臼杵英樹さん 〈農業円坐守人(農業士)・香川県三豊〉
橋本久仁彦 〈有無ノ一坐 座長・大阪〉
橋本仁美 〈有無ノ一坐・大阪〉
-2023.4.20 臼杵さんの竹林にて-
ー後半ー

前半はこちらよりどうぞ

▶くにひこ
守人はなんなのかというと。
円になって集まります、皆それぞれの理由で来はると。
そこでていねいに『てにをは』まで話を聞いて関わる。
関わると人間関係できるわな。
その人間関係に本気の敬意をもって真剣に関わるっていうことやねん。
人間が本気で関わると、これは根付くねん、本気で生きてる相手との間に。
臼杵さんと根付いたように。
これが守人の役割。
守人っていうのは森林保護のためにたたかうレンジャーみたいなもんで、
森の人でもよかったんやけど実際。『森人』でもよかったんやけど。
根がちゃんとつく。人間関係ちゃんとやると根がちゃんと付くねんて。
ほんで人生が展開していくねん。

それは、「みーんなこんなに仲良くやってますよ」って
しんどくて心療内科に行くまで追い込まれて退社した人の写真勝手に使って、
その人を自己都合で退社させてんのにその人の写真を使い続けて、
いつまでもみんな仲いいですよーみたいなニコニコした写真だけ使って、
あんな売り方するんじゃなくて。
関係性ちゃんとするっていうのは、
絆をつくれる人はつくるし、
「あんたまだここは無理だよ」って言う人は
ちゃんと離してあげなあかんねん。
そういうふうに人間のナマの事実と事実とでちゃんと絆を作る。
人にウケるイメージで囲い込むんじゃないねん。

「あんたそれじゃ百姓に向いてないよ」とか、
「円坐来て分かったけれどもどうなのかね、
あんた真剣さというところでそこはついていけてませんよ」
っていうのをちゃんと言ってあげて、
甘えてたりとか、「全部欲しいんです、田舎暮らしも人間らしい暮らしも」
とか言う人に対して
「その言い方を聞くと違和感ありますよ」とちゃんと本音で
対峙してあげるというか。それが筋の通った関係性じゃないか。

援助する、みたいに手を出していくのは関係性じゃない。
関係性を売ってんねん。
「いい関係がつくれる」という名前の商売をしてる。
だから街から呼んで、土地の人にあてがったら
あと責任とれへんわけ。
Mさんとかめちゃめちゃ怒ってたやん。
「あの団体が考えてるのは自分の利益だけ」って怒ってる。
そういうふうに地元に怒ってる人たちがいたら、
YさんにしてもMさんにしても地元で生きてる百姓たちだから
僕が団体の代表なら絶対挨拶に行く。
なんで怒ってるのか知るために。地元の人やで。
僕らが地域のためにやってるのに怒ってる地元の人がおったら、
もう皆集めてぼくは円坐で対峙します。

なんでこの土地に怒ってる人がいるのか。
ここでちゃんとその人たちと真剣な関係作らんと。
Iターンで呼んできた都会の人たちをこの人たちの集落に繋ぐつもりなのに。
仕事の筋が通らへんやん。そこが僕腹立つところだな。
だからいまだに僕は四万十で円坐やり続けたいって思ってるの。
臼杵さんはそこを大切にしてる。
「生産者の顔が見える」っていうのは最初っからそこに視点がある。
生産者の顔が見えるってのは関係ちゃんととってるってことやねん。
お客さんに顔を見せるっていうよりは 
臼杵さんとの信頼関係ができた人の生産物を届ける
ということをやってるので、農産物を通して、
円坐守人の仕事をしてると思う。

ただ農業とか大地を通したやり方をしてるということにおいて、
僕らの仕事よりもプリミティブというか、
より具体的なところでやってると思うね。
だから全然生まれも育ちも違うのに
臼杵さんと有無ノ一坐の息が、呼吸が合うのは
そこの価値観やと思うわ。

