臼杵英樹さん 〈農業円坐守人(農業士)・香川県三豊〉
橋本久仁彦 〈有無ノ一坐 座長・大阪〉
橋本仁美 〈有無ノ一坐・大阪〉
-2023.4.20 臼杵さんの竹林にて-
(後半はこちらよりどうぞ)

ひとみ
ウェブサイトに載せるというところで何か精神が
響き合うところが語られて行ければいいのかなと思っているんやけど‥
臼杵さんのどういうところが父さん(橋本久仁彦)に
響いているんだろうというところを聞いてみたくて。

くにひこ
それは明快やで。ここで今タケノコ掘って
はったけど、四万十の米茄子農家の人は売れること考えてはったやん。
「傷ついたら売れへん」ってね。臼杵さんの場合は、
これを手にする人間のこと思ってはんねん。
こだわり市がアトピーの子供さん持ったお母さん
たちのこと思ったり、そういう人間の声を聴いた上で、
畑やって、あらゆる農作物栽培してるところがまあ第一やね。
そやから僕ら人間相手の仕事やけど、そこがあるのでいっしょにやれてるわけよ。

ひとみ
ジャンルが違っても。

くにひこ
ジャンルが違っても、単に生産物や農産物を売る
だけの人とは僕らはつながりようがなかったけど。
臼杵さんとはそこ(人間相手のところ)で
つながったと思う。
で、四万十で円坐をしたときに、臼杵さんが
お百姓さんたちを連れてきて、農業課の人らと
やりとりした時に、僕はそこで初めて臼杵さんに会ったから。

その時の臼杵さんは、農業やってる人たちのために
親身になって動いていた。  
栗の木を栽培するのも儲けようという話じゃなく
て、農家の人たちが、ご主人が亡くなったり
人手がなくなったりして
それでも何とかやっていきたいという時に
中山間地帯を使って山の再生もかねて栗の木を考えた。

だから臼杵さんが行動する後ろに常に人の姿があるねん。
アイターン(外から入ってきた人)の人たちを指導するときにはまず人間としての関係を作って
その人達の人生に沿う形になってるわけよ。
たんに生産効率を上げましょうとか香川の農産物を売りましょうとか
じゃないと思うねん、人生に沿うための農業っていうのやってるし。

農業だけやりたくて入ってきた人を、ただ生産しようとするだけではなく
人との関係性つくったり、長い目で見ていかなあかん、と
その人に沿って教えていくときの臼杵さんの関わりってのは、
人間関係つくっていく感じなの。
その点は俺たちと一緒なの。円坐やってる俺たちと。

ひとみ
人間関係を作っていく感じ

くにひこ
うん。仲良くなって終わりってのじゃなくて、仕事する上で必要な息の長い人間関係。
農業課の人がおったらその人とちゃんと対峙して仕合って
本当に必要なことを問いあって、で、農業を通じて生きた人間関係を作っていく。
こないだ三豊の円坐に来た四万十の哉太君なんかとは、やっぱりね、
哉太君に、なんでそれをやりたいのかと踏み込んだじゃない。
たんに農作業をうまくできたらいいというだけだったら技術指導だけど、
技術指導だけじゃなくて、臼杵さんは哉太君の覚悟を聞きに行ったじゃないか、
なんでそれをやりたいのというとこまで踏み込んだから。

それを聞いてから、その覚悟を押さえてから、こうしたらどうやと伝えていく。
そういう動きは俺たちと一緒や。

ひとみ
うんうん。
なんか言葉としては、同じ内容を言いながらも実際は違う、という
ような人もいるなというのを、いま思い出しながら聞いていて。
そういう人との姿勢の違いを語りたい。語れるようになりたい。残したい。

くにひこ
いや、同感です。僕もそことの違いを、サイトにあげるなら、ひとつ‥

ひとみ
私はもう臼杵さんを知ってるから、違うのがめっちゃわかるけど、
でも今の言葉だけを聞くと、私も、臼杵さんが発したものと
意味的には同じにとれる言葉や表現を使った面接を
別の人から受けたことがあるし、
入社した人が、同じ言い回しで面接されている様子を会社側から見たこともあるんですよね。
その人が「なんでそれをしたいの?」とか、入社希望者に、
やりたいことや求めている生き方みたいなところを全部聞きとった上で、
「それなら、こうしたらいいんじゃないか」ということを提案するけど、
なんやろうな、臼杵さんの寄り添い方とは雲泥の差な気がしていて、
なんていうんかな、そこを表現する言葉がこう‥

