柴田智之さん俳優賞の受賞に寄せて

札幌円坐舞台を主催した宮本奏(かなで)さんのご主人である柴田智之さんが、札幌劇場祭で俳優賞を受賞された。出演作品『納谷版〜藪の中』も大賞に選ばれたとのこと。
円坐を生業としている僕は、柴田さんの舞台を一度も観ていないのに、我がことのようにうれしく思った。
以下にその理由を記しておきたい。

僕は「円坐」という人間同士の実存的なかかわりあいの場を開くことを終の仕事として生きている。
The way to do is to be.(その方法は、ありのままを生きること)
円坐は人々がありのままの姿でかかわりあう現場なので、「お互いの魂までつかみ合ったかけがえのない仲間」が生まれる。

「僕の人生に初めて人間が入ってきた!」
と、ある円坐衆が発した感嘆の言葉が端的に示す通りである。

それは客観性と方法論で他者とかかわろうとする対象操作的なコミュニケーションではない。
円坐は、この人生で他者や世界と本当にかかわりあうことを願う人々が集う「存在の舞台」である。

「円坐舞台」とは、円坐という人間存在の解放区を通じて生まれる同胞意識の普遍性を「舞台空間」と見なす言葉だ。
この同胞意識の舞台空間、人間の連帯意識の普遍性は、生々しい予測不可能な他者との直接的なかかわりあいの中に現れる。

人間が虚偽性から離れ、おのれの実存性から他者の実存性へ向かって直接かかわりあおうとする衝動を「霊性」と呼ぶことが出来る。
実存的にかかわりあう人間同士の霊性とその結果は、時間の経過や現実世界の状況によって風化することはなく、かかわりあった相手や自分の生死にかかわらず存続する。

宮本奏さんが新千歳空港まで僕と松岡弘子を迎えにきてくださって、我々は晩秋の北海道の雄大な風景を駆け抜け、札幌市郊外のご自宅に到着した。
そこはところどころに積雪が見られる山間部で、山際にポツンと独り立つ古民家の一階部分は芸術家のアトリエのような風情があり、動き回れるスペースを囲んで色々な創作物が置いてある。

戸口に「柴田山」と白ペンキで手書きされた木の板が無造作に立てかけてあった。
柴田山って土地の名前かなと思って聞いてみると、

「夫の名字なんです。私は柴田奏なんですよ!」

そうか、「山」はご主人がこの場所に名付けた号なのか。
この時初めて僕は柴田さんの存在を具体的に意識した。

外付けの階段を上がり、二階の居間でソファに座って人心地ついたとき、柴田さんが部屋に何かのご用事があって入ってこられた。
その風貌、その物腰に接した瞬間に僕はもう打ち解けていて、この人にもう一度会うことになると思ったのだった。

柴田さんは翌日大阪に発ち、一人芝居の作品の舞台公演をするとのことで、本番前の稽古があって今回はゆっくりお話できず、すみません、というご挨拶をいただいた。

午後、二階の座敷で開かれた円坐で、鷹栖から車を飛ばしてやって来た唄うたいのじュんきが、札幌の野嶋成美さんと対峙している時、トイレから戻った松岡弘子が、「すごい声が出てる!じュんきも聞いてきたら?」と告げたので、僕も一緒に廊下に出てみると、階下のアトリエからの腹に響くようなセリフ稽古の声が反響して、周囲の空間から湧いて来るみたいに聞こえた。

家の中の空間すべてに柴田さんの息吹が満ちているようだった。
我々の言葉で言えば、家全体が柴田さんの実存のアラハレとなっていた。

奏さんがこの家への引っ越しを決めた理由は、柴田さんが思う存分に稽古できる環境であったことと、奏さんのおじいさんとおばあさんの畑が近くにあったからとのことであった。