▶ひとみ
いま話し聞いてたら、
臼杵さんはすごく暮らし方生き方そのものを全部円坐でやってはるんやなぁ、
みたいなふうに、聞こえながら聞いてたんですけど

▶くにひこ
そうだね。

▶ひとみ
関わり方が全部円坐なんだなぁって思ってて。で今ふっと、
どこだっけ?あの、香川でやった円坐に臼杵さんが参加されて、
でそれを役場の人に報告するときに、
「僕はまだ円坐を言葉で説明できないから報告するかわりに
僕が円坐をやります」
って言って、実際にやったっていう話を
前に聞かせていただいたことがあって。

▶臼杵さん
前の、Yさんが町長の時に、
円坐の報告を役場のKさんが「どうしようか」っていう話やったから、
「実際やったらどうですか」って言ったら
Kさんが「私はようできません」ていうから
「ほな、一か八か自分がやりましょか」、て。

▶ひとみ
「一か八か」‥(笑)
あ、そうそれでちょっとこう、自分がやりましょかってことで。
そん時は、まぁふだんそうやって円坐的な生き方されてる臼杵さんやけど、
そこは円坐の守人として、円坐をひらかれたんですよね?
って思って聞いてて、
そのときに、なんだろうな、臼杵さん..

▶臼杵さん
うまくはできてないんですよ?自分でもうまくできたとは思ってない。

▶ひとみ
はい。そのなかで臼杵さんがこう、どんなことを具体的にされて、
どんなことをちょっとそのとき心がけたり、見てはったりとかしたのかな、
ってちょっと景色を教えていただけたら。

▶臼杵さん
あの時は市役所の新人職員の人が5人ぐらいおったかな。
で市長が来られて、「皆さん方は市の行政の立場で今回、市に入られたけど
行政を選ばれたのはどういう理由からだったんですか」ゆうて、
ま、そこらへんから。

▶ひとみ
そこらへんから。もう根本的なところから。

▶臼杵さん
「市の職員になろうって思ったのはどういうところが理由ですか」っていうのを聞いた。

▶ひとみ
それを、聞こうと思ったのは、どうしてというか。
円坐をするって思ったときに。

▶臼杵さん
色んな職種があっても当たり前やけど、
あえて市の職員っていうのはそれなりの思いがあるはずやから、
「どういう経緯で市の職員になられたんですか」
っていうのが自分的には知りたいし、
横の関係のひとたちも、
「ああこの人こういう思いで入ったんか」とかいうのがすごく
あとの繋がりになっていくのかなあと思って。
橋本さんのように場馴れしてない状態でやっとるから聞きっぱなしで
終わったような感じやけどね。
「こんな感じで円坐っていうのはやったんですよ」ってね。

▶ひとみ
やってみたあと、いらっしゃった方の言葉とか様子とかで
印象的だったものはありましたか。

▶臼杵さん
ちょっと自分の思いに入ってしもてね。
行政いうたらとにかく流れで動いてしもて、
「これはできるけどあれはできません」て、
「できません」を探してくるようなところが多いから、
「できません」を「こうやったらできるんちゃいますか」っていうところを
探してもらえるような職員になってもらえるとありがたいです、
という流れで終ったような気がしますけどね。

▶ひとみ
はいはい..。来られたその役場の方は、それをやって..

▶臼杵さん
たぶん残ってません。勉強にはなってないと思います。
もう、いやいや付き合った状態のような雰囲気やったから。

▶くにひこ
ふふ。そこはね俺ら連携したいねん、
そこに仁美が一人、臼杵さんと同席するような形で守人としていたら。
そこは俺たちのフィールドよ。
いやいやで来る人。
ああいう人らは、お百姓さんらに真剣な関心がない人らなのよ。

そういう場所に臼杵さんが行く場合には、
臼杵さんは、ああいう人らと生き方全然違うから、
真剣な関わりを避ける人たちの実態が分かりようもないから
僕らと一緒にやる必要があると思う。
ただ、(四万十の米ナス農家の)哉太さんとか、
ああいう実際に地に足つけて農業をやってる人たちの
フィールドでは僕らは役に立てへんねん。
臼杵さんは大地の言葉が分かるので、
「土はどんな状態になってますか」とか入って行ける。
それが、臼杵さんがやるべきところ。

