ト 円坐 第四回:思考とシュタイナーと円坐舞台

近年の地球規模の異常気象や伝染病、戦争、プロパガンダやフェイクニュースなどの現象が示すように、一つの文明が急速に下降してゆく時代を生きのびていかねばならない我々にとって、人間同士の深く強い関係性を実現する具体的な力を身につけることは必須の要件だと思います。

「信頼」「真剣」「絆」「誠実」というような言葉がもともと指し示していた生身の人間同士の関係は、今や貴重なものになってしまったように見えます。

周囲に存在する「他者」に対して、相手や自分の反応をコントロールし、互いに踏み込むことのない「尊重し合う関係」の中で眠り込むのではなく、対峙している相手と真剣で直接的な関係を「結び合う」意志と能力を持つことは、滅亡の危機に瀕しているこの世界が切実に求めているものであると考えます。

「人と人との絆」はニコニコと共感してうなずいていれば向こうから「結んでくれる」わけではありません。本当に「結び合う」ときには、たとえ家族であっても「切り結び合う」ことになります。

五月の連休に有無ノ一坐は四国高知の四万十を目指して名残りの出稽古ドサ廻りを行いました。
これからの人生を深く生き抜いて往くために我々が会うべき人に会うための旅でした。

まず香川・三豊市の臼杵英樹氏に会って一泊させていただき、臼杵さんがご家族と団結して対峙し、仕合っている仕事の核心に、昨年に引き続いてふれさせていただきました。
その生き様への敬意から有無ノ一坐も今後できることをご一緒して参ります。

この日は折しも臼杵さんの62歳のお誕生日でした。
臼杵さんの今生の始まりの良き日にご一緒できたこと、我ら一坐の光栄となりました。

あくる日は高知県に入って坂本勲氏に会い、かつて円坐で対峙し仕合った「絆」を新たにしました。
高知市内の坂本さんの「いくさ場」に招いて頂いて影舞の舞台を交わし、坂本さんがその人生を惜しみなく投入しておられるお仕事と大切な同志の方々を言祝ぎました。

我々にとって讃岐と土佐の「志士」とも思うお二人からは、一坐ヘ心のこもったお土産を頂き、近日の再会と仕合の続きを約して別れました。

臼杵さんと坂本さんは有無ノ一坐が香川と高知へ出稽古する時には必ずご挨拶に伺う盟友です。
筋の通った仕事をし、信念を賭けて仕合い、互いの生き様を言祝ぎ、うまい酒を酌み交わせる男たちです。

有無ノ一坐の黒いオデッセイ号は、高知・南国市の坂本さんのご実家に立ち寄り、見送ってくださる坂本さんの姿が見えなくなるまで手を振って、一路四万十を目指しました。

四万十町の十和(とおわ)地区は、娘であり一坐の同僚でもある橋本仁美がかつて二年間住んでいた土地です。
娘は精神的に疲弊して仕事を辞し、四万十へ行く前とはまるで別人のようになって戻ってきました。

四万十の暮らしについては僕も多くを聞かなかったし娘も語らなかったのですが、
娘が大阪に戻ってから、ほぼ定期的に季節の野菜や川魚など、心づくしがあれこれと入った段ボール箱が娘あてに送られて来るようになりました。

送り主は数人いて、それぞれ娘がお世話になった方だということでした。
新鮮なものばかりで、仲間にもおすそ分けして美味しく頂いています。

娘の四万十の暮らしの中で、この方々が心を支えてくれたから二年間がんばれたというので、いつかコロナが収まればお礼に伺いたいと思っていたのです。

お一人は娘を自分の孫のようにかわいがってくださった吉川さん。
今年75歳で、四万十川沿いの道路に面した築50年のちいさな古民家にお一人で住んでおられます。
節約しながらの慎ましい暮らしの中、我々一坐5名を泊めてくださった上に山菜料理でもてなしてくださいました。