くにひこ
たとえばホワイトボードを使って会議みたいなことをして、
そこで「こんなふうにしたらいい」という結果を出して、やらせていくと。
 
会議してワークみたいなことして、参加者のやりたいことを前に出させて、
で「これで行きましょう」って整理すんねん。
だから、その会議に参加する人が真剣な覚悟をもたずに来ても、
そのワーク受けたら、何かやれそうな気になんねん。
そういう操作的なやり方で、「人間に寄り添った」ことにするねん。

臼杵さんは哉太君に対して、
実現したいことをボードに書かせて「じゃこれでやりましょう」
なんてことはさせへんかったし、言わへんかった。
ただ、「ほんとにやりたいのか?」って真剣な表情で踏み込んだで。
この踏み込みが彼らにはないねん。
彼らは人を集めて、
「こういうお気持ちなんですね。わかりました、じゃあこうしましょう」
「こうしたら、行政からもお金が出やすいですよ」って言う。

それを信じた人たちはみんなその気になる。
ほんで彼らのところでやり始めるけど、しばらくしたらお前みたいに
疲弊してみな辞めていくわけだ。

ひとみ
で、「それを辞めるのはあなた側の都合ですよね」って言う

くにひこ
そう。ほんで彼らのところには行政からの金だけ残るシステムや。
外から来る人間をたくさん地域に繋げてるようにみえるし、
国のいう地域活性化の基準を満たしているように見えるからね。

でもホワイトボードに「上手にやれるよ」っていう絵だけ描くんじゃなくて、
「これはこうやけど、あんた、ほんとは何したいんや」っていう
生き様のところまで入ってあげなあかんねん。
それはこちらの生き様も同じだけ交わるっていうことやねん。

アイターンで来た人には、農業やりたいだけではないケースもあるんよ。
何かから逃げたかったりとか、これこれの理由があったりとか、
そういうときに彼らがしてるような会議やワークだけでは終わらへん。
自分自身の人生と本当に出会いたいと思っている人たちもいる。
その人たちの覚悟と出会うためには、こちらも相手の人生に踏み込まなあかんねん。
「そんな気持ちではうまくいきませんよ」っていうのをまず言ってあげなアカンと思う。

大変なんやから。その大変な事をやろうと思ったら地元の人とちゃんと繋がって
敬意を払わなあかんし、人として真剣に付き合っていかなあかん。
地元の人たちとの生身の付き合いなしに、外から来た人たちを相手にする団体
っていうのは“できるような夢”だけ売ってしまうねん。

農家の人たちもちょっと迷惑なんですよ。
なんでそんな人に教えなあかんねん、半端な夢を見てる人たちに。
それで外から入ってきた人は、地域での人間関係に疲弊して
農業から離れていく形になってるねん。

ひとみ
彼らのやり方だと、人が来るから、だからこそやってるんだと思うんですけど
そこを、臼杵さんの場合はどうして踏み込むんでしょうか?
彼らのようにすれば人が集まったり物事が動いたりお金を稼げたりするけど、
でも臼杵さんはそうはせずに、来たいっていう人に対して
「ほんとに来たいんですか」って踏み込むのは、どうしてなんですか?

臼杵さん
結局ね、なんていうか‥、これほんとに自分がやろうとするときに
これほんとに、これを聞きたいんだって思った人でないと、
こちらが言いたいこと伝えても
結局、右から左っていうか、たぶん頭の中に残らないだろうなと。
で、本来聞きたいことは何やろうなと思うから、結局その人なりの
悩みであったり迷いであったり、そういうところを本人が
「こうだから、こういう状況だけどどうしたらいい」っていうような
問いがある人でないと、
問いがある「こと」でないと、
自分がいくら言っても伝わらないような気がするんですよ。
やっぱり、そこを、ほんとに何をしたいんですかって。

ひとみ
ほんとになにをしたいんですかって、その人のところまで行かないと
自分の言うことも伝わらないような気がする

臼杵さん
はい。

ひとみ
じゃあ、臼杵さんは相手の深いところまで聞きにいって、
その人のために時間を使ってあげているようにも見えるけれど、
でもそれをする本当の理由としては、自分が本当に伝えたいことを
その人に届けるためということでしょうか。臼杵さんとしては。

臼杵さん
届けるために本人が何をどう聞きたいとか知りたいとかいうところを
出してもらわないと的確なアドバイスができない。
で、伝えられた側も頭に入らない。残らないというかね。
そういうような気がするんですよ。
自分だって、関心のないことをいくら目の前で講義されても、
やっぱり残らないから。