でも我々との共通点は、
きのう奥さんや息子さんといた時に
「奥さんを同席させる」と言ったこの姿勢ですよ。
これ円坐の姿勢やと思う。関わりのある人を外さなかった。
全員円坐に座って、で奥さんは
「こんだけ私たちのことを心配して来てくれてるんや。
私らのこと言わなあかん」って言わはって、
丸裸になって話してくれはったじゃないですか。
これは甘えにいってるんとちゃうねん。
僕らが来たことに対する一個の応答なんですよ。
臼杵さんは、こういうふうにして関係っていうのが
出来ていくっていうことを知ってんねん、人間関係の本質を。
そこにおいて俺たちと同じです、まったく一緒です。

ただ関わる相手においては色あいが出てくる。
行政の人たちとか、行政と地元のあいだに入る
頭のいい連中とやるときには、俺らの方が戦えると思います。
でも実際に哉太くんたちとか、
2年位で疲弊して辞めていくIターンで来た人たちを
僕は臼杵さんに会わせたい。
もう絶対的に臼杵さんに会わせたいですね。
会うだけで、来たかいがあると思うねん。
「農業とは何か」にちゃんと触れられるから。

その肝心かなめを希望者に提供する必要がある。
「田舎暮らし」ができますと言いながら事実が伴わず
絵に描いた餅だけ食わせるのはあかん。
ほんで行政や個人のお金を吸い上げてるということ。
ちょっとこれ腹立つねん。
うちのフェンスワークスの件もあるから僕はもう嫌だなと思って。
そういう仕事に僕が使われてしまうのが腹立つねんまた。
だから自戒を込めて書いたやん、
僕らみたいな雇われファシリテーターは、
雇われていって仕事するけどお金もらったら
終わりましたーって帰っちゃうねん、都会へ。
ファシリテーションの中で、
永続する個人的な信頼関係が生まれてないねん。
それでファシリテーターとして有名になっても、
人生それっきりやん。

▶ひとみ
1回、まちおこしのワークショップにスタッフとして参加したことがあるけど、
その時はなにかをやったんだけれど、もうあの関係はそれっきりやった。
「今度またごはんでも食べましょうね」って言い合って、終わって。

▶くにひこ
なんやねんそれカラオケ行く方がいいやないか(笑)
大事なお金出させといて行政からも金取って
そのときだけ出来るような気にさせてあとは自己責任ってなんやねん。

▶ひとみ
でも仕事やったと思ってるんちゃうかな。
やった方は実績になって、積み重なっていくんだろうけど。

▶くにひこ
そういう仕事ぶりが地方にいっぱい張り出していって、
地元が見えなくなってるねん。この状況、僕は嫌やねん。
なんとかしたいと思う、人間関係やってるものとしては。

▶ひとみ
なんとかしたいというところで、光になって来るのが臼杵さん。

▶くにひこ
なんとかしたいっていうときに、なんとかしてる、すでにしてる人がおるから、
なんとかなるところにすでに着地してる人らがおるから。
それは、哉太君らもそうです。
一生懸命にやって泣きそうになっても頑張ってる人ら。
土地の横の人たちと繋がられへんで、
孤立してるIターンで入ってきた子ら。
必死で。四万十にようけおるやん、そんな子ら。
必死やねん、でも相談していくところもない。
追い詰められて、もう辞めようかなーと思ってる人らの心と
臼杵さんとは基本的に同じ。
臼杵さんも「もうやめよかなー」と思ってる(笑)ところにおるわけやから。
ここまで真剣に生きてる人同士を繋げなあかんねん。

▶ひとみ
うん、やし、そういう人らがお互いに話したりうちらも喋ったりできる、
円坐とかの場をつくりたい。

▶くにひこ
そう!つくりたい。

▶ひとみ
うんうんうん、そのきっかけとしてのこれは発信。

▶くにひこ
そうです。それは、こことちゃう話やけど、
福島で原発の事故があって。
天栄村では日本一の天栄米というお米を作ってた。
でも放射能かかっちゃった、ほんで売れなくなった。

