2023.7.30
九鬼紋七氏 (九鬼産業 株式会社 代表取締役)
橋本久仁彦(有無ノ一坐 坐長)
聞き手:橋本
これから8分間くっきーこと九鬼紋七さんのお時間とさせていただきます。
私、橋本はお言葉を辿らせていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
何なりと。
九鬼
はい。
今日お昼、橋本さんたちと私の工場のある場所を回らせてもらいました。
私にとっては日常の景色や状況なんですけども、
それをあらためて、橋本さんとの、くにちゃんとの、もう20年近いんだね、
もうその背景と私の背景が重なり合って 私から出てくる言葉とか、
今までにはなかった言葉を橋本さんにお伝えできる。
それがもう、それを受け取ってもらえるということがうれしい。
それに対して橋本さんの反応、
リアクションが、どう受け取ってもらってどう返してくれるかと、
そして出てくる言葉に、うーんああそうなんだ、そういえばそうだ
と僕の中で思ってました。
もう7月で68歳になりました。
そんだけの人生背負ってるわけですから、あとはプラス、
九鬼家としての十一代目の九鬼紋七ということを
改めてこうして話してる中で意識することができました。
十一代目ということと、
もっと前の戦国時代からのことにもふれたりしたので、
そういうこともすべてが一体となって何かが自分の中で蠢いている。
で、この今坐っている伝七邸という建物を
どうやって維持していくかという使命感が
私の中でふつふつと湧き出てくるんですよね。
これは九鬼さんにしかできないよね
っていうことを何人かの人に言われました。
私にはそこまでの思いがある。
というのは昭和20年の6月に四日市の大空襲が
何回かあったんだけど、その時に九鬼家は市街地の中心に近いところ、
さきほど見て頂いたところにあったんですけど
燃えてるんですよ。蔵も燃えてしまってる。
でも市街地からちょっと離れたこの屋敷が残ったんですね。
明治大正昭和と、ここで様々な人たちが四日市を再興するために関わってきた。
それがもう歴史を閉じようとしている。
それは何とか維持する価値があるよね。私にとって、そして九鬼家にとっても。
これを維持するのが私の使命なのかな‥。
それができるものなら、やっぱり意味があると思うし、
そう感じてくれる人も何人もいます。
でも単に採算をとるだけなら絶対無理です、という状態なので話し合った。
そう言う意味では、採算じゃなくて、やっぱりその思いから、
できる範囲で何かできないかなと。
コロナがあって、いろいろあって、思いがけない出逢いもあって、
ここまで来て、まあいいことばかりじゃないけどもそれが人生なのかなと。
「晴れてよし 曇りてもよし 富士の山 もとの姿はかわらざりけり」
っていう言葉がある。
富士山っていうものがあります。雲がかかったり、いろんなことがある。
けれども雲が晴れれば元の姿が見えてくる。
そういう意味では、なんかあるのは当然だけど、
そういう思いを続ければ、思わぬ人が協力してくれて
「そこまでしてくれるんですか」っていう、
そんなご縁がここ4,5年でありました
それをなんとかいろんな方々と結実させていこうよと。
またその動きの中で、新しい人との出会いもあり、
お互いにウィンウィンになるようなビジネスを作り上げていこう。
プラス、次世代教育。
四日市とこの伝七邸を作った伊藤伝七さん。東洋紡を創った方ですね。
四日市で三重紡績を始めて、渋沢栄一の支援で大きくなって
大阪紡績と合併して東洋紡になったわけですけど、
そこでは九鬼紋七八代目が関わった。
九代目も若くして関わった。
その辺のこともありこの館というものがある。
東洋紡さんとしても、この館は初期の頃の関係があるし
大切にしたい思いはある。けれども会社としては
いろいろ事情ある中で、ある程度の条件の中で協力しようとしてくれている。
次世代教育と、あと、社会人としての巡り合いの場としての活動を
この前はやってました。
今度、ネット上でも伊藤伝七さん、渋沢栄一さんというキーワードでの番組を
ずーっと毎週アップし続けています。
で、渋沢さんの言っている「合本主義」。
「資本主義」じゃなくて、
皆さんの力が合わさって一滴一滴集まって大河になる、
そういうような考え方があれば、何かそういうものが育つだろう。
で、この館も高級な場所ではなくて、
多くの四日市の方々が集まってくれるような、
そんな場に育てばいいなと思ってます。
ただし、経営的にはそれなりの工夫をしていかねばならないと。
ーチーンー (終わりを告げる鐘の音)
橋本
時間が参りましたのでここまでとさせていただきます。 ありがとうございました。
聞き手:九鬼
これからは橋本久仁彦さんの8分間の時間になります。
自由に語っていただきたいと思います。よろしくお願いします。
橋本
まあ8分間って、
未二観があるとその8分間に、
くっきーならくっきーの言葉が顕れてね。
