裏日光円坐道場〜三坐目の縁坐舞台〜

2022年4月8日(金)〜10日(日)の3日間の日程で

大阪からは、有無ノ一坐の龍虎
橋本仁美さん 橋本悠さん
お二人を日光にお迎えして、円坐道場を開場します。

この度訪れる滝尾神社は、
日光二荒山神社の別宮で、
参拝者のおおい東照宮の脇道から山道へはいり、
苔むした古道を辿ったその奥にあります。

途中の「開山堂」には、日光山の開祖である勝道上人(しょうどうしょうにん)が祀られ、
日光開山の縁がふかい場所です。

裏日光の春の景色にお迎えするのも楽しみです
以下、ご案内いたします。


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ご無沙汰しております。橋本悠です。

この度、桜井敦子さんの主催する裏日光円坐道場に守人として橋本仁美ともどもお呼び頂いたので円坐をいたします。

本来は姉の橋本仁美が一人で行くはずだったものが、話しているうちに自分も興味を惹かれ参加する運びとなりました。

円坐とは何か、またどういった空間なのかと問われるならば、僕が目指し実現する事は依存や怠惰では成し得ない、正しい意味での「無条件の肯定的尊重」を目指す場です。

多方面で円坐で活躍している方が沢山おられますが、僕はそのどれもが「無条件の肯定的尊重」という一番大事な根幹を定めていない、若しくは外しているために歪にぶれていき、挙句世の中のいちコンテンツに落ち着き淘汰されていっているように見えています。

勿論、過去にも現在でも僕の預かり知らないところでちゃんとした円坐を実践している方もいるでしょう。
真に無条件の肯定的尊重を実践できているのなら、恐らく僕とは交わらないだろうとも考えているので、僕に気づかれず人々に必要とされながら己の道を進み続ける人には、例え顔すら知らなくとも尊敬と羨望を覚えます。

難しい事なので知らなければ実践などできなくて当然だとも思っていますが、僕に交わった人は少なくとも何かで気付き、人間というものに向かう意志、疑問が芽生えた人だと認識しています。
なのでこちらも全力でいち人間として向かいますし、敵わなくとも火種を残すことをします。
それをヒントにするか嫌な過去にするかはその人次第ですが、霞をかけず世界を認識し内外共に思考力を凝らせられるならば再び会うこともあるでしょう。

形的には有無ノ一坐から内2人が遠征に行くようになりますが、有無ノ一坐は関係ありません。
そもそも有無ノ一坐とは全員で価値観を共有し己を妥協して生きる共同体ではないので、いつかの「円坐家族」でも言ったように、お互いに牽制し合い磁石のプラス同士マイナス同士がより強い意志で集っている集団です。

僕の円坐での思惑は上に書いた通りですが、お金とお時間をいただく以上そこに妥協はないので、たとえ守人仲間、一坐仲間、主宰者だろうと僕の目指す無条件の肯定的尊重を無下にしようとするならば、それすらも肯定と尊重をする為に僕が最初に立ちはだかります。

今回は牽制し合う有無ノ一坐が1人しかいないので4人集まった時よりも橋本悠がキツく出ると思いますが、その分歯止めをかけないのでどうかご容赦下さい。

単に仕事としてではなく一個人としても、当日まだ見ぬ皆様にお会いできることを楽しみにしています。
まだまだ生意気盛りの若造ですが、だからこそを実践するので当日はどうかよろしくお願い致します。

橋本 悠


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有無ノ一坐、橋本仁美です。
このたび、さくらさんこと桜井敦子さんが道場主をつとめる
裏日光円坐道場へ姉弟で道場破りに行かせていただきます。
円坐の守人をします、ということなのですが、あえて道場破りという言い方が
裏日光円坐道場にはぴったりに思えるのでそのように書かせていただきました。

普段はもちろん楽しくお付き合いさせていただいているさくらさんですが、
円坐では、その分真剣に向かいます。
また、さくらさんからの真剣な一太刀を受けることを覚悟して臨む所存です。