ほんで天栄村の吉成国吉さんていう、
僕と同じ歳で『くにちゃん』という男がおるんですけど、
村役場の課長してはって。
そこで一念発起して、
「線量高いから使うな」って行政から言われた田んぼを
自分たちで放射能汚染を研究して、除染して、
高価な放射能検知装置を村役場に買わせて、
田んぼを除染する独自の方法を自分たちで工夫して、
『プルシアンブルー』っていう染料に放射性物質が付着する性質を見つけて
ブルーになった田んぼの水をろ過すれば放射能が取れることを
自分たちで発見して。
除染に成功して、
天栄村の米の汚染度は通常よりも低くなって安全になった。
なのに売れなかった。風評被害で。
そのせいで自殺するひともいたという。

それでどうしたらいいかというところで彼は円坐と似たようなことをやりだしたの。
皆で座って腹割って話して、関係ついた人は買ってくれる。
ちょうど臼杵さんのこだわり市で買ってくれる人との関係と同じやね。
絆ができた人は買ってくれる。
だから自分たちで関係つくらなアカンことに気がついてあちこちに出向いて行って、
少人数で関わりあいをつくるようなことをしはじめた。
という彼の動きに、僕らは共鳴して彼が大阪に来て円坐したということがありました。
そこと一緒です。
そういうことを臼杵さんはすでにやってるので。
実際にHさんなんて三豊の円坐で「死にたい」って言ったからね。
それで見えたわけだ。
「あぁ、不自然に押し付けられた行政主導の金で栗畑やるのはそんだけしんどいんか」ということで人間の事実が
共有されていく、
というようなことを臼杵さんは自分の本望としてやってるわけだから。

▶ひとみ
「かわいそうやから助けたい」という繋がり方ではなくて。

▶くにひこ
「かわいそうだから」とか、「こんなふうに整理したらうまくいくよ」とかいうんじゃないと思う。
「うまくいくよ」じゃなくて先に苦しさを共有してると思う。
めっちゃくちゃしんどいのわかるから、
手を出してるんじゃなくて一緒に連帯しようとしてるわけだ。
ひとりでは死んでしまうから、一緒にやっていこうじゃないかっていう。
これは援助とかじゃない、一緒に生き延びようという姿勢やと思う。

▶ひとみ
そう、でもその臼杵さんの姿勢が“援助”と勘違いされて伝わりやすいというか、
勘違いされやすいなぁ、とちょっと思ってるから、
そこも、私らのことを発信するに当たっては、
結構、打ち出していきたいなって思ってるところではある。

▶くにひこ
今の内容だけでも発信する必要があるね。言語化する必要はあると思うわ。

▶ひとみ
「窮地に立たされている臼杵さんを私たちが助けに行ってる」と思う人が
すごくいそうな気がするけど、そう思われるのは心外中の心外じゃないですか。

▶くにひこ
そう、それは間違いです。

▶ひとみ
だから、そうじゃないっていうことをこっちから言わないと、
勝手にそうとられるから。こういう記事をいくら出したところで。

▶くにひこ
そうやね。その一点で僕らは共鳴しているってことを言わなあかんね。

▶ひとみ
そうそう。

▶くにひこ
そこはね、僕、黙ってやってれば皆に通じるって思ってた時期があったんやけど、
やっぱ言わなアカンのやなって思って。
新聞みてたらわかるけど、韓国やロシアや中国やあちこちで日本の悪口言われてて、
日本が黙ってたら好きなようにやられて日本パッシングされるやん、結局言わなあかんねん。
いまは情報社会で人が情報を鵜呑みにしてしまうから、
それを、「ちゃいますよ」と一言言うだけでも大事で、
これが大事な行為だというのを最近思い始めてきた。

▶ひとみ
くぅが最近言ってた話ともリンクする。
有無ノ一坐が長年かけてつくってきた円坐舞台を
勝手にそれを使って「誰でも簡単にできますよ」みたいなふうにしていく。
けど全然それは有無ノ一坐がやってることとは違う。

