新春の若き寿ぎ~南の国からの円坐舞台語り

新年明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

今年も有無の一坐は「きくみるはなす縁(円)坐舞台」有縁名残りの旅路を巡ります。

人生も終盤に入り年齢が重なるにつれて円坐舞台の道行きは、かつての険しい急坂からなだらかな山里の風情となって、日本の山の緑や花々に目を楽しませ、清流の響きに耳を澄ませる一味三昧の道中となりました。

わけても幸せに思うのは旅先の円坐舞台で出あう若武者が、坐衆として見事な対峙と仕合振り、影舞振りを見せてくださる名場面に立ち会えることです。

若者とはなんと瑞々しく、懸命で、何事にもまっすぐに向き合うものでしょうか。

はからずも起きた出来事に勇敢に対峙し、自己中心の好き嫌いの感情を踏み超え、相手との関係に筋を通してその懐に飛び込み、自分の全体重をかけてその人を辿り、出逢い、鋭く刻み合ってすれ違う。

それは人間という存在の高貴な精神性の発揮であると思います。

僕がまだ二十代の頃、今は亡き恩師に頂いた言葉を思い出します。
そのころの僕は「自分の好きなことをやればいいのだ」という「気づき」を受け入れ何事にも自分の感覚や感情を大事にすればいいと思っていました。
ある非構成のグループで恩師は僕の態度に踏み込んでこうおっしゃったのです。

「橋本君。好き嫌いで決めるなら犬や猫でもできるよ」

その時の僕にとってその言葉は閃光のように心の底まで貫く鋭さをもっていました。
現在もまだこの言葉は頂いた時のままの鋭さで心に刺さっており、僕を照らしています。

こうして新年にまた再び恩師の言葉を思い出し、御面前に坐る自分を見出せるとはまことにうれしいことです。先生、お久しぶりです。

先月、北九州への円坐舞台道中にて初めて出会った若者が、
円坐舞台の体験を言葉にして送ってくださいました。
ありがたく拝読いたしました。

僕の説明よりも参加してくださった方々の体験による円坐舞台の「語り」こそ、次の世代に遺すべき貴重な記録であると思います。

ご本人の賛同を得、新春の若き寿ぎとしててここに掲載させていただきます。

<以下記録・進谷隆明氏(小倉市・森の育ち場スタッフ)>
「橋本家との北九州〜佐賀円坐舞台行脚を終えて」
2021/12/24(金)〜26(日)

① 12月24日 福岡県北九州市環境ミュージアム・森の育ち場主催 きくみるはなす円坐舞台「体感!!聴く!」
② 12月25~28日 佐賀県三瀬 農家民宿「具座」円坐舞台

今の僕にとって円坐、影舞、未二観とは、他人と新しい人間関係を作る試みです。
友人でも家族でもない、これまでになかった新しい質の人間関係、古き日本人が他者と強靭に繋がるときに使ったであろう人間関係を現代で作る手段。
新たな活動の面白さが僕の中で芽生えています。

これまで僕は人と関わる時に、どんな自分になりたいか、どんな風に思われたいかを考え、その考えに沿って自分を動かしていました。
これこそが他人と向かい合うということだと思っていました。

3日間の研修の中で(厳密には最終日の朝の未二観を観ている時間の中で)自分が仮面を被っていたこと、これまで自分が自分を演じていたことに気づいた感覚がありました。

今となっては、そのことに嫌悪感すら感じる。今後暫くは、日常全てが他者と向き合うときに無意識に使っていた仮面(僕としては家族を離れ社会に出る時に当然必要だと思っていた価値観)を外す試みとなりそうです。

◆3日間とその後の日常を通して、『存在』と『社会』について自分の考えを見つめ直しました。
・存在とはなにか
人は誰しも存在していたいと感じることを前提に、
僕はこれまで存在することは自分自身が『現在ここに居ること』を指すと考えていました。

僕は今ここに存在していて、死ぬとその存在は無くなる。
だから今の自分がどのように生きているかは自分の存在そのものであり、人生において極めて重要な要素だと思っていました。

でも、その存在の定義そのものが僕の中で大きく変わりました。
僕の奥さんは妊娠中で、12月28日の初検診にはアリーと大島ちゃん(北九州円坐舞台出席者)が同行してくださいました。

まだ心音も確認できておらず、僕らの子は物質的な意味で存在しているかどうかも全くわからなかったのに、僕の家族、アリー、大島ちゃんの日常は変化した。

これこそが僕にとっての新たな『存在する』です。つまり、存在とは物質的な意味ではなく、自分を通して他者に与える『影響』そのものだという考えです。
今は腹の底からそう感じます。存在の意味の転換は、今後の人生を大きく変えうる衝撃です。

