第5回 円坐影舞 阿波のうた
第五回 「円坐影舞 阿波のうた」のご案内です!
< 第5回 円坐影舞 阿波のうた>
日 時 9月7日(日曜日)10時30分~17時
会 場 「三軒家」徳島市応神町東貞方字貞光
参会費 1万円
守 人 橋本久仁彦 松岡弘子 橋本仁美
主 催 武市有紀江 中かなえ
申 込 enzabutai@bca.bai.ne.jp 橋本まで
口承即興円坐影舞未二観 有無ノ一坐
HP:https://umunoichiza.link/
facebook:facebook.com/yukyuhitohir

今年の4月から、応神町で円坐を始めた。
9月7日で、5回目だ。毎回、繰り広げられる話しに、血湧き肉躍る。
あなたと私を味わいたい。噛めば噛むほど、旨みが増すように。
今回の展開も楽しみだ。
武市有紀江
☆★
心のままに、つらつらと、、。
春から気ままな生活をしています。
仕事をしていた時はお給料を貰う事で責任が発生し、周囲からの期待に答えよう、役割を全うしようという目標を持ってやりきる事でやりがいをすごく感じていました。それはそれで大事なことだと思っています、、。
が、その反面、組織の中で責任感や期待に応じようとする自分との戦いだったようにも思います。
今はなーんも気を使わない人とだけの、これからも生涯続いていくだろうという人との付き合いになり、そこからさらに新たな人との繋がりが広がっています。
円坐阿波のうたでは、
毎月新しい参加者が訪れてくれています。
私にとっては自分の財産になる場でもあります。
気を使わない人との円坐で、
もし誰かと対峙するぐらい我を貫く事があれば、
それはどんな自分の姿なんだろう。
と、怖いもの見たさともいえる自分への期待があります。
残暑残る季節に変わり、毎月繰り広げられる阿波のうたで芽生えてきた感情です。
9月7日、こうちぇんと共にお待ちしています。
中 香苗
☆★
「第五回 円坐影舞~阿波のうた」をご案内いたします。
「円坐影舞~阿波のうた」の「四方の門構え」の二門を担う阿波人、
江千(こうちぇん)とかなえちゃんの挨拶文には「阿波円坐」のリズムが息づいているようです。
先日の「上勝“少年”探偵団」で、篠笛持参の江千と我々は一心に阿波踊りを踊り、影舞を舞い、未二観を唄って、若い頃とは大きく異なる「この世の青春」を味わいました。
僕は生まれて初めて、今まで傍観していた阿波踊りを、本当に踊りたいと思いました。
初めて「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損、損」の意味を知りました。
「阿波のうた」のチャットで、円坐初心者のかなえちゃんが円坐を「円座」と表記したときに、坐の意味を以下のように説明しました。
「垂れをとった『坐』は青空の下で土の上に直接坐るという意味合いです。
組織社会や他人の目への忖度など、自分に覆いかぶさって厚い垂れ幕になっていた精神的な構造物から外に出て、生まれたままの自分で直接他人と大空の下で坐り、時空を超えて丸ごとかかわりあう円坐影舞『阿波のうた連』の『腹の坐り』のことですぜ!」
「連」とは伝統的な阿波踊りの個性あふれる各チームのこと。
阿波踊りの精神空間の中に自分自身を丸ごと投げ込んで生きる彼らのことを「連中」と呼びます。
別の時に僕が記した円坐の説明と較べてみましょう。
<「円坐」という理念は、全体的かつ直接的な出会いが困難となっている現代人の生活状況の「障壁」を取り除く具体的な力を持っている。その理念が実際に現場となった時空間を「円坐舞台」と呼ぶ。
現場で展開する円坐舞台の働きの社会的な側面は以下のように説明できる。
現代社会では「知識による対象操作的・観察的な人間関係」が一般的となっている。
対して「主客・自他を超えて全人格的に、対象的ではなく参与的に他者と一緒に生きる人間関係」は、経済原理による効率性や生産性を目的としてコントロールされた人間関係操作によって抑圧が進んでいる。
円坐舞台が持つ実存的な基盤は、対象操作やコントロールの背後に存在する生身の人格との「存在原理によるかかわりあい」や「生きた人間と人間の仕合い」や「本当の顔との対峙」を実現する。>
「踊る阿呆」とは「参与的に他者と一緒に生きる人間関係」で、「見る阿呆」は「対象操作的・観察的な人間関係」です。