ひとみ
本当に人に会いに行こうとしてるっていうところが
臼杵さんとその人たちの違いなのかな、なんか。

くにひこ
ほんで関心ない人には関心ないわけだから勧めないわけよ。
そんな人にやってもらう必要ないから。

ところが彼らは志望者に全部やってもらおうとしてるのね。
彼らがやってもらいたいと思ってる仕事先に誘導する方向で、
相手の気持ちを応援しているわけ。
田舎暮らしをやってみたいというたとえわずかな気持ちでも“尊重”して、
「来て下さい」って言って
「こんなふうに実現しますよー」ってホワイドボードに書いて、
農家さんと繋がってますっていう絵だけ描いてみせるねん。

実際は、彼らとお百姓さんのつながりはない。
彼らは、土地の年寄りたちとつながってないから。
彼らが円坐の仕事で僕を呼んだのは、
地元のじいちゃんばあちゃんが彼らのところへ来ないっていう悩みがあったから。 
都会の若い連中はサイト見て来てくれるけど、地元の人たちは来てくれない。
ほんで実際その土地へ行って地元の人たちに会って聞いたらね、
「あの人たちは段階を踏まずに入ってくる」と言った。
「だから好かん」というわけよ。

それはわかるやん。
自分の利益だけ関心を持って「どうですか」って寄って来るだけやから。
彼らはそれ以外、人との関係の作り方を知らんわけだ。
でも彼らの話は「都会の人が田舎でやれるよ」っていう絵を描いてるので、
都会の若い子はそれに惹かれて、貯金をはたいてくるねん。
ほんで、半年か長くても1,2年くらい頑張るけど、みんな離れていくやんか。
で、再び都会から引っ張るねん。引っ張る絵はおいしいねん。
この土地に来たらなんか楽しくやれるっていう夢を持たせるわけよ。

ひとみ
外からくる人たちに全部やってもらおうとしてるわけですね。
やってもらいたい

くにひこ
志望者からしたら、サイト見るとお金払ったらやってくれる感じすんねん。
「払ってくれたら仕事と繋げるのは僕らがやりますよ」っていうのが
彼らが出してるメッセージなの。
「この土地であなたも田舎暮らしできますよ」、あれキャッチフレーズやからね。

ひとみ
やってあげてるふうに見せて、本当はやってもらいたいっていう
あの人たちの態度と、
そうではなくほんとに会いに行って、真剣なやりとりをしていく臼杵さん。

くにひこ
まず臼杵さんは自分ところでこれだけの農地をもってやってるから。
土地に実際に張り付いてやってて、ここに入って来る人たちに、
土着の人間として話をし、さらに深い所まで、タケノコ掘るみたいに深掘りして、
「どういう動機でやりたいんですか」っていう風に聞いていくわね。
でも仕事先だけをあてがう彼らは、土地には触れてないし
土着の人との信頼関係もない。
あれは、いわば中間マージンをとる仕事なの。

ひとみ
円坐守人としての私らにとっては、
この、臼杵さんの、タケノコの一番深くて白いところまでこう、ふれにいく。

くにひこ
臼杵さんは相手の生きてる動機のところまで入る。
「なんでそれやりたいのかなー」というところまで行って、
それに触れたうえで初めて「それならこうだよ」っていうふうになるし、
あるいはそこまで踏み込んでも答えられへん人には
臼杵さんは「ちょっとしんどいなこれでは」と正確に相手を観るわけや。
これが大事よ。

臼杵さんは、根付かない人は他で根付くんだろうから
無理に根付けたらアカンと思ってはるねん。

集めた人の人数で行政から金もらってるような仕事してる人たちとは
そこの根本が違うんやね。
頭数さえおれば根付かんでもいいねん、彼らの仕事は。

ひとみ
本当の動機を聞いてるのは臼杵さんやけど、
その人たちが聞いてる動機っていうのは、自分が助けてもらったり自分が利用できるような‥

くにひこ
欲を聞いてる、その人の欲望を聞いてる。
こうなったらいいなーっていうのを聞いてる。

ひとみ
それを聞くと利用できるからかな?

くにひこ
それを聞くと会議やワークなんかして「出来ますよー」っていう
プロジェクトの絵を描いて見せれるから。それで出来る気になんねん。
「あーそれならこの人たちの所にお金投入して行ってみよう、この土地で暮らせるんだ」
っていう絵を描くねん、先に。
臼杵さんとこは夢を絵に描いてきても、
ありのままの現実の苦しい思いを引き受けなければなあかん。
まず臼杵さんが苦しんでるじゃないか(笑)

臼杵さんには人間としてすごい惹かれるけど、でも俺でもこの仕事無理やと思うから、
臼杵さんと直接会うと、これは半端にはでけへんなあと思う。
その真摯さは彼らの仕事にはないです、そんな質は。