▶くにひこ
僕らの仕事の名前とか、四万十の名前だけ使って利ざやを稼ぐみたいなことを
やられるから、そんなこと追いかけるつもりはないけど、
「ちゃいますよ」みたいなふうに、こっちの価値観というか、
臼杵さんがよくいう「橋本さんたちと僕は同じ傾向ですね」という
この“傾向”の部分を、僕ら的には言葉にせなあかんなと思うわ。
その傾向ってのは、ワークショップしてすぐできるような商品化されたものじゃなくって、
臼杵さんのところへ行かなあかんし、誰々のところへ来なあかんし、
そういうふうに実際の関わりを持たな伝わらないんだということを言わんとアカンと思う。
それをやった上で、批判すべきものは正面から批判してあげなあかんと思うねん。
批判する相手と対峙できる土俵つくってやらなあかんと思うね。
でないと水をかけあうだけのことになってしまうからね。

たとえば行政や学校や会社からあるテーマで研修を依頼してきて
ニーズに応じた研修やファシリテーションは普通にできるけど、
じっくり時間かけて円坐に坐ってほんとにそれが必要なのかどうかって掘ると、
皆ね、曖昧になるねん。でもそれ掘らなあかん。
曖昧なら曖昧だということをちゃんと認識せなあかん。
田舎暮らししたいとか何かしたいと思ってても、
実は曖昧だったっていうのは、分からなあかんねん。

▶ひとみ
この、うちらがやってることと、世間一般的なファシリテーターの人たちが
やってることは、世の中的にはたぶん区別がついてないんですよ。
なぜなら、うちらは、そこをはっきり明示してないから。
で、ファシリテーターの人たちは、うちらとの違いを
語れるわけじゃないから。うちらが言わないといけない。

▶くにひこ
どっちかっていうと俺たちがやってるのを見ながら、
俺たちがやってるのと同じことしてるふりしはじめる。円坐と似た名前使ったりして。

▶ひとみ
この間の、円坐ひとひろを大阪でやったときに出会ったダンサーの人たちと一緒。
あの人らも、うちらの舞台をみて「こうやるんですね」って言って真似していた。

▶くにひこ
そう。何年も前に一度円坐に出ただけの人が円坐やってますとか言い出すねん。
影舞っていうのも、手のひら舞とか別の名前でやろうとし始めんねん。

▶ひとみ
でも、それらと私らの舞台とが全く違うって言ってるだけじゃあ、
こっちがただなんかガミガミ言ってるだけだから、
じゃあどう違うのかっていうのを、具体的に具体的に言って、
どんどん言葉を載せていかないといけない。

▶くにひこ
そんときにこれねぇ、また臼杵さんに相談したいと思ったこともあるんだけど、
行政の人が来て「特許とれ」とか商標登録を勧める人がおるんですよ。
例えばチビッコリーの商標登録みたいなもんだよね。
これ、僕は「あぁ皆そうするんや」と思ったけど、
「ちょっと待ってください」っていうか。
でもやっぱりそうすべきかなぁって、僕踏み切れなくて。

で、くぅ達とも相談すんねやけど、
今のところ、そうじゃなくて、影舞の名前とか円坐の名前を無断で使ってたら
むしろ僕ら訪ねていってね、「どうですかーやるんだったら一緒にやりましょう」
って関わっていくのがいいなと思ってて。
法的にプロテクトしてしまうのはちょっとちゃうなーと思ってんだよね。
むしろ一緒にやっていけるような関係性つくっていきたいわけやから、
「円坐やるんなら一緒にやりましょうよ。
そのかわり円坐のホンマのところまで深めていきましょう」っていう、
同志みたいな仲間を増やしていくことをしたい。
簡単に特許とって「これが円坐です」ってやりたくない。
「商標登録してますか」って言われて「じゃ円坐使っていいですかー」って。
はいって言われへんやんそんなもん。

ここのタケノコのブランドはただの紙の資格じゃないわね。
おいしいという実績と臼杵さんが築いた地元の人間関係があって、
その実績と絆がここのタケノコの価値を守ってる。
ということは実際は人が守ってると思うねん。
臼杵さんが家族と命がけで生み出した農業の形を
よそが無断で中身だけ変えてやったら、
百姓同士で話つけると思うんやけどね。
生産者の顔が見えるってそういうことやと思うんやけど。
人との絆で仕事するっていうことを僕らもやり始めてるから、
臼杵さんの仕事とぼくらの仕事との重なりは増えてきてると思うんやね。
必要なら自分たちで乗り込んで守らなあかんとおもうねん。
行政に守ってもらうんちゃう気がする。

