敬意と因縁(横浜寺家円坐終了直後の感想)

先週の「横浜寺家円坐」に坐ってくださった小笠原隼人さんと、7月1日2日に福島県郡山市で円坐を開催いたします。
小笠原さんは経験豊富な実業家であり、福島で長年復興支援に携わってきたベテランのファシリテーターでもあります。

今回の横浜寺家円坐では、青葉区の貴重な里山地区、寺家ふるさと村に移り住んだフランス人、Alexandre Gerard(アレックス)とともに、土地と家、そして今は亡き人々への敬意をまっすぐに辿る円坐舞台となりました。

日本人以上に土地と人への敬意と尊厳を深く自覚し、どこまでも優しく透き通った青い目で人とかかわりあうアレックスと、福島の日本酒をこよなく愛し、奥様との二人三脚で重なる労苦を乗り越え、郡山で生き抜いてきた小笠原隼人さんによる「日本の円坐の世界的な定義」を皆さんと共有します。

「非論理的で、不合理で、感情的で、予測不可能な縁の重なりを、そこに集った全員で辿り合う場所」

円坐は、非論理的で、不合理で、感情的で、予測不可能であるからこそ、どこまでも自分自身の自然体のみでかかわりあうことができ、仲間との全体的で強靭な絆が生まれます。

どんな時代、どんな世界、どんな政治体制のもとに生きることになったとしても、円坐でかかわりあった仲間との強靭な絆が我々の意識状態を変容させていきます。

たとえ政治体制によって「人権」や「自由」を保障されたとしても、我々個々の間に真剣で強靭なかかわりあいの絆が存在しなければ、そこに人間の尊厳はなく、「与えられた自由」は作為的な誘導を超えることができません。

「円坐」という生存の態度は、生者と死者を実存的につなぎ、因縁をすべて含んで展開する土着の全体的なかかわりあいなので、政治体制や社会システムによって意図的に促進したり、抑圧したりすることは困難です。

そのような性質を持つ円坐を「静かなる革命」だと言うとき、その言葉は政治的な意味合いを持っていません。

地域に円坐という民衆芸能を置くことによって、最初に変化するのは政治ではなく、我々ひとり一人の生き様であり、存在の態度であるからです。

ひとり一人の生き様や存在の態度の変化とは、我々の、他者とのかかわりあいの強度が変化するということです。
他者とかかわりあい、「互いに生きて存在しあう強度」に取り組む芸能が、有無ノ一坐の口承即興円坐影舞未二観です。

大きな時局の動きに対して、円坐は「個人の小さな取り組み」でしかないように見えるでしょうか。

いいえ、時代や土地や生老病死の境を越えて「一人の他者」とかかわりあうこの「小さな円坐」こそが、世界全体という「大きな円坐」の存在の強度を確実に強く、太く、明白にし続ける最もリアルな現実の活動なのです。

以下に謹んで小笠原隼人さんのnoteを掲げます。

敬意と因縁(横浜寺家円坐終了直後の感想)

敬意と因縁(「横浜寺家円坐」終了直後の感想)|小笠原 隼人

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有無ノ一坐 橋本久仁彦