傾聴トレーニング 〜耳を澄ましてそのまま聴く〜 円坐(エンザ)、未ニ観(ミニカン)、影舞(カゲマイ)@佐賀

九州に良い仲間がいます。
博多のわが友「潤ちゃん」は前回仁美とお邪魔した時に「いくら食べてもなくならない駅前うどん」を体験させてくださって、本当に食べても食べても無くならなくて衝撃でした。
うどんが増える前に一気に食べ切るのがコツらしい。
息子さんの昴(マオ)くんとも初めてお会いできて本当にうれしかった。

僕は尊敬する仲間がご家族をご紹介くださることを心の底から光栄に思っています。
博多美人の「クロ」は僕の生涯の中でも忘れられない仕事を企画してくださった人。
口蹄疫で何百万頭もの家畜を殺処分し、筆舌に尽くしがたい苦しみの中にいた宮崎県川南町での「きくみるはなす縁坐舞台」を実現してくださった方です。
直接関わり合った川南の方々の面影は今も皆鮮やかに僕の魂の中で生きています。
その時県外から参加してくれた人と今も親しく付き合っています。まなびーとか^^

佐賀県基山市の美沙さんは、同じく佐賀市の濱田の裕ちゃん一家主催の古民家民宿「具座」円坐舞台で二年続けてご一緒した子育て中のお母さんです。
円坐舞台に馴染むにつれご自分の歌声を思い出され「対話という芸術の道」の道連れ仲間となりました。今回は彼女の地元基山市で勇気を出しての企画です。


他にもその生き様をご紹介していきたい九州の円坐舞台守人社中、連中仲間がいます。
九州人は仁義の筋を通してしっかり人との関係を作る伝統的な傾向があるようです。
男女問わず一度信じたら一生ものだという気迫を感じることがあります。
個人としては仁義に、集団としては祭りに命を賭ける土着の九州人の気風は、人との「関わり合い」に精神的な命を賭ける芸能者としての円坐舞台守人の生き方と大いに通じるところがあります。

6月は博多と佐賀の基山で三人による二つの円坐舞台を開催します。
以下ご案内の言葉をどうぞ。

口承即興円坐影舞
有無ノ一坐  橋本久仁彦

6月博多のご案内はこちら → くにちゃんに学ぶ場づくりのヒント

傾聴トレーニング 〜耳を澄ましてそのまま聴く〜 円坐(エンザ)、未ニ観(ミニカン)、影舞(カゲマイ)

「言葉を辿ることで高まる場の力」「1人の人間がどれだけ奥深く、美しく存在しているのかという事実」に出逢う時と場を設けます

【日時】

6 月 18 日(土) 10:00〜17:00 (9:30 集合) 6 月 19 日(日) 9:00~16:30

【会場】

児童養護施設 洗心寮(基山町宮浦 823-2)


【場の守り人】

橋本久仁彦さん

【参加費】

16,000 円
※別途:18 日宿泊希望者は実費割り勘
※参加費に昼食代は含まれません。
※基本的には両日参加できる方を募集しています。1 日のみしか参加できない、という方はお問い合わせください。

【申し込み】

(美沙さん)
noasobi.supark@umunoichiza


【プログラム】

(予定は変更になることがあります)
① 6/18 10:00 チェックイン 円坐・影舞
    12:30 昼食
    13:30 円坐
② 6/19 9:00 〜16:00 未ニ観(ミニカン)
    16:30 解散


~わずか15分間から見えてくる「世界」~
「未二カウンセリング」は橋本久仁彦さんが開拓されている 「そのまま聴く」聞き方やあり方です。
未二カウンセリング=ミニカンとは、ペアになった2人が、“15分間”という時間を区切 り、それぞれが聴き手と話し手になり、聞きあう場です。
講師の橋本さんは「そのままきくこと」や「聴き手の在り方」の基本だということで、円坐舞台守人のお稽古としても取り入れてらっしゃい ます。
今回は、“8分間のミニカン”を試みます。
録音した音声を元に、言葉の一字一句、沈黙や聞こえてくる音など、すべて詳細に書き起こ した作成された「逐語記録(作品)」を、1つの作品に1時間ほどをかけ、講師の橋本さん にレビューをしていただきながら、場に集った皆で8分間に起きている事実を丁寧に、詳細に見つめていきます。
聴き手側の視点に立つと、「そのままに聴く」ということが、どんなに難しいことなのか。
いかに自分は人の話を「聴いていないのか」という真実に愕然とします。
話し手側の視点に立つと、1人の人間がどれだけ奥深く、
美しく存在しているのかという事実を目の当たりに します。
ほんと数分の「きく空間」を作るだけで、こんなことが起きるのかと感動をおぼえます。
カウンセリングという名前がついていますが、いわゆるカウンセリングや治療技術では ありません。

☆★ミニカン(未二観)スケジュール★☆
・橋本さんからミニカンについてのレクチャー
・きくことを体感してみる影舞などのワーク
・8分ミニカンを交代でやって録音
・円坐などセッション
・逐語録作成 8分ミニカンの逐語録の文字おこし
※人によって1時間~3時間くらいの時間を要します。
・8分間を味合う 橋本さんによる逐語録のレビュー

【食事について】

・お茶菓子、簡単なお茶コーナーは用意します
・18 日昼食はお弁当をご持参ください。
・18 日夕食は基山某所にて
・19 日昼食をご希望の方はこちらで準備します


【宿泊】

基山合宿所 実費 3150 円程(朝食代込)人数によって変動します
*歯ブラシ、タオル、パジャマ持参ください。(シャンプー類、ドライヤー有)
https://www.town.kiyama.lg.jp/kiji0031693/