本番前日であるにもかかわらず、柴田さんは坐衆全員との夕食のあとも部屋に残り、まるで昭和のスナックのような懐かしい雰囲気を醸し出す氷柱(つらら)型のライトを灯してお酒をふるまってくださった。
学校から帰って一緒に夕食を共にしたふたりの子供たちは、隣の部屋で静かに眠っている。
その灯りに照らされながら、僕は昭和の雰囲気そのままの喫茶店を40年間切り盛りして、3人の子供を女手一つで育て上げた母の面影を思っていた。

ファシリテーターである奏さんと芝居役者である柴田さんとは、人間関係の価値観も異なっていて、交友関係も別々のつながりになっているとのことだった。
僕はそれを聞いた時、すでに実績のあるファシリテーターである奏さんが、なぜ五月に突然旭川まで円坐に坐りに来たのかが腑に落ちた。

通常ファシリテーターは、場全体の目的を達成するために、人々の心理状態に対して客観性を担保し、個人的、全面的なかかわりあいを避け、出来事に距離を取って観察し、効果的なファシリテーションを行おうとする。

奏さんも、有能なファシリテーターとしての態度に良くも悪しくも染まっていて、円坐で起こる予測できない成り行きに対して観察的で距離を取り、それゆえ他者に踏み込んでかかわりあう本来動的な自分自身が立ち上がらず、目の前の人間への自由な情熱の発露が疎外されている。
僕はその奏さんが以下のような言葉を札幌円坐舞台の案内文に掲げたことに驚いたのだ。

「私はファシリテーターを生業としています。
進行役ひとりが頑張る話し合いではなく、そこに参加する人達で話し合いを共につくっていくという過程へのかかわりを大事にして生きてきました。
そこでは誰かのニーズを聞いて、そこから出発することが自分の役割だと思ってきました。
でも、いつもそこには自分がいなくて、役割に全力を注いできたらいつしか自分がわからなくなっていました。

話し合いの技術として「聞き方」を練習すればするほどに、「方(カタ)」のほうに自分の心が引っ張られ、もう「方(カタ)」の練習や振り返りはいいかなと、いつしか思うようになりました。
相手が相手としてそこにいるのならば、私は私としてそこにいなければ「居ること」はできないからです。

私の仕事は、居ること。
私がいて相手がいること。
でも、自分がその人との関係を生きると言い切ることは怖い。
でも、あなたとわたししかいない。
わたしのなかには迷いや怖さがあります。」

奏さんが、他者とかかわることへの自分の怖さを素直に、真摯に表現する勇気を発揮したことで今回の札幌円坐舞台が実現した。

「迷いや怖さ」とは、相手や自分の実存に踏み込む情熱の発露を凍結させたために生じた二次的な感覚である。

しかし、一般にファシリテーターは、ワークやメソッドによって人々に与えるイメージを方向付け、ファシリテーターとしての自己イメージを守るために自分が「本当に感じていること」の表明を避ける。
なのに、なぜ奏さんは初めて円坐に坐ったのに、これらの実存的な言葉を発することができたのか。

そこには柴田智之という人の存在があったのだ。
奏さんは柴田さんと激しくかかわりあってともに生きて来たのだ。

奏さんが勇気をもって自分の本心を宣言した行為の背景には、他者の魂と対峙し、かかわりあいになることを自身の芸能とする、柴田智之というひとりの芝居役者の生き様が広がっていた。

夕食後、みんなで飲みながら遅くまで語り合ったこの時間は、まぎれもなく今回の札幌円坐舞台の華であった。
それを感じ取ったじュんきが愛用のギターを車から持ってきて唄った。
柴田さんは目を閉じてうなづきながら聞き入っている。
光に満ちた光景であった。

柴田さんは、今日会ったばかりの我々に
「僕の稽古場で円坐をしてください。」
と言った。

我々は、
「はい、ぜひさせていただきます。」
とお答えした。

この時「第二回札幌円坐舞台」が「既に実現した」のである。

大阪で上演する柴田さんの一人芝居の演目は、
「Aさんの故郷、野田村を訪ねて」
出演・脚本・演出:柴田智之(Atelier柴田山)