で、こないだ上勝に行った時にも聞いたけど、
彼らのような団体が作っているホームページを見せたら
「こんなホームページはよく知ってる」と。
上勝にもそんな人が来てホームページ立ち上げて、外から人を呼び込むけど、
地元の人にふれずに表層だけでやるねん。
で、お金は地元の人に降りてけえへんねん。
地域の表層で作った会社が利潤を得て、彼らにはお金入るけど、
土地に長年住んでる人達にはほとんどお金降りてないよ。

この上辺の部分だけに入ってくる寄生植物みたいな在り方。
これはもう各地方で潜在的な問題になってると思う。
で、行政はそこにお金あげてしまうねん。
そういう団体は「成果物としてこれだけのことしました」っていう
書類上げるのがうまいねん。 

行政は中身まで見てないから。お金がちゃんと使われてるかどうかの
チェックだけしたいから。彼らはその書類作りのノウハウをもってるわな。

ひとみ
なんか、“会う”って何なんかなぁって思ってて。
その、私、ある会社で居てて、そこで「あーつらい」ってなって、
どっか行っちゃった人、自分も含めてようけ知ってるから、
なんか、その人たちがほんまに求めてんのは、
臼杵さんとのやりとりで生まれるような出会いだったりすると思うんだけど、
でも、そういう人たちが臼杵さんを見たときに、
まぁしんどそうだったりつらそうだったりしてるから、
そういう臼杵さんの表面的なところを見て、
むしろ彼らの方に魅力を感じて行ってしまったりしている‥

くにひこ
はいはい(笑)

ひとみ
‥んだなーと思って。
「でも本当に必要なのはこっちでしょ」って
思うんやけど‥。
なんていうのかな、「なんで見えへんの」っていうのかな、
みんなそっちに行ってしまうなーというところがあるから、
臼杵さんのところに行くまでの言葉がほしいというか。

くにひこ
そのあいだの部分に関心があるということね。

ひとみ
そう。臼杵さんのところまで到達できないなぁと思って。

くにひこ
臼杵さんまでね。
ひとつは集まって来る人たちの質感の問題もあると思うねん。
このあいだ円坐に来た、彼らの団体でしばらく勤めてましたっていう若者。
彼は団体をやめて援農やアルバイトをしてる。
表層の団体がやるような仕事の、手伝いみたいな仕事に転じていってしまうねん。
実際に畑をやるつもりで入ったとしても、そういう人たちは皆、
土地に根付く道を見つけられずに表層へ浮き上がっちゃって、
観光客をカヌーに乗せる手伝いとか、手軽にワークショップでお金を稼ぐとか
そういう仕事の質感のほうに落ちて行ってしまうわけだ、簡単な方にね。
でまぁ僕が思うには、一つは集まって来る人たちの動機の甘さ。
その動機の甘さを彼らの団体は砂糖でくるんでしまうので、
実際そこから出れなくなるということだ。
ほんでその人たちがしんどくなったときに、お前の時もそうやったけど
車で一時間かかる場所にある心療内科に独りで行くほどに精神的にへこんで。
これまあ臼杵さん、ひどいんですよ、こいつ落ち込んでね。

金稼いで来いって言われてできなくて板挟みになって、
6時間かけて弾丸ドライブで大阪まで帰って来てね、しんどいから。
そしてくぅと僕に会って、また明日、道の駅の仕事に入らなあかんからって
弾丸ドライブで6時間かけて帰った時に、
「途中で事故って死んだら仁美の会社の社長許さへん」って僕が思うぐらい
追い詰められた。
その時に社長は仁美をほったらかしやん。
カウンセリングの知識持ち出して「その状態は自己責任や」って言いだすねん。
「苦しいのは自分で対処してください」みたいな。これ僕が一番腹立ったところ。

もし臼杵さんなら、真っ先に寄り添うはずです。
「どこでしんどいねん」と。仕事か、お金か、親との関係かとか
全部を聴いた上で、「どうするのが一番いいかな」って一緒に考えはるねん。
昨日の奥さんの言葉思い出したけど、
臼杵さんはここで寄り添いながら借金までかぶっちゃったりするような
ところまでいっちゃうけど、そこまで真剣なんよ。
いっぺん手を付けた畑ならやってほしいし、臼杵さんがそれを勧めたんだったら
責任取ろうとしてるわけだ。自分が勧めたから。
彼らにないのはその姿勢です。人の人生に関わったことの責任をとろうとする姿勢が0パーセントなの。
そういう仕事の片棒を担がされたから
俺はいまだにその出来事に対して腹立ってるわけだ。
彼らの仕事を手伝った形になったから。
これ腹立つなあと思って。円坐やってるもんとしてはちょっと筋が通らない。

