開拓相聞円坐
開拓相聞円坐というのは加倉井拓夫さんの命名です。もちろん開拓も相聞も円坐も既にある言葉ですが、一連の名を声に出して発してみると、不思議な音色と余韻があります。
見えない存在を非常に身近に感じる人と話をしたり語りあうのはとても面白いです。ほとんど視えているのと同じ位のことを仰っているけれど、もしも、ほんとに視えるようになったら、この世で、こうやって人と語り合わなくなるのではないかとも思います。
円坐で、敬意をもって身近に感じ、ふと、そうだろうかあぁだろうかと語りあうなかでふと、思いがけずご縁によって臨在としてあらわれる時があります。
一人なら視える能力があればそれでいいのかもしれませんが、でも円坐ではそのような能力がなくてもその土地に一緒に坐った者同士、自身と他者との背景やご縁が、不思議なつながり=波を起こし、その波が寄せては返すなか、やがては、新たな波が生まれます。
円坐は、宗教の先なのか後なのかはわかりませんが、そういった既存の枠組みから外れていきます。
人間にとって運命があるとすれば運命って、暗闇を手探りで歩くようなイメージなのかもしれませんが、
この世界の波のいつどこで生まれたかも運命であって、それに対し、世界がどういう風にその人をならしめてゆくのかも運命だという気がしますし、だから、わたしたちはどこかでそれを自覚しているし、やがて、その事が他者との関わりあいのなかで必ず兆してくる。
その波に生まれ、そこで自分がどの波なのかということを感じ、自分がその大海というか、この世界に対して、こういう波であるということを知ってか知らずか、発するとその答えが向こうから返ってくる。
波を発することでまた他所から波が返ってくる。そうして、自分の運命を切り拓くことも必然としてあると感じています。こうやって生まれた運命はあるけれど、自分から大海に対し世界に対し、そしてこの世の人たちに対し、必ずなんらかの波を発している。
円坐はそこに対して置かれてきたし、これからもずっと置かれてゆく。
衣装をつけ、舞台に置かれると自然にそうなってしまうのは、子供の前でいる時の親の顔とか親の前にいるときの子供の顔なのと同じで、ある種演じてて、思い切って言うならば、本当の自分ですら演じている。
ところが人間というのはどんなに衣装を脱いでも心一つになっても、世界中の人間なのだと思います。
たった一人でもいい、誰か他者と本気で関わりあいながら、共に生きていくことが、こんなにも豊かで面白いことなのかと切実に感じる日々です。
このたび加倉井拓夫さんに会いに千葉県四街道市鹿放ケ丘へ参ります。開拓相聞円坐を開催いたします。
ご縁をお待ちしています。
有無ノ一坐 松岡弘子
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この度、4月8日に有無ノ一坐副坐長の松岡弘子さんに実家にお越しいただき、円坐を開くことになりました。
私の実家は、祖父が第二次世界大戦後に、満蒙開拓団として満州に渡るはずだった若者たちと共に開拓した地域にあります。
そんな実家に松岡さんに初めてお越しいただいたのは一昨年の7月でした。その時はタイトなスケジュールの中、坐長の橋本久仁彦さんとお二人で来てくださいました。お二人は家に来る前に図書館に寄り、祖父に関連する本などを調べてくださったそうです。そしてそれにより、短時間にも関わらず、祖父やこの土地に関する視座を得ておられ、とても驚かされました。
そのお二人の訪問があってから、私のなかで、自分が暮らす土地との関係が変わりました。
これまでも、この土地が祖父たちが開拓した土地だということは知っていました。しかし、どこか前時代の厳しさのようなものを醸し出す祖父とは心理的に距離を感じていたのも事実で、土地に関しても、住み慣れた場所という以上のものは感じていないのが正直なところでした。
そんな土地にお二人が来てくださり、誇張や、スピリチュアルな意味とも違う、なにかもっと具体的で現実的な、素朴な感覚として、祖父が身近な存在として立ち現われたように感じました。
今回の円坐は「開拓相聞円坐」と命名されましたが、これは松岡さんと円坐の名前を決めようとする中でふと思いつき、提案したものです。
私の名前に入っている拓の字は、祖父が開拓という意味を込めて入れたものだということは、子供の頃から知っていました。
しかし、開拓ということが、それを要素として盛り込んで円坐を開くほど意識化されたものになるとは思ってもみませんでした。
円坐は目下、私が最も生身の私自身として存在する場であるといっても過言ではありません。だから円坐の名前に開拓という言葉が入ってくるのは、生身の自分に開拓という言葉が流れ込んでくることでもあります。
ところで、戦後80年を過ぎましたが、その時間の流れは私が暮らす地域でも実感されることです。開拓を知る世代が亡くなったり高齢化したりして、地域の維持にあたるのがその下の世代、さらにそのまた下の世代と移り変わっています。
その移り変わりのなかでも、開拓した世代の人々がはじめた地域の行事が受け継がれています。しかし何事も想像するのが好きな私は、開拓の苦労を共にした仲間が、自分たちで開いた土地のために行う行事には、独特な雰囲気があったのだろうと想像してしまいます。
円坐は、現代生活の全域にわたって進行し、人間関係のあり方にまで浸透しつつある合理化の波に抗って、生身の人と人の関係のあり方を模索しようとする実践でもあります。
その円坐に関わろうとすれば、他ならぬその人自身が、自分にとっての「生身の人との向き合い方の原型」のようなものがどこにあるのかを、問われるように感じます。
そういう円坐の名前を考える中でふと出会った「開拓相聞円坐」という名前からは、なんだか土着の寄り合いのような響きを感じ、気に入っています。
今回はるばる大阪から来てくださる松岡さんは、ご自身の歴史的背景と、そこからくる興味関心の方向性の中で、私および私の祖父、そして祖父が仲間と共に開いた土地に関心をもってくださっています。
そのような松岡さんと開くこの度の円坐は、必然的に、私が円坐守人として拠って立つべき足場を模索する場となるのだと思います。
AIなどにより効率化され、洗練されていく世の中にあって、素朴で、非効率的な、生身の人間の営みとしての円坐を、令和の時代にあってまだかろうじて土の匂いを残す住み慣れた土地で開けることに喜びを感じます。
平日ではありますが、ご縁のある皆さまのご来坐を心よりお待ちしております。
関東円坐研究会
守人 加倉井拓夫

<開拓相聞円坐>
日時:2026年4月8日10:00~17:00
会場:お申し込み後に詳細をお知らせいたします。
守人:松岡弘子、加倉井拓夫
参加費:1万円
お申し込み、お問い合わせは下記メールアドレスにお願いします。
enzakeiko.hk@gmail.com