「いつでも泊まりに来たらええ。夏に来る?お盆もどこにもいかん。ここにおるよ。」

狭い部屋の小さな炬燵に吉川さんを囲んで坐り皆で食事する風景は、僕自身の生まれ育った昭和の懐かしい我が家の空気と重なり、心からくつろぎました。

炬燵を囲んでおやつを食べながら談笑している時、吉川さんがふと娘に言いました。

「仁美ちゃん。大阪からソーメンとか送って来るけど、もう送るな。その金でバスの切符買ってここへ来い。」

温かい声と眼差しでした。

娘が携帯になかなか出なかった時に、部屋で倒れているのではないかと、軽トラで娘の住む集落まで駆けつけてくださったこともあったそうです。
吉川さんとご一緒するうちに 僕は、この人と通常の儀礼的なやりとりはしたくない、必ずまた会いに来る、と心に決めたのでした。

「みちるさん」は、元気のない娘をいつも見守り、娘の魂である音楽を忘れないよう心を配ってくださった人です。
ご両親の介護をしながら「日銭をかせがんといかんから」と軽トラで「運び屋さん」の仕事に追われています。今回も娘となかなかゆっくり会う時間がありません。

ところが大阪へ帰る日の早朝、娘の携帯が鳴りました。
みちるさんが玄関の前にいる、軽トラで仕事に出る途中来てくれた、と娘は飛び起きて外へ出ていきます。

「みちるさんって律儀な人だな」と漠然と考えながらシュラフの中にいると、

「父さん、みちるさん来たよー」と呼ぶので、娘がお世話になったことの御礼を言おうと玄関に出ました。
すると国道の脇に停めた軽トラを背にして、娘と並んで立ったみちるさんが、僕がお礼のあいさつを口にする前に、

「仁美ちゃんをよろしくお願いします」

とお辞儀をしてくださったのでした。

こちらこそ、と慌てて挨拶しましたが、
僕の想像よりもずっと娘を思ってくださっている気持ちがまっすぐに伝わってきてびっくりし、「律儀だ」などと思っていた自分の先入観を恥じたのでした。

僕のスマホにはみちるさんからのショートメールが残っています。

「ひとみちゃんは四万十の十和っ子ですよ。
とにかく!ひとみちゃんはみんなが会いたかった~!!
ひとみちゃんに逢える日を楽しみにまっちょくきね〜!」

「たけさん」の家は、古城(こしろ)地区の曲がりくねった谷川沿いの道を山深くまで分け入ったところにあります。
きれいな谷川を見下ろして、急な斜面に石垣を組んで建てた古民家があり、ここでたけさんは94歳のお母様とおふたりで住んでおられます。

山の斜面を切り開いて茶畑や栗の木を、森の中ではしいたけやタケノコを、そして山を駆け巡ってイノシシや川魚を獲る。
娘に言わせるとたけさんは「山のスーパーマン」です。

たけさんは軽トラの荷台に我々を乗せて深い山中へ導いて下さいました。
そこで過ごした濃密な時間は、我々一坐にとって生涯忘れることのできないものでした。

写真に撮ることがはばかられるような神聖な出来事もありましたが、
たけさんが娘との関わりをとても大事に思ってくださっていて、

今回父親である僕が訪れることを「天皇陛下が来る」みたいな思いで待っていてくださったと聞きましたので、
ここでは出来事の詳細を記すことは控え、

「仁美はいい子です。めったにおらん。」

と言葉少なに告げてくださったたけさんのご厚情に
ただ坐して御礼を申し上げたいと思います。

四万十川河畔の昭和の雰囲気に包まれた喫茶店「ロマン」では、
たくさんの地元の方々が娘を歓迎してくださいました。

お店のママさんや常連の年配の女性方が満面の笑みで娘の四万十再訪を喜んでくださって、お店は明るい笑い声で包まれました。

「仁美ちゃんが来てるよ」と常連のお一人が携帯で知らせてくださると、すぐに軽トラで飛んできたご年配の男性は、娘の隣の席にそっと座り、何も語らずただ微笑んでおられました。