裏日光円坐道場における“道場破り”とは、
私にとっては、道場主である桜井敦子さんへの道場破りであり、また、
普段有無ノ一坐としてともに活動し、弟にもかかわらず兄のように
お世話になっている橋本悠との真剣勝負の仕合いでもあります。

そしてご参加くださる方々が、各々の人生において筋金入りの生き方を
されてきた一流派の創始者であり、その人たちと円坐にすわるということは、
お互いが、お互いの道に対して道場破りをする者同士であるという認識であります。

私は専門的に心理学や宗教を突き詰めて学んではいませんが、
目の前の人との関係を丁寧におこなうことで、世の中で真理といわれるものや世界情勢に
つながるものがあらわれ、そこから体験的に学んでいるという経験をしています。

事前に知識として知る学び方では実感が沸きませんが、
現場で体感したことがのちに本で見知ったことと繋がり
自分ごととして理解が深まるのは何物にも替えがたく面白いです。

知識を先に学んでしまうと、知識に染み込んでいる権威性から
上下関係に入ってしまい、正しく受け取ることができないことが多いのですが、
現場で体感したものをその後知識と照らし合わせていくという順番だと、
世の真理や難解な概念を自分たちの生活レベルの言葉で仲間と共有しあい、
歴史の偉人たちと対等に通じ合える喜びがあります。

円坐というただ一般人の集まりのなかに、
世界、宗教、歴史など人にまつわる様々なものが凝縮されています。
上に書いたような認識に通じる時間をぜひみなさんとご一緒したいと思っています。

また、
弱者を装って相手を支配したり、印象操作のために人を利用したりと、
私たちはしばしば他者を信頼することをあきらめ
私利私欲のため大なり小なり他者を操作することを選ぶ日々を過ごしています。

そういった態度は、世界情勢のなかでも多数見受けられますし、
いってしまえばそれが世の中のメインのやりとりでもあります。歴史的にも多く繰り返されてきました。
それが人間です。

わたしたちのその姿勢や態度を批判するのではなく、そういうものがあるのだ、ということを見ること、
そしていざこちらを操作してくる相手と関わることになったとき、
自分はその相手とどのように関われば悔いなく生きられるのか、ということ。
それを失敗しながら実践していくことを私は円坐をするにあたり大事にしています。
そうやって対峙力、人間関係の足腰をつけることは、そのまま世界と対峙することにもつながると思っています。

少し具体的に自分の経験を重ねて書いてみると、
小さなレベル感のところでは、たとえば沈黙が苦手な相手が、
間をもたしたいためにこちらへ話をふってきた場合に、
必ずしも相手が持っていきたい流れや期待してこちらに求めてくる態度に合わせた動きをしない、ということ。
それは、相手に反発したり無視をするということではなく、武術の仕合のように相手の動きを見極め、
相手に対して自分が悔いのない動きを模索し手を打っていくことです。
もちろん、円滑に関係を結びたい部分を満たすために、
円坐以外の場(日常の場面)では角のたつことはせず穏やかに話す場面も多々あります。

また、私に対して誠実な態度で関わってくる風を装って、実は私と向き合うわけではなく、
私との関係を利用して“誠実に向き合っている様子”を周りに見せるためのアピールを目的としてくる人もいます。
そういうことが起きたときには、私はその人に対してしつこく食い下がったりすることもありますが、
それはその人を批判するためではなく、
相手のその動きを見逃してしまうと、相手と関わっている私自身が私を粗末にしたことにもなり、
そうなることを私は自分の人生において許さないからです。

なので、もしその場にいる全員に批判されたとしても、私は私のために相手へ向かいます。
余談ですが、このときの“私のためだけに生きる”といもいえる、一見自己中心的に思える動きは、
結果的に私のはからいを超えたところで相手を大切にする(大きく切る)ことに繋がっていることを経験的に確信しています。

