北海道/円坐・他者を訪ねて坐る守人

来週の15日16日に有無ノ一坐は北の国の守人、湯本じュんき氏のもとへと飛び
「北海道/円坐・他者を訪ねて坐る守人」で共演いたします。

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北海道/円坐・他者を訪ねて坐る守人
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◇日時  2024年5月15日(15:00) 〜 16日(14:00)
◇会場 ゆもと屋
(北海道上川郡鷹栖町18線10号6番地)


じュんきと有無ノ一坐の仁美はともにミュージシャンです。
ソロのライブや、他のミュージシャンとセッションする舞台現場を重ねながら、
音楽と円坐についての思考を深めてきました。

ふたりの人生観がにじみ出るご挨拶の言葉をぜひご覧ください。

「ときには肉体の生死を超えてまで他者との関わりようを最大限に突き詰める円坐に対して、
人間の精神に響いて生きる活力になり、亡くなった人へも届けられる音楽というものは、
実はとても相性が良い芸能なのではないかとも思います。」(橋本仁美)

「この身一つで、たったひとりの「他者」という存在を訪ねて行くことが、僕の最もやりたいことのようです。
それは仕事というよりは、むしろ仕事も含めた暮らしそのもののあらゆる局面にふと訪れる刹那のことで、
よく目を凝らしていなければ、あっというまに通り過ぎ逃してしまうものな気がします。」(湯本じュんき)

じュんきは円坐や未二観を学ぶために有無ノ一坐に体当たりで向かい合ってきた稀有な人物です。
その結果、家族で携わっていた「森のようちえん」の仕事を辞め、一家で長期に渡るライブ巡業に旅立ちます。

数多くの人々と旅先の舞台現場で関わり合い、旅という「円坐街道」を通じて家族とも時に深く厳しく対峙し、仕合い、仕事と私生活の区別のない人生を見出すために挑戦し続けました。

その挑戦は円坐守人としての新しい生き様に回帰します。

「円になって坐り、刻限までの間めいっぱい、
そこにいる他者と自分の間柄その成るがままを夢中で生きる、ご縁の舞台。
その場を仕切り、そこで起こるあらゆるやりとり出来事に耳を傾け、
自らに果たすべき人間関係へと身を乗り出して行く、円坐守人という仕事。
その長い道行きにおいても、また春の芽吹き出すような心持ちがしています。

いったい「人間」とはなんぞや、「人間関係」とは。
そんなことを切実に追い求めておられる方には、
きっと類稀なる光景を目の当たり頂けることと思います。」

有無ノ一坐も「人間の奥底」を知りたい、
見極めたいという思いと情熱に日々突き動かされて、終わりのない円坐舞台の旅を続けています。

人間として生まれて「人生を最高に面白く生きる」ことを目指す有無ノ一坐は、
「人生の奥底」「人間存在の究極」に向かってライブ巡業の旅回り、ドサ廻りを続けています。

有無ノ一坐十八番の曲目は、

(一曲目)
頭で概念を求めて分かったつもりになるだけの人生を超え出ること。

(二曲目)
本の知識や技法、ワークやスキルといった過去のパターンを繰り返して、一回きりの生身の現在の現場を「過去」で埋め立て続ける自分の態度にうんざりすること。

(三曲目)
そして目の前の「人間存在」という「新世界」に初めて目覚めること。

(四曲目)
初めて目覚めた新世界では「自分の生身の全身」が
そっくりそのまま「あなたと関わり合う舞台現場」に成ること。

(五曲目)
新世界では「あなたと関わり合う舞台現場」を「わたしが宿る新しいからだ」として生きてゆくこと。

(六曲目)
新世界では「あなたのまなざし」「あなたの声」「あなたの生き様」が「わたしが宿る新しいからだ」全体を貫き、鳴り響くこと。

(七曲目)
新世界とは、わたしのふるさとであった。
わたしのふるさととは、すべてのあなたであった。

☆☆

お互いの「人間の奥底」に向かい合える新世界、
「あなたとわたしのまなざしと声と生き様」の共演が
有無ノ一坐の「円坐舞台」というライブステージです。
有無ノ一坐にとって「考える」とは「わたしの態度」のことです。

「知識」とは「わたしの生き様」のことです。
そして態度と生き様は常に「他者との生身の関係」です。

福岡の伊藤ちはるさんは、
円坐舞台の「他者との関係」を生身の全身でとらえて、
「対になって初めて楽器になる」
と表現してくださいました。

あなたとわたしは、ふたりで初めて「生きている」音楽を鳴らします。
あなたとわたしは、ふたりで初めて「存在している」生身の全身を味わいます。
あなたとわたしは、ふたりで初めて「唯一のあなたとわたし」になります。

口承即興円坐影舞 有無ノ一坐 橋本久仁彦



北海道の円坐守人・じュんきこと湯本殉輝さんと、
有無ノ一坐3名が円坐をひらきます!