8分間が全部くっきーの言葉で満たされるわけですけど。
聞いているとくっきーの声、くっきーの意味している言葉が広がってね
うーん、今肉体が滅び去っていなくなったとしても、
8分間の記録があれば、何度聴いてもそこにくっきーの息吹とか息遣いね、
それから思いとかは経験することができる。そういう風に思います。
名古屋でもくっきーに会いましたけど、スクールとかでもね。
あの時は、くっきーは等身大に見えていたんです。その環境の中でくっきーがいる。
四日市では違ってて、
今日は、港からここまで連れて来て頂いて案内をしていただく、というときに、
ツアーガイドの案内ではなくてくっきーの中、内面をね、
思いをずっと案内してもらっていると、思ってよいと思います。間違いなくそうですね。
ですから名古屋で会った時のようにくっきーが等身大でいるんじゃなくて、
案内してくれるどの場所も、この伝七邸も、
くっきーが僕らを自分の場所に案内してくれているわけですから、
くっきーの伝七邸の中をずっと歩かせてもらっている感じがあります。
これは体験としてあります。
ですから、初めてくっきーの中を歩かせてもらった感じがします。
プレイバックシアターではもちろんやりとりがあって、
一緒に即興やったりストーリーやったりしたんだけど、この感じはないですから。
これはプレイバックではなくて
やっぱり四日市まで来てくっきーの空間に入って、
昔で言えば藩の中のお城のあるところまで行くのと同じだと思うんですけど、
くっきーの住んでいる世界っていうか、
くっきーはこの世界にいるわけで、
そこに僕は今回ね、我々は入らせてもらったなとおもうのと、
話をしていて、伝七さんやら渋沢栄一さんとかね、
そういう、現在はその方々の思いだけが残っているような、
肉体としては見えない方々の話題もあって、
それから九鬼紋七、十一代目ということで、
その背後にいらっしゃる方々の存在というかね。
くっきーが、その人たちを、まあ引き受けて、
というニュアンスになるのかな、
くっきーが68歳になって人生を背負うという意味は、
自分の人生を背負うという意味だけじゃなくて、
その方々の、若い時からここまでの薫陶を通じて
お父さまの蔵で見せて頂いた方々の薫陶、
お父様も先の方々からの薫陶を受けてきて
68になって今度は薫陶から対話へ。
それから薫陶を受けたことのお返し、
恩を返すということ、亡き人々との相互作用。
対話と言いましたけど、蔵に行ったときにはそう思いました。
あそこでお写真見た時に写真がやっぱりみんな生きてる。
なんで生きてるかというと、写真だけみたらただのインクなんですけど、
あそこへぼくらを連れて行ってくださったからです。
そのお気持ちがよく我々には伝わってきましたので、
影舞を御礼で置くとしたらあの場所がいいなと思いました。
子供時代の妹さんお二人とお父さんとお母様。
あの写真が生きてると僕は思いました。
一族の方々が 見には見えないけどはっきりと後ろに立っておられて、
それを感じとりながら、くっきーがお仕事をしておられるのは明白であると思います。
これをプレイバックするとしたらそういうものを役者として出すんですけど
これはプレイバックしたらダメなものです。
お父さまを出すわけにはいかないんですよ。
お父さまとかお母様とか後ろにいらっしゃる方々はそのまま見てくださるべきで
我々はひとつお辞儀をしてこの度会えたことの寿ぎであったり、
くっきーを通じてここまで来さしてもらったことの御礼であったり、
それから伝七邸とかくっきーの思いに触れた後の
僕らのこのあとの余生の活動の仕方に関して、何かあの薫陶をもらってますから
この薫陶はくっきーからだけではなくて、後ろからこう
ずーっと通じて来ているものがあります。
これは事実ここにあるのでこのまま受け取るべきであると。
これを映像化してプレイバックシアターにしてしまうと
分かりやすくはなるんですけど、逆にこの目に見えない重さとか迫力のようなものは
ちょっと消えると僕は思いますので、プレイバックしてはいけない種類のものである
というふうに僕は思います。
僕の思いだけならプレイバックしてもらってもいいんですけど、
くっきーの個人的な思いだけならプレイバックしてもいいと思いますけど
お父さまとか渋沢栄一の名前をくっきーが声にあらわしたその存在感というのは、
役者をあてがってしまうと僕はかえって地上に引き下ろしてしまうというようにも思いますので。
プレイバックを楽しむ分にはいいんだけど
ここで彼らの薫陶を引き継いで自分の残りの人生で落とし前をつけて行くと。
この地にこのたびは生まれたんだと、
この地にうまれた目的を果たして、仕果たして、
成功失敗はいろいろあろうが前に向かってね。
後ろの方々の思いを引き継いで前に向けてね。
短い人生だからみんな「中途」と「半端」で終わるにしても万古不易であると。
身は途中で滅びますけど、向かっている向こうの景色は
不易なものであると思います。
ーチーンー (終わりを告げる鐘の音)