・社会とはなにか
僕はこれまで、社会とは見えない虚構、いわば(国単位での)多くの人々の行動指針のことだと思っていました。
社会という概念が先にあり、多くの人々はその社会に適合するために行動する。社会に出る、社会で活躍する、社会を変えるといった言葉は社会に対する自分の行動方針を指しているんだと思っていました。

でも今は、個々の関わりの連鎖が大集団まで拡大することを社会と呼ぶんだと考えます。
社会に対して個人が動くのではなく、個人そのものが社会を今の社会たらしめる。

つまり、社会とは外から影響する単なる概念ではなく、特定の地域に住み、日々生きて影響仕合う人々が織りなす「ナマの現在」の象徴なんだと思います。

自分の行動に大きく影響していた『社会』という概念が消え去ったことは、僕の今後の言動を大きく変える衝撃です。
それほど、社会に沿って生きることにこだわっていたんだと思います。

『存在』と『社会』を見直したことで、
僕は『何も考えない状態』で居られるようになりました。
目的的ではなく、ただ目の前にいる人の言動や自分の五感、自分の思考などに反応して自分が動く。
この感覚は、僕にとっては『人生が変わる、別の人になる』と表現してもよいような大きな変化です。

そして、この何も考えない状態こそが、「すでにものすごく前進している」状態、橋本さんの仰っていた超成長思考(ここは橋本さんからご教示頂いたスパイラルの話と繋がるのですが、長くなるので割愛させて頂きます。)なんだと理解しています。

これからは、その瞬間と自己を自己たらしめる全ての要素に耳を傾け、それに反応していようと思います。
これが、『口から出まかせ』とか『無心で生きる』といった言葉の本質だと今は理解しています。
円坐舞台で『口から出まかせ』に言葉を発する状態に置かれたことが、僕自身を大きく変え始めました。

そして、もう一つ別の発見ですが、情動(喜び、悲しみ、痛み、苦しみなど全て)の本来の意味とは、『自分が他者に影響する(=存在する)過程で生じる副産物』だという気が今はしています。
存在することに伴う自己への反動とも表現できそうです。
まだ頭の整理の途中ですが、情動を副産物と考えると『人生楽しまなきゃ』とか『幸せになりたい』といった感覚の重要度は極めて低くなります。
この整理が終わると、人生の拠り所がまた少し見直されるような気がしていて、とても興味深いです。

◆九州人の背景をご紹介します。
橋本さんの言う『九州に日本を感じる』を僕も感じ始める。

母に「僕が小さかった頃、僕にどのような大人になって欲しかった?」と聞いてみたところ、即答で
「そんなもんあるわけないやん!!どんな大人になってほしいとか考える余裕はどこにもなかった!!ただ言えることがあるとすれば、しげこちゃん(亡き僕の祖母)から『せっかく五体満足に生まれたんやけ、絶対にカタワ(四肢のいずれかを失った状態)にしなさんな』っち言われとったけ、そのことだけを考えとった」と言われました。

母の育児には祖母が現れていた。
これこそがまさに橋本さんの言う『現代の九州人』なんだと感じました。
そして、これが僕の一つの起源なんだと思います。

また、佐賀から帰ってきて、これまでに述べたような話を僕の周辺の方々(奥さん、兄、母、かもにぃ、アリー、げんさん)にしているのですが、全ての人が『驚く』ではなく『当たり前じゃん』という反応をされます。

橋本さんの言う古き日本は今も九州にあるんだと感じました。
そして、僕だけが厚めのプラスチックを持っていたから、橋本さんとの出会いで大きな衝撃を受けたようです(笑)。橋本家との出会いは僕にとって大変貴重なご縁でした。
(プラスチック・・今回の円坐舞台の中から出てきた言葉で、人に見せている顔が固まって本来の顔と連絡がとれない状態を指す)

◆自分の人生観を見直す。
僕にとって僕の人生は『雑巾絞り』です。
僕自身は水を含んだ雑巾で、死ぬ時に水を一滴も残さずに終わりたい。
残して終わることは何とも勿体無いことのように感じるんです。
だから、自分を使い切ることに夢中になれる。それこそが楽しいと思えるんです。
そして、この考え方は以前から持っていたのですが、橋本さんと出会って、絞った水をどこに掛けるかも問うようになりました。

これまでは水を絞り切れればよいと思っていましたが、今は、水をどこに掛けるかも含めて自分の人生観なような気がしています。
答えはまだないので、水の掛け先を考えることも今後の僕の人生の歩みだと思います。
僕も、自分の人生を歩んでいる真っ只中です。

◆最後に
とても楽しい3日間を過ごすことができました。
橋本さん、ひとみさんを始め、今回の3日間に携わった全ての方々に感謝します。
そして、2022年の新たな(これまでに出会った人々も含めて)繋がりに思いを馳せているこの瞬間です。

ありがとうございました。またお会いしましょう!