じュんきとはフリースクール、音楽、円坐、と通ってきた道の共通点が多く、
会うたびいろんなことを語り合います。

じュんきとは妙高での一週間の円坐で初めて出会い、
彼はその後即、円坐をそのままご自身の人生に具現化して
思いっきり人生の方向転換をされて
円坐人、音楽人となり、ご家族とともにこの一年
あちこちで旅しつつ演奏する暮らしを邁進されて、
その様子をときおり届くお便りから拝見していました。

同じように私も音楽と円坐を生業に生きていこうとしているのもあり、
じュんきの日々の活動のお便りに
「おお〜!すごい〜!」
と刺激を受けつつも、少しどきどきしながら
読ませていただいてもいました。

有無ノ一坐にいながら、円坐専任じゃなく
ライブや音楽も手放さない自分にとって
「円坐と音楽」って両立できるのか?ということは最大の関心事で、
円坐と音楽を統合しよう!ともしていて、
できる可能性も大いに感じているのですが、難しさも感じているからです。

現代の日本において音楽は人々の暮らしに浸透している反面、
ニーズに応え、提供して消費されるものになってしまっている側面が強いです。

「音楽の平均化」が叫ばれ、
どの曲もどこか同じような構成になり、
少しずつ変わってるけどなにかが同じの、
その時々の流行りの曲を聴いては大人も子どもも口ずさんでいます。

その土台の上でミュージシャンになるということは、円坐の対峙概念や、
通常のエンターテイメントとは舞台の用い方が異なる未二観・影舞とは
とても相性が悪いように感じます。

そしてライブで演奏して観客と一体感を感じるのはとても心地がよく、
ライブの後に生まれる観客や他の出演者との交流もとても楽しいので、
ついついそちらにいきたくなっちゃいます。

「ついついいきたくなっちゃいます」と書くのは、
そちら(一体感の方)にいってしまうと、円坐の守人ができなくなる感覚があるからです。

ライブやコンサートに行って、ミュージシャンの音楽を聞いて、
他の観客たちやミュージシャンと音楽によって
「言葉を交わしていなくてもひとつになれる」のは
音楽の最大の魅力のひとつではあるのですが、

それは同時に、言葉が通じておらず、ちゃんと会話をしていないのにもかかわらず
知らない他者と一体感を感じてしまっているという、認識の粗さ・雑さでもあります。

しかし「うったえる」という、
「伝える」という言葉の最上位に強い表現が「うたう」の語源とするならば、
ときには肉体の生死を超えてまで他者との関わりようを最大限に突き詰める円坐に対して、
人間の精神に響いて生きる活力になり
亡くなった人へも届けられる音楽というものは、
実はとても相性が良い芸能なのではないかとも思います。

ただ、その場合の音楽は「音楽」という言葉がそぐわないような気がします。
そんなことを思いながら、現代の音楽観に横たわる
両極端の側面のあいだで揺れ続けています。

今回、じュんきと久々に円坐をご一緒できること自体もとても楽しみですし、
上記のことについて、お互いそれぞれの人生で
見てきたものをじっくりと語り交わせる!
そういったところでも、とても楽しみにしています。

5月の北海道はきっと、とっても過ごしやすい最高の季節なんだろうな。
でも北国だから、来られる方はあたたかい格好もどうぞお忘れなく。
前回私が行ったときは、北海道は本当に広すぎて広すぎて
日本とは思えないような、大平原でした。そんな北海道でだだっぴろい円坐しましょう!!

それでは下記より、じュんきのご案内文です。
(開催概要はご案内文のあとに掲載しています)

有無ノ一坐 橋本仁美

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2024.5.15-16
「円坐・他者を訪ねて坐る守人」
ご案内

やれやれ重い腰をようやく上げるようにして、久しぶりに言葉を綴りたい気持ちになりました。
雪が溶けて春一の若草が芽吹き、僕もまるで長い冬眠から覚めたかのように、やることが増えて何だか忙しい毎日を送っています。

冬は冬で何かと慌ただしくしていたつもりだったのですが、最近じゃまるで細胞が活発化しているような感覚で、
やはり北国の冬は冬眠の頃だったのかなと、体感的にも季節の移ろいを感じます。
季節は巡り、ゆもと屋の新たな暮らしも早一年以上が経ちました。

