り上げてきた都合の良い幻想が全部壊れてしまう。
それはとても恐いけど、めちゃくちゃ面白い。
様々な関係性のなかに身を置いてきたけど、事実を辿り合うのが最も確かで揺るぎない。
都合の良い幻想の中で生きてたっていいじゃないか、という声もときどき聞くけど、ほんとにそうか?
だからって他人の権利を侵害していいわけじゃないと言う人のその声は、他人に踏み込まないので結局独り言で、
それって、なにをやってるんだろう。
そうやって同じようなことをする人と一緒になって空気をつくって、事実でないものを立ち上げて、事実を見ようとする動きを排除しようとしているのかもしれない。
スッキリと生きてるこうちぇんに会いに、くぅと父と共にまた阿波の国へ円坐しにいく。楽しみでしかたない。
有無ノ一坐 橋本仁美



