第2回 上勝DEつなぐ円坐

第2回 上勝DEつなぐ円坐

日時:2025年3月1日(日)11時〜17時
場所:徳島県勝浦郡上勝町大字旭字中村
会場:山の楽校 自然の宿あさひ
守人:橋本久仁彦 松岡弘子 橋本仁美
参会費:一万円
申込enzabutai@bca.bai.ne.jp 橋本久仁彦まで

武市あゆみさんよりご案内

冷たい雪が降る上勝。静かな朝を迎えた私は、自分の状況に驚いていた。
というのも寒い朝は布団から出るのもつらく、いつも遅く起きてしまう私。
今日は3時に目が覚めて、4時から家事を始めていた。
私がこんなことをできるようになった理由はたった一つ。
仕事が楽しいのだ。
年末にイラストレーターとしての仕事に転職し、ガラッと私を取り巻く状況が変わった。
小さいころから絵をかくのが好きな私。
ずっとイラストレーターの仕事をしてみたかった。
昨年の12月にチャンスがやってきて、そのチャンスをうまくつかむことができたのだ。
仕事が楽しくなるとこんなにも人生の色が変わるとは思わなかった。
介護もしているが、介護まで楽しくなってきた。
なんでも楽しくやるのはこんなにも人生を豊かにするのだと気が付いた。
こんな風に気が付くと、もう前の私には戻れない。
これに気づけたのも円坐のおかげだ。
だまされたと思って上勝円坐にきてほしいと願う。
上勝DEつなぐ円坐は上勝DE気づく円坐としても機能していると思っている。
楽しい円坐に是非いらしてほしい☆☆☆

有無ノ一坐 橋本仁美よりご案内

今回、上勝の武市あゆみさんと第2回目の「上勝DEつなぐ円坐」を開催する運びとなりました。
円坐は仲が良いから会うとか、どんな内容をやるかとか案内の主旨に賛同して集まる集いではありません。
上司の命令だから否応なく集う、というのとも違います。スキルアップや自己成長ができるから、ということでもありません。それなのに、私は大阪からわざわざ徳島県の里山の上勝まで行って、円坐という「なにもない場」にすわります。

「なにもないのに遠いところまで人に会いに行く」ということを頭で考えている段階ではおっくうな気持ちになります。人に会うのがおっくうになる、というのはなんでしょうか。
たぶんきっと、会った相手になにかしら自分を多少なり合わせなければならないと思うことが前提になっているからおっくうになるのではないかと思います。
かといって、「どんな相手に対しても“自分らしく”ふるまえばいいじゃない」といわれても、自分のエゴを通す、という感じがしてやりづらいのではないでしょうか。

自分のありのまま、自然体のままで人に会うことができれば、目的がなくても人と会うこと自体が大変スリリングで面白いものになってくるし、世の中の成長志向の圧に押しつぶされずにすむ人生にもなってゆきます。それが円坐の面白さなのですが、
「自分らしく」「ありのまま」「自然体」は、円坐を説明する言葉としては正しい一方で、この言葉で円坐を人に伝えるとなぜかエゴイスティックなニュアンスがまじり「円坐はなにをやっても良い場所なのか?!」と思われるという、非常に誤解されやすい言葉でもあります。

「自分らしく振舞う」とか「自然体」ということには「他者によって自分が揺らされること」も含まれているのに、まるで「他者と関わってもブレない本当の自分」というものがあって、「その自分」を守ることが「自分らしく振舞う」「自然体でいること」だと勘違いしている人が多いのだと思います。

「他人に揺らされると自分が消えてしまう」と思いこみ、それを恐れる人にも出会います。その人たちは自分が消えないようにするために他人には近づきすぎないようにします。しかし、近づかないからこそ、いざ他人に会ったときに余計にもろく揺れやすくなります。

他者と触れ合っても自分がブレないように、たくさんの「気づき」で自分をコーティングする人もいます。
その結果、「唯一無二のその人」ではなく、「同じ種類の気づき」から自分をコーティングをした「似たような振舞いをする人たち」が増えます。
そういう人たちに会うと、「その人に会ったのに会った気がしない」「あとからその人のことを思い出せない」ということが起こります。唯一無二のその人に出会ったのではなく、つくりあげられた振舞いと触れ合っただけだからです。

「気づく」と何かに到達したような気持ちになりますが、「この気づきさえあれば金輪際ブレない自分」になれるわけではなく、気づきは出来事や他者と触れ合ったときに起こる波のひとつにすぎません。
気づきは自分を強化する防具ではなく、本来の自分でもなく、世界と、他者と袖触れ合ったときの単なる刺激です。

だからこそ、私はあゆみさんとこれからも会って、気づきあって、築きあって、ときにはきっと傷つけあうこともあるかもしれず、それでも行き続けます。
すると自分ひとりで「気づき」を材料にして「ブレない自分」を構築するのとは全く違う形で、あゆみさんと私のかかわりあいのなかに、私は安住することができます。それが、円坐における「自然体・ありのまま」という言葉の意味です。

かつてこのかかわりあいのことを「依存」とか「甘え」と言ってきた人もいましたが、あゆみさんと私の唯一無二の関係に対して、そんなことはこの世界の誰にも言わせません。
あゆみさんが上勝にいるからこそ、わたしは大阪から徳島の里山上勝まで行って、あゆみさんめがけて円坐という「なにもない場」にすわりにいきます。唯一無二だからこそその価値があります。

「上勝DEつなぐ円坐」第2回目、同じく唯一無二の、まだ見ぬ皆さまとかかわりあえる貴重なご縁を楽しみにしております。

有無ノ一坐 橋本仁美