柴田さんが仕事でかかわりあいになった重度の認知症のおばあさんが、柴田さんの中に面影として住むようになった。
柴田さんに宿ったその面影は、柴田さんに対して表現を求め、やがて表現しないと生きていけないほどになり、一人芝居の作品になった。

ふるさとに帰れないおばあさんは、柴田さんと一緒にいるとき「ふるさと野田村にいるおばあさん」になってうれしそうに語リ出す。

柴田さんは、おばあさんのふるさとである野田村を訪れておばあさんの面影を辿り、野田村の人々も札幌にやって来て往来が始まった。

ひとりの人と深くかかわりあうことが、土着の作品となってさらに深い位相でふるさとの人々に届き、お互いの人生が豊かに変容して往く成り行きは、有無ノ一坐がたった一人の人に会うために日本の各地を訪ねて、お互いの面影の生きた往来が始まる「ふるさと円坐街道」と軌を一にするものだった。

こうして僕も松岡弘子も、柴田さんや円坐衆の皆さんといつまでも語り合って飽くことがなかったのである。

翌日の大阪での一人芝居の公演をぜひ観たいと思ったが、仕事のため行けないので、大阪にいる橋本仁美に知らせると予定を調整してぜひ行きたいとのこと。

橋本仁美は有無ノ一坐の縁坐舞台のヒトガタ役者であり、ドラマーやバンドマスターとしての舞台経験も豊富である。

彼女は柴田さんの舞台を観た感想を私信として奏さんに送った。
ふたりの許しを得てその感想を掲載する。

来年柴田さんは高知での公演の予定があるそうだ。
高知は有無ノ一坐が何度も往来している因縁の土地である。

今、札幌と大阪の面影の往来も始まった。
来年の第ニ回札幌円坐舞台に坐ることが楽しみでならない。

口承即興円影未二 
有無ノ一坐 橋本久仁彦

「昨日の、奏さんの旦那さんの柴田さんの舞台とてもよかったです!

25年も続いてる老舗イベントらしく、撮影禁止やったので撮れずそしてご挨拶叶わず残念!!やったんですが、私が観た3つの舞台のうち柴田さんが一番‼でした!会場も一番湧いてました。

他の人たちもそれぞれよかったですが、オーバーリアクションが気にさわるような、どこか自己完結的で、自分の世界観を見てほしいような雰囲気の場面が多かったのに対し、柴田さんの舞台には全くそれがなく、常に観客との関わりがあり、大きなしぐさの演技であっても心地よく、

「透析患者の病棟」という厳しい現場を舞台にしているにもかかわらずコミカルな要素がふんだんにある楽しい舞台で、かつ登場人物一人一人への敬意を常に感じるあたたかさのある舞台でした。

認知症のAさんを柴田さんが演じられたときはほんとにリアルにそこにいらっしゃるようで、Aさんと柴田さんのやりとりが面白かった。

そして柴田さんの演技から純粋にAさんの面白い人柄が伝わってきて笑いたくなるのだけど、意外とそこで笑ってる他のお客さんがいなかったりして、それは、純粋にAさんを感じて楽しくなるのではなくて、重度の認知症で透析患者であるAさんの、話しづらそうな喋り方とか、そういう演技を観て、(道徳?モラル的に?)笑ってはいけない、とかそういうのを瞬時にお客さんが勝手に感じて笑わないようにしているようにも思えて、はからずも日本の“空気“みたいなのが柴田さんの舞台によって明るみになったようであらためて考えさせられる瞬間でもありました。

ほかにもナマハゲみたいなやつとかパントマイムすごい!とか性格悪い上司の演技オモロい!とか急にエアードラム叩き出した!とかいろいろ感想書きたいのですが書ききれないのでまたあらためてお会いしたときに話します。

まずは柴田さんの舞台素晴らしかったということで観に行ったよ報告でした〜
500円の応援コインシステムがあったので柴田さんに入れてきました。
柴田さんファンになりました。」