「これは仁美が四万十の町議会議員に立候補したら間違いなく当選するね」

と思いがけない大歓迎に驚いて冗談を口にしましたが、それほど喫茶「ロマン」の店内は娘を囲んでひとつになり、土佐弁と大阪弁が飛び交う賑やかな、懐かしい、慈愛あふれる空間になったのでした。

僕は四万十町十和地区の地元の方々が娘に注いでくださる大きな愛情にとても驚きました。
父親として、一坐の仲間として、そして一人の人間として心の底からありがたいと思いました。

この事実はこうして四万十へ我が身を運んで来なければ決して分からなかったことです。

3年前の2019年8月、

「ここ数ヶ月、ひとみちゃんが(団体名)の仕事に支障をきたすことが続き、(団体名)のみならず、周辺にも迷惑をかけてしまっています」

と言う言葉が、娘が働いていた団体の代表からのメールに記されていて、以来ずっと気になっていました。
「周辺」とは地域に住む方々のことだと思ったからです。

今回の出稽古の旅で四万十に父祖の代から住んできた方々に直接お目にかかることができたことで、
「周辺にも迷惑をかけてしまっています」
と言う言葉が地域に住む土着の方々のことを指すのではないということが分かりました。

地元の方々とご一緒するうちに我々にも見えて来たのは、
地域の外からやって来て団体を立ち上げ、「四万十の地域のために」活動しているようなイメージを作り、「四万十で人と仕事をつなぐ」という売り文句をネット上で拡散し、県外から若い人々を引き寄せて営利を得ているその代表と団体にとって、利益を生むことのできない娘が「支障をきたす」ということです。

同じ営利主義の価値観を持って、土着の方々の人間性とは深く関わらずに地域の表層に住み着き、土地の名称や美しい環境を商品の「ブランド」として自分たちの営利活動を行っている代表やその「周辺」にいる人間達の、
営利と効率を最優先する価値観そのものに対して、そこに住む人々との誠実な絆がなければ生きて行けない娘が「迷惑をかけてしまっています」ということであると我々は考えています。

この団体では都会から夢をもってやってきた若いスタッフの離職率も高く、この代表の価値観の下で働くことの葛藤に精神を疲弊させ「自己都合」による退職を勧められて辞めて行った若者は娘ひとりではなかったのでした。

地方の町に呼んで頂いて「円坐守人」として仕事をする時、円坐の働きによって共に坐衆として坐った方々や地域の人々との関わりが必然的に深くなり、守人自身もその土地に潜在する問題と関わらざるを得なくなることがあります。

僕がかつてカウンセラーやファシリテーターとして仕事をしていた時はこのようなことは起こりませんでした。

参加したメンバーの問題はそのメンバーやその土地の問題であって、ファシリテーターはしっかり自他の区別をし、土地の問題や人々の生活の現状には「無責任に」関わらないようにします。

ですから地域の人々との個人的な関わりも仕事の必要以上には深まりません。
そして与えられた限定的な場のファシリテーション(場のプロセスの促進)を行って報酬をもらって帰ります。

円坐守人はそのような「自他の区別」や「自己責任」など、あらかじめ線を引いて他者と関わる態度として現れる「個人主義」の思想を持っていません。
ただ生身の人として揺れながら人々と共に坐リ、親しく生き合うのみなので、あらゆる出来事が円坐を通じて「起こる」ことができます。

お陰さまで僕や有無ノ一坐の場合は、自分の人生が過ぎて往くのがあまりに短かすぎて惜しいと思うほど、面白くてたまらない展開になりました。
それは、自分以外の「他者」と本当の意味で付き合えるようになったと感じているからだと思います。

「円坐」とは、ただ丸く坐ってお互いの生き方を尊重し合って終わるものでは決してありません。
時に自己の信念をかけて異なる価値観と対峙し、堂々と仕合うことができる「人間性の舞台」になり得る面白い場です。