▶臼杵さん
チビッコリーは商標とらんのはなんでか言うたら
ブロッコリーのそういう見方があって、
そういうのを商品にしてもらったらいいなと思って。
チビッコリーはオープンにしてあるんですけどね、取らない状態で。

▶ひとみ
ブロッコリーの見方のひとつとして。

▶臼杵さん
ブロッコリーは通常あのブロッコリーなんだけどもう一つの見方、
みる方向としてチビッコリーというのもありやで、と。
他でもそういう売り方してくれることで、光が当たるというかね。

▶ひとみ
それは、ブロッコリーに光を当てるためであって、
商標登録しちゃうと臼杵さんのしたいことと違ってくるから?

▶臼杵さん
商標で儲ける気もないし、要はチビッコリーが有名になって
農家さんが「そういうのが商品になるんだったら作ってみようか」いう人が
どんどんあらわれて欲しいから、あえて商標とらんでもいいやんと。

▶ひとみ
あ、商標取ってしまうと、臼杵さんの許可を得なきゃいけなくなるんでしたっけ?
そうなると、臼杵さんがやりたいのは農家が盛り上がっていくことやから、
商標とると、臼杵さんだけの利益になる、ことになる?
だから、それは臼杵さんの望むところではないので、やらない。
オープンに、誰でも使えるようにする。

▶くにひこ
うちと一緒よ。だから「俺もチビッコリーやってみたい」となって、
商標とってないしみたいな感じで、やってみたーみたいな感じで
臼杵さんこんなんですけどチビッコリーって名前つけていいですかって、
個人で言うてきたりしたらいいわけよ。
臼杵さんはそれ望んでて、
関係性つくっていけると「ああチビッコリーはこうしたらもっとうまくいくよ」
ってやれるんやと思うねん。ほんで農業やりだす人が増えてほしいわけだ。
俺もそうで、円坐やりだす人が増えて欲しいわけだから、影舞やりだす人が
増えるのは嬉しいんだけど、商標登録っていうのはそこが違うんだよね。
他の人にやらさんっていうことやね、あれね。
自分たちがつくったんだっていう。気持ちは分かるよ。
あくどい人たちに会ったら守りたくもなるけど。

▶ひとみ
誰でも使えるようにしたらそうやって適当な使い方する人が
いっぱい現れる..けど、

▶くにひこ
商標登録もないからね、チビッコリーもいろんな名前で竹ッコリーといったりとか、
チッコリーとかいろいろやりだすけど、そうゆう動き自体を良しとしてて、
そこからいろいろ試みる人が出てきてほしいと思ってるんだと思うな

▶ひとみ
良しとしているというよりあれなんじゃないですか?
リスクではあるけど、でもそれを押しても本望としては、盛り上げたい気持ちがあるから..
な、なんていうんやろうな、良しとしてるわけではないんじゃないかなと思って。
臼杵さんの場合は。そのへんどうなんでしょうか

▶臼杵さん
そりゃやっぱりチビッコリーは、僕が考えたネーミングやし、
商品やからやっぱりブランド意識は持ってほしいなとは思うしね。
そのブロッコリーを小さい方が売れるからというて、刻んでそれをパック詰めして
チビッコリーとして売られたケースが天下の伊勢丹でやってみたらしいけど、
それはお客さんに通用せんかった。
だから自分が考えるチビッコリーでないとお客さん評価してくれないっていうのが。
お客さんが判断するから。あえて色変えようとしてもお客さんが知ってますから

▶ひとみ
許してるわけじゃないけど、

▶くにひこ
許してるわけじゃないけど、チビッコリーはチビッコリーとしてちゃんと知ってほしい。
ブランド意識ってそういうことじゃないかな。
それを半端な形でやろうとした伊勢丹のやりかたは失敗してるから、
お客さんはそれを見抜くと。
臼杵さんが考えたチビッコリーというものを、臼杵さんが守るというよりは、
ちゃんとその品質、商品としてのそれを筋通して受け取れということですよね、
ブランド意識ってそういうことですかね?

