愛知・岡崎城円坐舞台
日程:2022年10月26日(水)
時間:10時〜16時30分
場所:愛知県岡崎市康生町
会場:茶室 城南亭 (岡崎公園内)
守人:橋本久仁彦 松岡弘子 橋本仁美
会費:15,000円
案内:伊藤妙
主催:有無ノ一坐
申込:soumon.enza@gmail.com 松岡
わたしは、
ちょうど1年前の十月、
岡崎の人に会いに参りました。
伊勢湾から知多の北を東へ走り、
豊田南INで高速道路を降りて、
国道一号線を岡崎へ向かう途中、
矢作川にさしかかったとき、
ある像が視界に入りました。
「あ!
日吉丸と小六かもしれない」
と思い、
振り返りましたが、もう見えなくて、
豊臣秀吉蜂須賀小六出合之像なのか、
結局は、わからないまま、間もなく、
オデッセイは岡崎公園に到着しました。
今度岡崎に行く時は、
気をつけて矢作川を渡ろうと思います。
岡崎公園に着いて大手門をくぐると、
ここが、徳川家康の本拠地なんだと、
しみじみとしました。
わたしの生まれ育った大阪の町には、
大阪城公園があります。
大阪城公園へ小さい頃、
坂道を自転車に乗って、
よく秘密基地に通いました。
お堀があったり、緑地がとにかく広くて、
森之宮、京橋へと未知の地へ向かう旅は、
子ども時代の自分には冒険の遠出でした。
帰りはいつもすっかり日が暮れてしまい、
不安になりながら、家へ帰ったものです。
帰る時間が遅くなって急いだ拍子に、
自転車でこけてしまい、
膝を擦りむき血が出て痛くて泣いていたら、
通りかかった見ず知らずのお姉さんが、
水道で傷を洗って手当してくれました。
そのお姉さんの懸命な優しい仕草に、
涙が止まらなかったのを思い出して、
子ども時代の遠出の冒険が蘇りながら、
岡崎公園の庭園や池の淵を歩いて、
待ち合わせの茶室へ向かいました。
この時、実際に、身を運んで会って、
池のほとりで円坐の約束をしました。
大阪城で手当てしてくれた、
お姉さんを忘れないのと同じ様に、
池のほとりで交わした約束も忘れません。
いざ、岡崎へ
愛知・岡崎城円坐舞台にどなた様も、
どうぞご縁をお待ち申し上げております。
松岡弘子
私が生まれ育ったのは、愛知県の知多半島にある常滑というところです。
そのあたりの言葉は語尾に特徴があります。
「~じゃん」「~だらぁ」。
子どもの頃から当たり前のように使っています。
高校を卒業し名古屋で学ぶようになった頃、この表現が名古屋ではほとんど聞かれないことを、と同時に三河地方で使われていることを知りました。
陸続きの名古屋ではなく、海(三河湾)を隔てた三河地方との共通点。
ましてや常滑は知多半島の西側にあたり、常滑から見える海(伊勢湾)の向こうの三重県はどちらかといえば関西圏。
知多半島は尾張地方の一部、その尾張地方の中心となる名古屋を生活圏として育った私にはとても不思議に思えました。
社会人となり名古屋に勤め、その後暮らしも名古屋に移し、しばらく経った頃のこと。転勤で岡崎に勤めることになりました。
転勤当初から、職場の同僚であるはずの人たちから「どうせ名古屋に戻るんでしょ」「どうせ名古屋だからこっちのことは〇〇と思ってるでしょ」というような言葉をかけられることが何度もありました。
もちろん、転勤ですからそのまま岡崎で勤め上げることは考えていませんでしたが、いわれのない区別のされ方には戸惑いました。
当時、岡崎で一緒に勤めていたのは三河地方に暮らす人たちが大半でした。
おそらく、彼ら、彼女らの中にこそ『名古屋』を明確に区別する何かがあったのではないかと思います。
歴史を遡れば、尾張は織田信長と豊臣秀吉、三河は徳川家康の出生の地。
名古屋では、三人を並べて郷土三英傑と呼び、名古屋まつりでも三者を揃えた郷土英傑行列が見られます。
が、岡崎では、家康行列、岡崎城下家康公夏まつり、家康公生誕祭と、やはり家康が中心のようです。
尾張を名古屋と括り、名古屋 対 三河 で対立する奥底には、岡崎に生まれ天下を手にした家康の存在が大きく影響しているのかもしれません。
このたび、 有無ノ一坐の松岡弘子さんよりご縁をいただき、三河の地 家康の本陣 岡崎城の一角で『愛知・岡崎城円坐舞台』を開催することとなりました。
守人には、有無ノ一坐から橋本久仁彦さん、松岡弘子さん、橋本仁美さんにお越しいただきます。
有無ノ一坐の本拠地 大阪を離れ、お三方が守人に揃うのは大変貴重な機会でもあります。
ご縁ある方にお越しいただき、岡崎城に立ち上がる景色、一日限りの物語を一緒に見届けたいと思っています。
ご都合があいましたら、ぜひ足をお運びください。
伊藤妙