円坐のそのような特徴を指して香川三豊の臼杵さんはお仲間に、「円坐っていいよ」と心から勧めてくださったのでした。

かつて円坐で仕合った間柄である高知南国の坂本さんも円坐の本質をよくご存じです。

「橋本さん、また四国へ来てください。かかっていきますから。」

とまっすぐ僕の目を見て言って下さった坂本さんの言葉が胸に刻まれていたからこそ我々は今回お訪ねしたのですから。

今月26日に開催する「思考とシュタイナーと円坐舞台」。
ここで言う「思考」には他者との「対峙」と「仕合い」が含まれています。
「思考」とは思考する対象の生命と直接ふれ合うことだからです。

四万十への出稽古によって我々は「四万十とそこに住む人々を思考した」と言うことができます。
有無ノ一坐の「思考」とは、思考する対象や相手との間に血が通い、
生き生きと立ち上がって「ある人との切実な間柄」と言う「新しい生命体」になることです。

第4回目となった有無ノ一坐の「ト円坐舞台」。
「思考とシュタイナーと円坐舞台」というお題に、
我々がこの身を運んで「思考」し「切り結んで」「切実な間柄」となった四万十を加えて

「四万十と切り結ぶ思考、そしてシュタイナーと円坐舞台」
といたしましょうか。

有無ノ一坐 橋本久仁彦

思考はその人個人のものなのだろうか?
思考するのはいったい誰なのだろうか?

「わたし」は人やものや世界との関係で、
「思考」を感知しとらえて生じさせうる、
「精神」そのものなら、

既知の世界から未知の世界へ、
死に続けて生まれ変わるので、
生きることも死んでいくことも、
決して退屈しません。

ところが、
事実をなかったことにして、
現実を自己中心的に作れる人は、
「自分は思い込みが強いんです」
と本当には言えないと思います。

他者との間や周囲の関係性にも、
生きていないという気がします。

先日、有無ノ一坐の橋本仁美さんから、
「満場一致のパラドックス」の記事を、
紹介していただきました。

満場一致のパラドックスが起きるのは、
たぶん、好きか嫌いか、
役に立つか害を及ぼすか、

魅力的か反感を買うかみたいなスケールで、
出来事を捉えている時に、
起きやすいようにも思いました。

その出来事を捉えている主体の、
精神的な営みというのか、
思考の仕事そのものは無視され、

表面的に現実を仮設してしまう気がします。
決め付けたことをさらに思い込むことで、
決定的にしてしまうのかもわかりません。

思い込んだはずの「人」そのものは霧散し、
いつのまにか消えてしまうのだと思います。

本来思考というのは、
自分は、自分以外の、
空だったり、花だったり、本だったり、
他者だったり、世界だったり、宇宙なのに、

科学的?な人は実証できる事にすり替えて、ただ連想したことを問わないまま、
論理でつなげてしまう能力があり、

一瞬にして数人で、
冤罪や満場一致のパラドックスを、
引き起こせるのかもしれないです。

それとも、
もっと複雑なのかわかりませんが、

ふたりの間で、丁寧にふれあって、
どこに運ばれていくかわからないけれど、

確実にあるテルペンが思考である、
というような気がむしろするので、

未ニ観とか影舞したらいいのかも、
しれませんね。

それでは第四回「 ト 円坐」
「思考とシュタイナーと円坐舞台」
は、6月26日日曜日です。

是非ご一緒ください。
お待ちしております!

有無ノ一坐 松岡弘子

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① 1月16日 終了「人間と人と円坐舞台」

② 2月13日 終了「仏教と円坐舞台」

③ 4月24日 終了「他者とシュタイナーと円坐舞台」

④ 6月26日 開催 「思考とシュタイナーと円坐舞台」

       別名「四万十と切り結ぶ思考、そしてシュタイナーと円坐舞台」      

・時間:10時〜17時

・場所:影舞山月記(鬼)稽古場 大阪市西区千代崎 2-20-8

・会費:各回 八千円

・守人:有無ノ一坐

・申込:enzabutai@bca.bai.ne.jp 橋本久仁彦