「同じ阿呆なら」は、「どうせかかわりあって生きて死ぬしかないお互いなんだから」
「踊らにゃ損、損」は、「主客・自他を超えて全人格的に参与的に他者と生きなきゃ存在の損、損」
えー!皆スマホいじってるこの時代に他者と存在賭けて生きるなんて「エライやっちゃ偉いやっちゃ」
参与的っていのち丸ごとかかわりあう態度で「ヨイヨイ良い良い!」
こうして目出度く「円坐影舞阿波のうた連」の阿波踊り連初名のりと相成りました。
阿波の人はスダチと祭りと円坐が大好きです。
「円坐影舞~阿波のうた」は、真剣この上ない生身の人間関係がそのまま踊りと祭りに転生して往く新しい「ふるさと円坐芸能」なのです。
9月、阿波の国応神町でお目にかかりましょう。
橋本久仁彦
☆★
身内より他者の方が近い、という事実は、
世間でいう常識がひっくり返ってますが、
自分の中に他者がいると、人生豊かです。
それなのに、
自分自身の能力を伸ばすために、
自己実現のため開発はがりに目を向けて、
他者を観察し分析する対象にし、
徹底して、他者を排除するのは、
管理社会に適応するためなのでしょうか。
他者こそ自分自身であるのに、
自分から、他者を排除すると、
管理しやすくなるのかもしれませんが、
それでは人生の風景に草も生えません。
草葉の陰からこちらを見てる存在すら、
綺麗さっぱり消し去って、
一体、何処に向かっていくのでしょう?
円坐では「時間」は実際存在しなくて、
わたしたちは出来事を作り出している、
そのことを何度も繰り返し経験します。
時間とは関わりによって伸縮自在です。
これは本当に面白い!
時系列通りに人生を生きているのでは、
まったくありません。
自分が本当に存在しているならば、
同時に他者も存在しているはずで、
固定的で一元的で、
一方向の時間など、
あるはずがありません。
便宜上、管理するのに都合がいいから、
直線時間を社会が設定しているだけで、
自分の人生にまで当てはめてしまったら、
それはさびしい人生ではないでしょうか。
阿波のうたには、
徳島の阿波踊りの精神が息づいています!
♪踊る阿呆に見る阿呆
同じ阿呆なら踊らにゃ損そん♪
♪観察してきた傍観人に、
円坐影舞〜阿波のうた♪
♪えらやっちゃ えらやっちゃ
ヨイヨイヨイヨイ♪
円坐影舞〜阿波のうたに、
いちど坐ってみませんか。
うずうずして魂が踊りたくなるはず。
ぞめきたつ徳島応神町で開催中です。
一期一会のご縁を楽しみに参ります。
松岡弘子
☆★
暑いですね〜!!私は暑さにへばってなんども夏バテ。
毎年9月の誕生月に入り残暑感がでると次第に元気になってきます。
第5回の「あわのうた」は9月7日(日)の一日円坐です。
はじめて「あわのうた」に行った時は時間の流れにしんどさを覚えていました。
それは私が世の中のリズムに合わせてたからです。
世の中のリズムも嫌いじゃないんだけどちょっとカスカスだなと思います。
いまではすっかり毎月の「あわのうた」が楽しみです。
人の精神って面白くて、移行期間みたいなのがあってだんだん移動していくみたいです。
(「それって習慣化のことですね!」って思った人、全然違いますからね〜!)
日常でわかりやすいところでいえば能や演劇などの舞台を観劇したときなどでしょうか。
最近はそこにすら社会の時間が入ってきてしまっててなんだか微妙なときもありますが
生粋の舞台では、最初は退屈に思えたり忙しいのに来てしまったとかいう思いがよぎりつつ
自分で来たのに座らされてるぐらいに感じながら居るあいだに、
「社会の時間」とはちがう「人間の精神の時間」に移行していきます。
社会は人には必要だけど、人の精神は社会を超えたところにあります。
だから「より良い生活のため」に自由や人権を社会に訴えるだけでは自分を狭めてしまいます。
マイナンバーカードに書かれてる年齢をはじめとする私の情報はこの社会が壊れると無意味です。
物理学の最新の研究でも、時間というものは存在しなくて出来事があるだけなんだそうですよ。
でも考えたら当たり前ですよね。
時間は人を管理するために社会で生み出された架空の概念なんだから。
ほんならこの世に生まれ落ちてあの世に還っていくまでに私はどんな出来事を生み出していくんか。
やっていこうではありませんか。
橋本仁美