▶臼杵さん
うん。

▶ひとみ
やし、臼杵さんが臼杵さん自身の仕事の質を落とさないようにするっていうことで、
対抗してるっていうことなんかなって思った

▶くにひこ
そうそうそうそう。チビッコリーは自分が生み出したという誇りですかね。
チビッコリーにはこういう精神があるという仕事の質のことやと思う。
自分がえらいというわけではない。
質を変えられるとせっかく作ったチビッコリーの仕事が消えるから、
そこは守らなあかんと言うことじゃないかな。
そういう理解でいいですかね。

▶臼杵さん
うんそうやね。

▶ひとみ
良しとしているわけでもないけど、商標で守るっていうわけでもなくって

▶くにひこ
本来商標はそこを守ろうとしたんやと思うけど。
大事なものの質を守ろうとしたんやと思う。
そこはねたぶん、臼杵さんも俺と同じ。勝手に思うんやけど
悩みがあると思うねん。
そこちゃんとしてたら干されたり追い出されたりってないと思うねん。
例の誓約書の話ですよ。創業者の臼杵さんに今後関わらんように誓約書書けっていう。
臼杵さんにはそんな発想がもともとないもんで、逆に書かされたりする。
向こうは利益が大きくなったので手放したくないわけだ。
そのとき俺たちはどうするかっていうのは課題っちゃ課題なの。
嫌な思いしながら進まなあかんことになるんやけど、
人のそういうずるさに直面しながら。

▶臼杵さん
へらこいひとにはかなわんからね。

▶くにひこ
どういう意味ですか?ずるい?

▶臼杵
策士というかね。

▶くにひこ
まあRみたいなやつやな。

▶ひとみ
やられながら進むしかない。

▶くにひこ
Rってね、正面から来いよって言ったら、僕のメールをすでにブロックしてるのに、
「会社のほうのメール使ってくるなんてどういうことですか、弁護士に言います」
とかいってくるねん。弁護士の名前出したら僕が引き下がると思って。
「どうぞ弁護士に言ってください、隠れてたことも表に出たら僕はいいと思いますよ」
って言ったら、応答がない。
そういうやりとりで終わっちゃうの。そういう相手も現れる。

チビッコリーとか魅力的なものを生み出すと、そういう相手はやっぱり寄ってきます。
で、どうするかっていうのは今現在ぼくらずっと話し合ってるところです。

▶ひとみ
自分らの実力で対峙していくしかないね、やっぱり、そこは

▶くにひこ
そこどうするか、というところは本当にもう現在進行形だね。
でその自分たちの実力立ち上げるというところで、僕が臼杵さんをサイトに
上げたいっていうのはそういうことです。
利害で共闘するとか援助じゃなくて、今言った思想的なことで
ひとつうちだせるなあという。イメージとして。同志的な。
臼杵さんの言葉で言えば『同じ傾向』的な。

▶ひとみ
なんかやっと、こうウェブサイト作りながら、
「守人の日本地図つくるか」とか言ってさ、ここで円坐仲間がおるよって。
技術的にできてなかったのもあるけど、なんか、こう、作ろうとしてたけど、
なんかこう、旗揚げしてたのにいなくなる人達、いっぱいいるじゃないすか。
で、なんか、そんなん思うと、せっかく日本地図作ってもなんか、
出てこない、消えちゃうやん、だめやなーとかちょっと思ってたんですよ。
でも、臼杵さんは絶対消えないなって思うから(笑)
やっといま日本地図作れるみたいな人に出会えてよかったっていう。

▶くにひこ
さっき、まんのう町の喫茶店から帰ってきたときに悠が
「こだわり市は拠点みたいでいいね」っていったんだけど拠点だと思う。
だから今思いついたんだけど、
こだわり市のあそこで定期的に円坐して
そのたびに臼杵さんとの農業円坐みたいなこと発信したいねん。
三年続けるとこれはひとつ僕らから独立して動き始めるから。
三豊でこだわり市でこだわり円坐かなんかしらんけど一つ発信したい。
で、そこで、僕らが四万十に行ってるように三豊に一坐が交代で来て
姉弟円坐とか農業円坐、ちょっとわからんけど概念を出したいねん。
なんかそんな考え方、これはないと思う。いろいろ田舎いってみたけど円坐やってないから。
四万十でも町議会の女の人が議会に円坐が必要だと言った。
臼杵さんって、具体的に円坐そのものやねんこのひと。
お前の言うとおり、拠点です。ちょっと思いがけんけど、香川にできると思ってなかったから(笑)

