石切一滴大海円坐
~ 人の言葉のなかの姿 ~
絵師『写楽』を生涯追い求めた、ある方の著書の中に、
「残念な事に山川氏も数年前に亡くなられたそうです。
この本が出れば山川氏と話が弾んだことでしょう。」
と、
叔父と筆者の方の交流について書かれた下りがあります。
その文章を読むたび、叔父の背中がよみがえってきます。
叔父の交流関係について殆ど詳しく知らないのですが、
真剣に付き合い交流されて来られた人の言葉の中には、
今も叔父が生きています。
信じがたいことかもしれませんが、本当に事実ですし、
いつかその人に会いに在所を訪ねたいと思っています。
~ ヒヨドリの飛来 ~
白い雪が舞う裏庭で、洗濯物を干していたら、
ヒヨドリが二羽ビワの木のまわりに飛んで来て、
求愛の声でしょうか、誰かを呼ぶ様にさえずり、
ふと、懐かしい人の面影が、思い出されました。
一滴大海円坐が近づいて来ますと、
節分立春の風景も思い出されます。
いちど、
京都室町の町家で、
一滴大海円坐を開催した時も、
ヒヨドリが、あらはれました。
会場の和室の障子を開け、
縁側から見える中庭を背景に、
ほぼ畳一畳の間口を舞台にして、
午前の円坐と午後の円坐の間に、
影舞を置かせていただいて観ていただきました。
すると、ふと影舞を初めて見てくださった、とある坐衆の方が、
観終わると涙を流しておられ、じっと手を合わせていました。
そのあとの午後の円坐で、
中庭にヒヨドリが一羽飛んできて、
一声鳴いて木を揺らし始めました。
枝葉を揺らすヒヨドリ。
円坐を揺らしたものが、
あらはれはじめました。
庭に飛んで来たヒヨドリ。
円坐を揺らしたモノ(者)たちや、
憚かられてきたもののあらはれは、
彼岸からかそけく照らされてたこの世を、
なにか示唆するものでもあるようでした。
~ 円坐影舞 辿故郷旅 ~
昨年末、さいちゃんの故郷を辿らせていただき、
一日、ご縁の方々と共に京都の町を歩きました。
ひとりだけどひとりではない、
自分だけど自分でない、
この世だけどこの世の先の世界へ
主客相対し、まなざしまなざされる空間で、
影舞い円坐し、くるくると葉が舞うように、
反転してゆきました。
さいちゃんの生家であり、
お爺さんとお父さんが大将をつとめられた、
70年間続いた源八寿司の跡地。
お店の跡のすぐそばの、
思い出と面影残る千本出世稲荷神社跡での影舞。
元板前さんの始められた同じ屋号のお店。
さいちゃんの通った中学校、高校。
かつて暮らしておられた町の、
菅原道真生誕の神社での影舞。
そして、20年以上、現在も暮らしておられる町の公園や 、
京都市内が一望できる西條家代々のお墓での円坐影舞を終え、
さいごは、
夕焼けの空の下、鴨川の五条河原で、円になって坐りました。
「今日の事は忘れないでください。
人や自分の人生を操作しなくても、
起こることは、すべて起こるから。」
円坐から生まれたこの坐衆の方の「言葉」は、
円空でわたし達を照らす夕陽そのものでした。
たった一日とは思えない「円坐影舞 辿故郷旅」でした。
後詰の円坐は、京都一乗寺にある、
30年通い続ける馴染みの大将のお店で、
大将のお料理をいただきながら、語り、
京都の夜は、さらに更けていきました。
~ 円空なる夕陽影やく影舞島の如 ~
終に太平洋の一滴とナルその日まで、
円空なる夕陽影やく「影舞島」の如、
一滴大海円坐を開催していきたいと思います。
場所は、難波の国と大和の国の境、石切です。
日時は、2月6日の日曜です。
このたびの石切一滴大海円坐にて、
お立合いくださるご縁をお待ちしております。
有無ノ一坐 松岡弘子
< 石切一滴大海円坐 開催要項 >
日 時 : 2022年2月6日 (日) 10時~17時
場 所 : 東大阪市石切 相聞亭
最寄駅 : 近鉄奈良線 石切駅 徒歩5分
会 費 : 八千円
守 人 : さい西條読真 くぅ松岡弘子
内 容 : 円坐舞台・縁坐影舞
申 込 : soumon.enza@gmail.com 松岡弘子