家族と向き合い、田舎暮らしを模索する傍ら、旅に出掛けては人を訪ね、縁を紡ぎ歌をうたう。
兼ねてからの目標通りというわけでもなく、どちらかと言えば事の成るがままに運ばれて、現在のような暮らしぶりに至ったという気がしています。

この一年、頭の中はけっこう目まぐるしくて、見えるはずもない先のことを無理に見ようとしては不安になったり、
なかなか思うようには行かない現実に気が焦ったり落ち込んだりと、苦しい波も時折ありました。

いったい何がやりたくて、仕事を辞めてまでこんなことをしているのだろうかと、問い直されることもしばしばありました。

けれども、こうしてこの身一つで必死に動き回ってみることで、自分がこの人生で魂の底から欲しているものが何であるのか、改めてようやく分かってきた。

それは、目の前にいるたったひとりの相手と向かい合い、本当のことを語り合い、生きとし生けるこの世界に身を委ねては、ゆっくりと一緒に過ごせるそんな刹那でありました。

この身一つで、たったひとりの「他者」という存在を訪ねて行くことが、僕の最もやりたいことのようです。

それは仕事というよりは、むしろ仕事も含めた暮らしそのもののあらゆる局面にふと訪れる刹那のことで、
よく目を凝らしていなければ、あっというまに通り過ぎ逃してしまうものな気がします。

富や名誉、勝ち負けや損得の感情には、些細なことでも簡単に目がくらまされます。
ことにお金の問題には、家族のことを思うが故に余計なところまで心を騒がせてしまいます。

その度に一々自分を見失いもするのですが、立ち止まってこの生涯の終わりへとはたと想い馳せた時なんかには、
結局本当に必要なものって何なんだよと、そんなことをよくよく考えさせられます。

僕が何より本気でこどもたちに渡して行きたいものは、
互いの大切なところを共に酌み交わすことで刻まれてゆく、生涯に残るような他者との繋がりと、その生き様です。

その辺りへと飛び込んで行こうとする道すがら、自分なりに押したり引いたり、踏んだり跳ねたりを繰り返すような日々が、またこの春からも起こり始めています。

改めてここからは、何をやって行くかということにすら先んじて、誰を訪ねて生きるかということが重要なんだと、認識している次第です。

さて、もう一ヶ月を切りましたが、
この5月15と16の日に、僕の人生に無くてはならない「円坐」というご縁の場づくりを伝授して下さった有無ノ一坐橋本久仁彦氏、松岡弘子氏、橋本仁美氏の御三方を、大阪より北海道は鷹栖の我が家へと招いて、一緒に円坐を開きます。

およそ一年ぶりの再会。
人を訪ねて生きることの面白さを僕に教えてくれた、親愛なるくにちゃん、くぅ、ひとみちゃんと、今度は何を酌み交わすことになるでしょうか。

円になって坐り、刻限までの間めいっぱい、そこにいる他者と自分の間柄その成るがままを夢中で生きる、ご縁の舞台。

その場を仕切り、そこで起こるあらゆるやりとり出来事に耳を傾け、自らに果たすべき人間関係へと身を乗り出して行く、円坐守人という仕事。
その長い道行きにおいても、また春の芽吹き出すような心持ちがしています。

いったい「人間」とはなんぞや、「人間関係」とは。
そんなことを切実に追い求めておられる方には、きっと類稀なる光景を目の当たり頂けることと思います。
ご興味のある方は一報いただけますよう、ご縁をお待ちしております。

北の国の守人 じュんき

北海道/円坐・他者を訪ねて坐る守人

◇日時  2024年5月15日(15:00) 〜 16日(14:00)
◇会場 ゆもと屋
     (北海道上川郡鷹栖町18線10号6番地)

◇内容 円坐・他

◇守人 橋本久仁彦 松岡弘子 橋本仁美
    湯本殉輝(じュんき)

◇会費 両日参加 2万円
    15日のみ(15:00-22:00) 1万5千円
    16日のみ(9:00-14:00) 1万円
    食事・休憩 挟む
   (食事・宿泊費 別途カンパ)

※宿泊や食事、持物の詳細は個別にてご説明を致しますので、問い合わせ下さい。
Junki Yumotoyaメッセンジャー
又は
junki.ymt@gmail.comまで


千歳-鷹栖間往復便 北海道の広い空
果てし無く真直ぐな道を
ゆもと屋号・三時間ノ車坐廻り舞台

◆車坐守人   有無ノ一坐
◆車ノ守人(運転手) じュんき
◆会費 片道 5千円

15日 10:30頃 新千歳空港発
16日 19:00頃 新千歳空港着