はじまりの円坐spark
このたび山内直子さん主催で円坐をする運びになりました。
山内さんのご案内文からどうぞ!(橋本仁美)
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少し前にこんなことがありました。
会話の中でふっと名前が出て来ない、そういうことはよくあることではありますが、
夫と次男と出掛けていた車での移動中に10月の三連休の帰省の話になり
独居の義父に家族同然にたいへん良くしてくださっている方のことを話そうとするのに 「あれ、あの…えーーーっと…(名前が出て来ない!)」
思い出そうと、あ行からあ・い・う・え・お…とぶつぶつ言いながら探して、か行・さ行・た行にいきかけた2、3巡目に、夫からは「もう過ぎたょ」とヒントが。
た行までいく前にその方のお名前の1音目があるはずなのですが、全く出てくる気配なく、“こんなに出て来ないことがあるだろうか?! と焦ります。
芸能人ならまだしも、あんなによくしてもらっているその人の名前が全く出てこない?!と。
「え⁈ ちょっと待って… ほんまに出てこーへん、失礼な…」と言う私に、後部座席から
「だいじょうぶー?認知症ちゃう?」と次男。それに次いで夫も。。
私は、出て来ない気持ち悪さとか答えを訊こうというよりも、この時は
こんなことってある?! いや、あの人の名前を思い出せない筈はないだろう…と
いう思いで、ふと
「ちょっと待って…もしかしたら、最近おとうさんに電話していなくて、遠くなっているからかもしれない」「電話してみたら出てくるかも。」 そんな言葉が出て来ました。
運転中だったため、目指す店まで車を走らせて到着後、運転席に座ったままで、お義父さんに電話を掛けてみました。
呼び出し音が鳴るも受話されず、5、6回鳴らして一旦切って。再度掛けてみますと、鳴っている呼び出し音の中で不意に「あ! きょうこさん!」と口をついて出て来たのです。
結局、二度目もお義父さんは受話されず、電話は切るに至ったのですが、驚きました。本当に(名前が)出て来た!と。
なぜここでそんな話を書きたくなったのか...と言いますと、名前を思い出すまでの経緯が、相手との心の距離や関わりの濃さのせいかもしれないということ、電話をしたら思い出せるのでは?! という発想は、元々私にあったものでは無いように思えて、今回円坐の守人をしてくださる橋本仁美さんと出会って、円坐という言葉や場に触れる機会を頂いて、有無ノ一坐の皆さまにもお世話になる様になって以来のところから端を発している様に感じられたからです。
円坐は、私にとっては上手くやろうとしている自分が炙り出されたり、、と
生き様が透けて見える様な場で、そこに身を投じることは一見リスキーに思えるけれど、だから避けるのか、それでも向かうのか、みたいに何か突きつけられる感じがあります。
この度、守人を橋本仁美さんにお願いしまして円坐を主催させていただきます。
初めましての方もどなた様も、よろしければ、ぜひご一緒ください。お待ちしております。
山内 直子
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電話切らんとおとうさんと話したらよかったのに!
山内直子さんは、「それってどういうこと??どんな感じなん?」と聞いてきます。
いちいち聞いてくるのでケンカにもなりますが、
彼女に問われることで頭の中でふわっとしていたことが具体的になり面白く答えられることもあります。
今回は彼女が長いことかかってついに案内文を書きあげ円坐の開催に至りました。
そんなに時間がかかってしまう円坐の案内文とはなんなのでしょうか。
手軽に書けるのかと思いきや、なかなか書けないことも多くて、
私は何年も円坐をやってきて最近やっとまあまあな速度で書けるようになってきました。
なかなか書けないのは、自分の精神だけで足場をつくって世に打って出るからでしょうか。
結構頭の筋肉がいるしこわいけどおもしろい。
打って出るので最近は案内文ではなく宣言文と呼んでいます。
小さな営みですが世界中どこへ行っても誰とでもやれる面白さがあります。
円坐は世の中の名だたる場づくりのプロたちに「それだけはできない!」
と言わしめるいっぽうで、日々を身の丈で生きる人のなにげない言葉から始まります。
話は変わりますが最近「自己実現」のために日記(ジャーナル)をつけよう、という事を語っている話を
聞いたのですが、日記に書く一例として挙げられていた以下の内容にとても驚きました。
『‥上司に怒られた、むかつく。なんでむかついたのかというと、自分なりの工夫を否定されたから。
そういえば、以前も似たようなことでむかついた。
ということは、自分の価値観は“自由に工夫できる環境“なのかもしれない。
そういえば前に「人間はコントロールできる環境に幸福を感じる」というのを聞いた気がする。
じゃあ幸福度を上げるために自分の生活の中でできるだけコントロールできる分野を増やそう。
後輩に教えるときは、できるだけ自由にやらせよう‥。
このようにジャーナルを行うと、自分を成長させるタスクにかわります』
日記を書くのはいいのですが、これでは他者とのあいだに起きたことを自分の都合の良い捉え方にすり替えて「自己成長」の世界に引きこもってしまい、自我が肥大化して他者のことばが入らなくなってしまいます。しかしこの頃は他でもよく聞く内容なのでこういう事がどうも普通なのかな?とも思います。
みなさんはどう思われるでしょうか。
いくら自我(自己)を強化(実現)していったところで自分を妙に安心させるばかりで
自分の都合よく他者を消すことは結局できないので自我マッチョになった側が逃亡するしかありません。
テーマもルールもない円坐ではただ目の前にいる他者とのやりとりが連続して迫ってくるので
自我が肥大化した人には厳しい場となります。でもそこを突き抜けるとおもしろいですよ!
今年の年末に兵庫にひとつ小さな円坐を置きます。他者という未知の存在への旅(スパーク)です。
平日の昼間ではありますがご一緒できるこ゚縁を楽しみにお待ちしております!
有無ノ一坐 橋本仁美

はじまりの円坐spark
日 程 12月26日(金)
時 間 13時開場、13時半〜16時半
参加費 3000円
会 場 はじまりの杜
(兵庫県川西市鼓が滝1丁目21−15)
守 人 橋本仁美(有無ノ一坐 https://umunoichiza.link/)
申込先 hottocafe1103.m.h.p@gmail.com(山内)まで
主 催 山内直子