でも、そのことで臼杵さんとも出逢ったので、こうして臼杵さんとともに居る。
そのとき真剣に円坐したからね僕も臼杵さんと一緒に。
関わりのあった人を「はい、この仕事はこれでおしまいです」と、
簡単に次へ行くのは円坐じゃないじゃないか。
どこへ行ってもそんなやりかたを見聞きする。
そのときだけ。あとはもう終わったからいいねん。
これ一番、僕らの仕事としては肝心なところだね。
一度本当に関わったら、関わりは消えない、ずっと。

ひとみ
付き合い切ってないところに腹が立ったり傷ついたりして
こう、辞めていってるなぁとは思う、その団体に入った人は。

くにひこ
その付き合いを引き受けるからこそアイターンで入った人に
「この土地で田舎暮らしができますよ、地元の農家さんともつながれますよ、
一緒に楽しくやれますよ」っていうことを実際に言葉にできる。
そこからが仕事のはじまりやのに、そこには行かへんねん。
それでお前みたいに壁に当たった人間には、「それは個人の問題」だと。
「会社の責任ではないのでカウンセリングなどに行って自分で対処してください」って言ったり、
あるいは、その次の年には行政からもらうプロジェクトの内容が変わって
目の前の人間よりお金を優先するねん。
「この仕事をやる」と言って人と金を集めてたくせに、数か月後にはまったく別の助成金の仕事をやって、
前の仕事を真に受けて人生を賭けた人はどうなんのん?「それは知りません」と。
それでも臼杵さんは「一回だけでも彼らが仕事の現場を見に来てくれてたら僕の印象は違った」と。
それはそうだね、関心持ってくれてるってことが分かるから。
「彼らにその気持ちがあれば僕らは苦労したとしても責める気にはならんのやけど」って臼杵さんは言う。
そこを見にも来ないとしたら、これは闇ブローカーといっしょやと僕は思うねん。
前に僕らが関わったことやけど、カンボジアから来た若者たちをうまい言葉で働かせて、
結局自己責任で国へ帰らざるを得なくさせてしまうのと同じ構造や。

都会育ちで、まだまだ甘いかもしれんよ?
でも脱サラして、ためたお金を握りしめてくるわけでしょ?
それで田舎に入ろうとしたのなら、入れてやらなアカンじゃないか。
こちらが呼んだんだから。
でも表層の団体は東京に行って名刺ばら蒔いて
「田舎暮らしいいですよ」ってワークショップすんねん。
そこでみんな集めて、集めた人みんな連れてくるねん。
それで受け皿にする農家のところへ行って
自分のニーズだけで土足で踏み込むから、
「段階踏まずに入ってくる」って言われてしまうねん。
謝礼も払わずに、地域のためという美辞麗句でやって、
逆に紹介料までとるわけだ。
そんなことするから地元の人たちは寄って来ないです、
この団体の方へは。
地域創成のためにやるって言って行政から金もらいながら
地域を根腐りさせて、弱らせて行ってるっていうか
現実には土着の人々の生きた姿を見えなくしてるっていうのが僕の見方です。
これは現地に行って初めてわかった。

「お前が地域に迷惑かけてる」ってお前の会社の社長が言うもんだから
「えーホンマかいな」って。「仁美がそんなことしてるんなら謝らなあかん」
って思って行ったら、地元のおじいちゃんおばあちゃんが笑顔でお前に会いに来てびっくりした。
社長がいう「迷惑かけてる」っていうのは、
お前が社長の望むようにお金を稼いでこないから会社に迷惑かかってると。
そのことを「地域に迷惑かけてる」っていう言葉で僕に言うてきたんよ。
それを意識してやってるのか、無自覚にやってるのか、
地域を使って「地域のために」という名目のもとにお金集めようという動きをしてるのは僕からは明白に見える。
だから今、我々が現地に繰り返し行ってるのは本当に事実として地域の人たちと繋がる動きでもある。

ひとみ
うん。で、ほんとうに人に触れる動きをするってことだから、
いうたらまぁ今、ちょっとこれ円坐の守人として、臼杵さんを見てるところもあるみたいな話を
先日からしていて、それに関連してだけど、言ってしまえば円坐とか守人の態度っていうのは、
そういう表層のものではないっていう、ところなんですよね?

くにひこ
うん。

ひとみ
じゃあ守人はなんなのかっていう‥ねぇ、私ら有無ノ一坐とか、
臼杵さん、に共通しているものってなんなのか。

後半はこちらよりどうぞ