【持参するもの・お知らせ】


・持ち物として 録音のできる機器(ボイスレコーダーやスマホなど)、必要であればパソコンをお持ちください。
 (書き起こしに関する物品の都合がつかない方はご相談ください)
・逐語録書き起こしについて 当日に各々で録音した音声データを元に、8分間のミニカウンセリングの書き起こしをしていただきます。

お手本の逐語録は当日お見せいたします。
PC での入力が書き直しなど 便利ですが、手書きでも構いません。
出来上がったらメールでやりとりしたり、二日目の朝 にデータをいただいたりして、参加者人数分をこちらで印刷いたます。


橋本久仁彦さん◎プロフィール

1958 年大阪市生まれ。大学卒業後は高校教師となり、アメリカの心理学者カール・ロジ ャーズが提唱したパーソン・センタード・アプローチに基づく「教えない授業」を 10 年間 実践する。
その後アメリカやインドを遊学し、人間同士の情緒的なつながりや一体感とともに発展する有機的な組織作りと、エネルギーの枯渇しない自発的で創造的なコミュニティの建設に関心を持ち続けている。
平成 2 年より龍谷大学学生相談室カウンセラー。
様々な集団を対象とした非構成的エンカウンターグループを行う。
平成13年12月に龍谷大学を退職、プレイバックシアタープロデュースを立ち上げ、プレイバックシアター、エンカウンターグループ(円坐)、サイコドラマ、ファミリー・コン ステレーション、コンテンポラリーダンスなど、フィールド(舞台)に生じる磁場を用いた 欧米のアプローチの研究と実践を積み重ねるも、このたび、10 年間の活動を終え、その看板を下ろす。
現在は、口承即興円坐影舞空間「きくみるはなす縁坐舞台」を実践する「有無の一坐」の坐長として日本各地へ「名残りの出稽古ドサ廻り」を行っている。
高野山大学スピリチュアルケアコース講師。

<橋本久仁彦さんのことば>
ミニカウンセリング(未二観)は、それが 15 分間の逐語記録となって目の前に現れるとき、僕にとっては、音楽であり、普遍的な価値を表現した映画のようです。
僕は、一般に流布している「気づき」や「成長」や「目的」「進化」「肯定」「愛」「信頼」と いった言葉や概念と、ミニカンの 15 分間の中にいつでも実感として確認できる「動き(熱と圧)」を明確に区別しておきたいと思います。
ミニカンは気づきや成長のために行うものではありません。
「ミニカンの 15 分間」に起こる事実にただ参入し(舞い入り)身を浸すために行う祭りであり、人生の本質である「他者」とひとつになって共に生死を越えてゆく永遠の道行きです。
僕がミニカンの現場の常識として知っている事実は、我々が、自分の深い、より微細な層で、一つの 意識状態から別の意識状態へ移ろって往く動きを常に生きている(舞っている)ということ です。我々は日常の時間をはるかに越えて旅する存在です。

【文中のことばの補足】

≪円坐とは≫
1950 年代、米心理学者カールロジャースによって始められたカウンセリング手法の一つ に、非構成的エンカウンターグループがあります。
それまで一対一で行われていたカウンセリングを少人数のグループで行ってみたのが始まりです。
その非構成エンカウンターグループを長く行ってきた橋本久仁彦氏が、日本人としての存在感をもとに新しく構築した集中的グループ。
相互の人生に出会い、学びや成長を深めることができる手法と考えられています。
治療を必要とする方のためのグループセラピーではなく、そこに集まるメンバー相互の人生に出逢い、必然的に学びや成長が深まる面白い手法です。
『円坐』にはあらかじめ決まった目的や話すテーマ、展開など意図して構成されたものが ありません。
集った人と円になって坐り、心に浮かんだことを話したくなれば話し、話したくなければ沈黙し、想いのままに語り合い過ごしていい時間です。
円坐守人(もりびと)は耳を澄まし、お互いの言葉をていねいに辿り合う場を作り、場を ご一緒させていただく方と刻限を尊重しながら共に生きます。

≪未二観とは≫
手法としては基本二人一組で話し手、きき手と役割を持ちます。
今回はそれぞれ 8 分間ずつで、 内容を録音し、逐語記録を作ります。
二人で一緒に、話し手の世界を『ここにある』ように している感覚になります。
「もし、ただありのままに話し手の言葉を聞くことができれば、
その8分間は類まれな美しさを湛えた作品となります。
それが『聞く(菊)』という鏡に映った我々の晴れ姿(影身)です。
この姿見の視界が開けると、生きてきた人生に刻々と影響している影からの響き(影向)にも聞き耳を立てることができます。
我々がただ語り、ただ話す(放す)ことが、実は 一大事であること。
そしてそれは『聞く者』がいて初めてアラハレる出来事であること。 」

≪影舞(かげまい)とは≫
影舞は、誰にでもすぐできる舞いの形です。
特に、詩や歌曲などと共に舞うと、詩や歌詞の言葉の「形」がくっきりと際立ち、聞き慣れ て当たり前に知っていた曲がこの曲ってこんな歌だったのか、と時には涙になるような感動をもたらすことがあります。
影舞では、舞い手は楽曲をほとんど聞いていませんので、歌の心を表現する意図を持つことができません。
にもかかわらず、影舞を見る人は、詩歌そのものの心を普段より深く感じ取ることになります。
影舞とは影間居(影の間に居ること)。
「自分を表現する」から退きあげていく稽古。静まる (鎮まる)稽古。
「自分」という熱が冷めていく稽古。
舞い手が無垢な在り方で、自分を踊らず、ただそこにいる(間居)と
元々の詩歌の言葉のニュアンスや行間に宿る生命が自由になって向こうから立ち上がってきます。