逢坂・能勢の円坐

有無ノ一坐の橋本仁美です。
このたび、大阪府能勢町にお住まいの坂本厚子さんと円坐をします。坂本厚子さんは、中学生の息子さんの弦聡(げんと)くんのドラムレッスンのために大阪市内にある私の家まで車で1時間かけて通ってきてくださっています。

弦聡くんはダウン症です。弦聡くんは抽象概念、すなわちお金や、「この場所ではこうすべき」というマナーやモラル的なこと、1+1=2という算数の数式など、私達が目にはみえないけど「ある」と認識しているものがわからないそうです。

目にはみえないけど「ある」ものとしてこれら概念を共有することを「共同幻想」と呼びます。

弦聡くんは数式をみて数を計算することはできませんが、彼の大好きなおにぎりが目の前に実際にあると、それを数えることができます。そしてドラムの前に座るとすごくきもちの良い音を出します。また、人が好きで出会った人のことを忘れず、会ったら満面の笑顔で出迎えてくれ、だれに対しても愚痴を言ったり恨みをもつということがまったくありません(愚痴や恨みをもたない人がこの世にいるのか!ととても驚きました)。

この社会は共同幻想で成り立っているので、弦聡くんは社会のなかで生きるうえで必要なことを習得するのが苦手ということになりますが、人間同士の個人的な付き合いについては、社会に縛られている多くの大人よりも彼の方がずっと上手です。

数式を覚えることができても他人と自然に関わり合うことができない人は大勢います。人と関わり合うことと、共同幻想をつくりあげること。一体どちらが大事なのだろうと考えさせられます。たしかに共同幻想をつくる能力は便利だし、この社会で生きるうえで非常に大事なのですが「共同幻想をもたない」ということも、とてもすごい能力なのではないでしょうか。私は幼児や、高齢の方、認知症と呼ばれる方のなかで共同幻想をもたない方々と出会ってきました。

私たちは、共同幻想がほんとうは幻なのにもかかわらず現実に存在しているかのように感じてしまい、大なり小なり縛られたり惑わされます。お金がないことに焦ったり、結婚できないことを不安に思ったり、罪悪感に苛まれたり。

共同幻想は日常の言葉では「空気」とも言い換えられますが、大きな話でいけば第2次世界対戦の終盤で戦艦大和が負け戦に行くことになったのも、根拠のないその場の空気による決定があったといいます。コロナに関する諸々もそうですね。多くの人が空気をつくりつくられ操り操られ、忖度し、貴重な個人の生きる時間を失っています。

タイムパフォーマンスが重視される世の中ですが、円坐ではあえてたっぷり時間をとり他者と向き合い丁寧に話すことで、人間関係で起きていることを感じ取る「視力」が磨かれ、空気に無防備にやられてしまわずに、空気に対して能動的に立ち向かっていけるようになります。空気と対峙するための視力をもつことは、現代社会を生きていくうえで必須のスキルといえます。

・・・

厚子さんは、「ダウン症」という社会的に認められる名前を通してコミュニティを築いて(=共同幻想や空気を使って)弦聡くんの居場所を作りたいわけではなく、あくまで人同士の個人的な関係を深く築いていくなかに弦聡くんが生きていける場所をつくりたいと仰っていました。

厚子さんは「私のことはいいから弦聡とみんなが関わってもらえたら」と言うけれど、
私としてはいくら弦聡くんと関わりたくても、厚子さんと弦聡くんの関係をすっとばして弦聡くんだけと関わることはできません。厚子さんの願いのままに弦聡くんに関わるのは筋が違うし、なにより弦聡くんが厚子さんのことを大切にしているからです。

私は円坐をする人間なので、厚子さんが求める方向に向かうには深い関係性を築くために他者に踏み込むことが必要で、そのためには円坐は最適ではないかと思います、と答えました。そして、せっかく関わり合ったこのたびのこ゚縁、わたしは厚子さん弦聡くんと切っても切れない関係になり、弦聡くんを私にとって「なくてはならない存在」にしたいので、そうするためには円坐が必要で、私と厚子さん、一緒にどこまでいけるかわかりませんが円坐をしてみませんかと提案しました。