▶ひとみ
いろいろ巡っていろんな所で旗揚げ旗揚げとかやってきたけど、
ほとんどおらんやん(笑)
あっちこっち、ここに城がある!あそこにもって一生懸命言ってたんやけど、
ほぼないんですよ。あんだけ出てきたのに

▶くにひこ
俺たちも臼杵さんと一緒やねんて(笑)

▶ひとみ
みんな城跡やねん

▶くにひこ
最初は調子いいんやけど、深掘りし始めると皆逃げんねん
僕を呼ぶのが楽しいうちは呼んでくれんねん。
僕と一緒に他の人も来るしね。
でも本気で円坐やるとなるとその人らは踵返していなくなる。
「円坐」まで届くほど自分を賭けるひとは少ないねん。
僕、臼杵さんと歳近くてけっこうそういう苦労する歳なんやと思う。
でもこっから後が大事でこっから10年が大事やと思うねんな。

▶ひとみ
こっから十年絶対にぶれないお城をひとつここで確認しました。

▶くにひこ
そうです。でお前と四万十の縁も大事にしたい。
ほんで臼杵さんを四万十に連れていったり、
四万十の哉太くんもこないだの三豊円坐に来てくれてるから。
そんな行き来をしたい。四国で。
俺らは徳島にも地盤があるので、
徳島の人らとも行き来できたら..面白いと思うよ!
四国の農業やってる人らの中に円坐を通じて
臼杵さんの農業の思いが浸透していければいいなあと思う。これはやりたいなあ。

▶ひとみ
これ文字おこしして記事にしてちょっと冊子にしたら
アナログにしたら農家さんにも配れるからいいですね、頑張ります

▶くにひこ
そこを、お前が身につけてきた、会議力で。
それやるとお前がやられてきた人らにも大きな意味で恩返しできることになるからな

▶ひとみ
そうですね。本当の絆つくっていきたいですね。

▶くにひこ
本物にせなあかんねん。
ということで臼杵さん、拠点としてよろしくお願いいたします。
円坐したり対談したり土地に根付いた人間の思想の発信やと思う。
臼杵さんの特徴そこに有ると思う。
農業を思想として精神的に発信できるねん。
ここが僕らと一緒にやれるところだと思う。
日本中に届けたいと思う。農業やってる人らに。
で、町の、都会から出たいという人にも届けたいと思うわ。
これは本質的なことで、僕はこれは世界中に言ってもいいくらいや。
ウクライナの難民やいろんな国の難民が日本にきてるなら
それこそ臼杵さんに出逢ってもらって
農業というものに本気で入るなら、別に外国の人でもいいですよね。
本気であればね。
それで外国人がくることでいろいろ摩擦が起こるなら俺たちの出番だよ。
ちゃんと円坐してあげればいいのよ。
民族を超えて、農業ってのは地球的な話だから。
臼杵さんの射程はそこまである。
奥さんはそこまで考える必要なくて、そこの部分は離れててもよくて。
「ちょっと明日のお米どないすんのん」って話でいいとおもうねん。
ここは摩擦を起こしながらでも行くべきだって昨日くぅが言ってたけど
それでいいと思うねん。嫁さんと仲良くなる話じゃないと思うこれ。

▶ひとみ
必要な摩擦ですよね。奥さんは現実的なところをちゃんと見て動かしていくわけだから。

▶くにひこ
そうですそうです。

▶ひとみ
結構最強コンビ。

▶くにひこ
そう思いますね。うちもそうやけどな。
なかなかいい会話になったね。
今度はくぅと対談したり、悠と対談したり。
円坐芸術的な生き方してる人とどうリンクしていくかやってみたい。
三豊で河野さんがやってるあのアートのやつと、ちょっと違う路線で、
円坐アート的な動きやってみたいと思うんだよね

ーおしまいー