この状況において私は相手を大切にすることをまったく目的とはしていませんが、
相手と対峙したその副産物として、偽善的ではなく相手を思いやる関係性が成立すると考えています。

長くなりましたが、このような私の考えと生き様をもって、日光へ向かいます。
ご一緒くださる皆様、どうぞよろしくお願いいたします。

橋本仁美


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今回守人として円坐道場にお迎えする
仁美さん、悠くんは
円坐稽古会や振り返りなど、折々の話を通じて、
人の間で起こったことを語れる、
わたしには同士のように感じる存在です。

お二人それぞれの視点によって、
今まで人との間で起こった経験を
あきらかにされることがあります
それはたとえばネガフィルムが現像されて
映った影の形の意味があらわになってくるように、
その時には言語化出来なかった
自分の体験の違和感が、
全体を見通す、立体的な像となって明らかになったりします。

ひとが何によって動き、動かされるのか。
実際の体験から、仮説を立て、
より潜在的な構造に分け入っていく道程は、 
わたしにとっては、その都度新しい体験です


……


言葉を辿ることで、自分が何をしようとして、
何があらわれるか。
最終的なゴールや目的を定めるわけではないですが、
円坐に坐る中で、自分の向かっている方向は
よりはっきりしてくる感じがあります。

自分自身の"質"や、自分がほんとうは何をしようとしているのかという"願望"は、
自分でありながら、というか、
自分だからこそ気付きにくく、
自分がこう望んでいるはず、と思っていることと
実際人との間で現れる姿はまるで違っていることがあり、
それが、他人の目には、奇妙に矛盾した状態に見えることが、多々あります。

それは、人と向き合う深度や密度があってはじめて、その人の持つ質や、望みの本当のところが
形をもってあらわれて来るからだと思いますが、
そこをお互い見合いながら触れていくことは、
現れてくるものの良し悪しは別にして
矛盾して引き裂かれたものが一致していくというか、
その人の生きてきた力がこちらにも伝わってくるような、
輪郭あざやかな空間が広がるような感覚があります。
ふたりの守人
仁美さんと悠さんをむかえるなら
「一石を投じる」というような心持ちで、
その空間に広がる言葉にむかっていきたい所存です。

どうぞよろしくお願い申し上げます。

桜井あつ子(さくら)

◆日程

・2022年4月8日(金)〜10日(日) (2泊3日)
・集合場所:栃木県日光市小林
 (東武線下今市駅から関東自動車バス(31分乗車)
 大木バス停で下車。 )
・開催時間:4月8日(金)13時半〜(開場11時)
 解散時間:4月10日(日) 15時30分頃

◆会場

円坐会場:
⚫︎栃木県日光市小林宅
*会場、宿泊場所などの詳細は、参加者へそれぞれ連絡します。
★滝尾古道・滝尾神社
http://www.nikko-kankou.org/spot/24/

◆参加費

・42,000円
・参加費に含まれるもの:
 宿泊費、初日の夜から3日目の昼食まで6食分
 円坐・影舞等のワーク費

◆募集人数

・6〜8名程度

◆お申込み/お問い合わせ

sakura.fule@gmail.com
または、
桜井敦子のメッセンジャー
 までお願い致します。

*お申し込みの際にはメールの件名
「裏日光円坐道場申し込み」と書いて、
本文に下記項目をご記入ください。
追って、参加費振込先、スケジュール等を送ります。
 ① お名前
 ② なるべく早く連絡がとれるメールアドレス
 ③ 当日連絡がとれる電話番号
 ④ 当日のご来場方法 (車か電車か)
 ⑤橋本仁美さん、橋本悠さんへのメッセージ
  または参加動機など、
  主催者に要望などございましたら、お言葉を
  お願いします。

不明な点がございましたら、お気軽にお問い合わせ下さい。

◆守人

橋本仁美さん
橋本悠さん
桜井あつ子