個人的に会うことも可能ですが、円坐をおくことで、私たちと無関係だった外部の方々がわたしと厚子さん・弦聡くんの関係性のなかに対等に入ってこられるようになります。
その結果、私たちだけのプライベートだった付き合いは、外の人たちと繋がる扉になり、かけがえのない未知の関係を結べるはじまりになります。その方が絶対面白いと思い、今回円坐を開催する運びになりました。

大阪で随一、緑豊かな里山の能勢でお待ちしています!

有無ノ一坐 橋本仁美

・・・
・・・

-円坐-

円になって話しをする。
何のテーマもなく自由にお話しをする。

自由が1番不自由さを感じてて、何を話していいのかわからない“難しさ”と
否定されるのが“怖い”がありました。  

私は、人の意見に左右されがちで自分を見失う事が多々ありますが、そんな時、私にとって今何が大切なのか?を気付かされ、大きくブレた自分の軸を反省し、認めて、感謝しながら元の場所に戻って来てます。よく忘れがちなのですが、人との関わり合いの中で大事なことは何か?と自分に問いかけるのですが、それは自分を大切にしていくことです。

-何故円坐をしようと思ったのか?-

ひとみん(橋本仁美さん)は息子のドラムの先生。レッスンする中で息子はこちらがコントロールしようとすると動かなくなる。かと言って、自由にして良いよと手放すと、つまらなそうな態度をとる。私達が本気で楽しんでいると息子も楽しく自由になっている。

面白い。息子に教えてもらってる。本能のままに生きている。

彼がこれから先多くの人たちと出会い、関わっていく中で私の位置は今のままで良いと思ったのですが、息子にはもっと世界を広げて欲しいと願っていて、それなら円坐をする事で人との関わりが広がり、深まる。そのためには私が動く事で息子も動き安心して人との繋がりが出来る。と、ひとみんに言われて、そんな息子の未来を想像したら、楽しくなり円坐をすることになりました。

坂本厚子

逢坂・能勢の円坐

【日 程】 10月28日(火)11:00〜16:30
【会 場】 大阪府能勢町
     (お申込み頂いた方に詳細をご案内します)
【参加費】5000円

【スケジュール】
 ・11:00集合次第1つめの円坐開始〜13時頃
  (約2時間)
 ・13:00〜14:00頃 昼食
 ・14:00〜16:30 休憩はさみつつ2つめの円坐
  (約2時間)
 ・16:30 終了、解散

※予定のため時間が前後する場合があります。
※周辺にお店がないので昼食は各自ご持参いただく
 かもしくは会場で800円でカレーを食べられます。

【守 人】 橋本仁美(有無ノ一坐)
     HP:https://umunoichiza.link/
【申 込】 hitomi.hashimoto918@gmail.com
     (橋本)まで
【主 催】 橋本仁美 坂本厚子


円坐とは

知人同士他人同士かかわらず数名〜10名前後で集まり、数時間〜ときには数日間かけて過ごす語り合いの場です。各自の気持ちや主体性を尊重した聞きっぱなし言いっ放しを志向する対話の場とは異なり、時間いっぱい、やりとりの積み重ねで起こってくる関係性に基づいて、丁寧にしかし自由に関わり合いを進めていきます。

簡単にいえば「なにを話してもどう過ごしてもまったくかまわない自由な場だが、自分の振る舞いを見て聞いている他人が一緒に座っており、彼らもまた同じく自由であるのでどう反応されるかはわからないよ」という場です。

その意味では日常に非常に近いですが、日常と違うのは、日々の流れに慌ただしく流されることなく時間をかけて自分自身の振る舞いをじっくり考えながら他者と関わり合えること、そしてそのやりとりを丁寧に追いかける守人という存在がいることです。そのような設定の空間のなかで他者と丁寧に対話・対峙し旧知の人とも初対面の人とも唯一無二の関係を深めていくことができます。

人付き合いには様々な「出会いかた」があります。情報をゲットしあう会い方、表面だけ合わせた楽で無難な会い方、お互いのエネルギーを吸いあう会い方。日常の出会い方は、よく見てみると利害関係に基づくものがほとんどです。

円坐ではときには沈黙が何分、何十分と続いたりすることもあるので不思議な居心地になることもあるかとは思いますが、沈黙も含めてまるごとで丁寧にお互いがやりとりしていく、一生の絆を結べうる出会い方といえます。

友達とお茶にいっても同僚と飲みに行っても途中で疲れたり時間を持て余すのは、相手の表面しかさわっていないからです。しかしひとたび相手に踏み込んで関わっていけば、何日あっても足りないほど他者に対して驚くほどの飽くなき関心が湧き出てきます。相手に踏み込んだ関わりあいがはじまると、他人が自分事になり、他人が自分の人生に入ってくるからです。

しかし個人主義が主流になった現代、人々は他者と関わった際に自分が揺らされ自分が保てなくなることを恐れるあまり関わりを避けるようになってしまいました。でも最も幸せなのは他者のために生きられることなのではないでしょうか。

逢坂・能勢の円坐開催に寄せて 橋本久仁彦 寄稿

脳梗塞で半身麻痺になった方が、影舞をするとリハビリのトレーニングでは動きにくかった角度の動きがスムースに動くことを発見されて、ご自分のリハビリに影舞を使いたいとおっしゃったことがありました。

通常のリハビリテーション・プログラムと違って、影舞には「他者との仕合い」の要素があります。

他者からの真剣な「向き合い」と「かかわりあい」によって、我々の身体は日常の状態を越える生命力を発動して反応し、活性化します。

円坐や影舞の真剣なふたりの人間のかかわりあいは、一人で運動や発話をするのとは異なる位相での熱量の高い体験となり、麻痺が軽減されたり、風邪の症状や心身の不調が消失することがあります。

他者が自分に対して真剣に、油断なく向かってくるとき、身体の細胞が100パーセントの生命力を発揮しようとして、身体能力や免疫力をおのずから向上させるのだと思います。

保育園では、自閉や多動、アスペルガーなどと診断された子供たちが、円坐や影舞で胸を打つ無垢な動きを見せてくれます。

先日、有無ノ一坐が数年来かかわりあっている「知的障害」をもつ息子さんのお母様から、

「息子を円坐街道に連れて行ってほしい。父親が亡くなった今、母親として願うことは、息子に新しい経験を一緒にできる信頼できる仲間がいて欲しいということ。有無ノ一坐の皆さんとなら息子も大丈夫だと思います。」

との依頼を受け、来年の桜の季節に彼と一緒に円坐街道の旅に出ることになりました。

重度の認知症の方々との円坐舞台では、老人ホームに伺うたびに、彼らの純粋で温かい「不滅の人間性」に繰り返しふれることができ、「老人ホーム」という呼び名が不適切に感じるくらいです。

地域の中心として人間性全体の癒しと人生の深い智慧を発信する「人間塾・人生ホーム」という名称はどうかな。。

円坐影舞未二観、すなわち円影未二の時空間では、常識的な「障害を持つ人」の意味が反転し、「全体的人間」として互いに真摯にかかわりあう世界が開かれます。

有無ノ一坐は引き続き円影未二のかかわりあいを続け、保育や医療、福祉の現場に向かい合っておられるスタッフやご家族の方々とご一緒していきたいと思います。

有無ノ一坐の「円坐ドラマー」橋本仁美が守人を務める「逢阪・能勢の円坐」は、普通に健全に生きているつもりの我々大人の孤独な魂にこそ必要な、全体的人間のための人間塾「いのちの円坐ドラムセッション」です。

 口承即興円影未二 有無ノ一坐 橋本久仁彦