2025年最期のご挨拶と円坐影舞山月記 ご案内

今年も大変お世話になり、ありがとうございました。

僕にとっては、今年のすべての出会いが、生活と一体になった円坐や円坐街道の中でのかかわりあいでしたが、人間に生まれた冥利に尽きる生き甲斐があり、楽しかったです。

明日から大晦日まで、2025年度の「除夜の円坐」に坐ります。
最後の最後まで仲間と円坐に坐り、友と影舞を舞えて幸せです。

2025年最期のご挨拶に代えて、以下の逐語記録と、「第三回円坐影舞山月記~かかわる私と実存するあなたの発見」の宣言文を掲げます。

どうぞ皆様もお元気で。
よい年の瀬をお過ごしくださいませ。

有無ノ一坐 橋本久仁彦

「いわゆる年をとるということに、逆らう。ところが、生きがいがなければ、逆らう気もなくなる。探求するものもあって、かつ、面白いと思うものがあるから、もうちょっと円坐もしたくなるし、影舞もしたくなる。体も節制して筋肉もつけ、 5年しか身体持たんなら、まあ、あと7~8年は持たそうか、みたいなふうに動く。

この「動く」行為は、体は衰えていくから、それに対抗して逆らってる感じがするわけで、体と共に行くなら、もう年の通り、年取って終わっちゃうと思うねんけど、それに逆らってる。

もっと円坐の旅もしたいし、とか、おもったらせなあかん。なんか、この円坐影舞山月記は、それに似てて。円坐も影舞もやってると、人も知るようになって、やり方知りたくて、富士山に沢山人が登るように人が集まってくる。

その、人が集まってくる方に目を向けてると、上りやすいようにエスカレーターつけたりとか、道を整備したりとか、そんな話になっていって。

富士山の次の山のエベレストに登りたいとか、 マッキンリーに行きたいとか、登山の道はまだまだ続くのに、定着してしまうというようなことが、円坐や影舞にも起こり得ると思ってて。

それに抵抗して、前に行こう。その定着するっていうのが、要するに体が固くなるのと似てるなと思ってるんです。

さらにもっと、新陳代謝して、年取ってるのにも関わらず、まだいく道、あるんちゃうかなって思う。
からだ衰えて、それが終わりじゃなくて、70~80になっていって、若い人から見たら、もう人生終わりやないかって言えるか知らんけど、そうじゃない道、あるやろうと、人間ちゅうのは。

精神とか魂とかあるやろう!みたいな方向に向かって行く。
とすると、若い時よりも、真剣に道を求めなあかん気がする。
若い時よりも、精神力は今、間違いなくあると思うんだよね。
さらに若い時は色んな欲望があって、それができるだけの体力もあったから、してたけど。
僕らはもうその体力が限られてるから、思いを絞らなあかん、ていう意味で若い時よりも節制してる気がする。

この円坐影舞山月記は、僕はそんな感じがしてて、更に前へ行こうっていう、円坐とか影舞とかいうのは果てのない道やと、もう一度思い出す。

その「果てのない」というのは、僕らは、果てのないところへ行くからね。
「果てのない」とは、僕らの本質のことだから、さらに、果てのない方へ向かっていきたいと思うのも、必然だなって。

くぅも来年還暦よ。還暦になった人は、もう還暦クラブと呼ぼう。
還暦やから、還暦はくるっと回るっていう、世の中の価値観もひっくり返るという意味やねんけど、こっからが本番やなと。

円坐とか影舞とかやってる者としたらね、こっからが面白くなるというか、そんな方向をさらに極めていきたいと思います。宜しくお願いいたします」

(第二回 円坐影舞山月記 橋本久仁彦冒頭の挨拶。記録者松岡弘子。)

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みなさま

今年もいよいよ残り僅かとなりました。皆様お元気でお過ごしでしょうか。
明日から大晦日まで四日間《除夜の円坐2025》です。
新年の正月三日に「第三回 円坐影舞山月記」を開催いたします。
新年もどうぞよろしくお願いいたします。

円坐の魂⇄影舞の精神には、あい通ずるものがあって、関わりあわずして、真に他者とふれあうことはあり得ないし、

早くできるようになろうとして、結果や実績を先に求めその場凌ぎに人と関わるのは、実に虚しく、殺伐としています。

人とじっくり関わると気持ちは揺さぶられますが、同時に、面影もあらはれます。
それこそが人間同士のかかわりあいであり本質そのものだとわたしも思います。

それではこのたびのご縁をお待ちしています。

有無ノ一坐 松岡弘子

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<円坐影舞山月記~かかわる私と実存するあなたの発見>

<第三回1月3日(土)>
時間 19時15分~21時45分
会場 大阪市西区千代崎2-20-8
   有無ノ一坐 スタジオ
参会費 5千円
申込 橋本久仁彦まで

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円坐影舞山月記 宣言
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円坐影舞の実存的世界から、
山と月のどちらか一方が消えてしまっても、
円坐でも影舞でもなくなってしまうように、
影舞も円坐も、
そもそもは、他者との関わりあいです。

独りきりで円坐も影舞も成立しません。
真剣にかかわり続ける相手がいるから、
揺れるのであって、
それがシンドくて、
早々に自分だけ楽になってしまえば、
元々あった絆も断絶してしまいます。

人と真剣に向き合い続けていくと、
どんどん下手者となって、
意識的に見せることは不可能になります。

臨在とともにあらはれる真の姿は、
向き合う相手の背景に照らされて、
微動し続ける影身=光となります。

ところが相手と会わず独り孤立してゆくと
徐々に腐り始め闇に覆われて固くなります。
人に会いに行き新鮮な世界を取り戻すと、
この世の音も景色もよみがえり始めます。

これこそが、
球体的時間(円坐)であり、
とわの影身(実存的影舞)世界であります。

口承即興円影未二 有無ノ一坐 松岡弘子

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皆様。

42歳で大学のカウンセラーの仕事を辞した僕は、今から20数年前に、自宅で「非構成的エンカウンターグループのファシリテータードレーニングクラス」を開催しました。

職場での人間関係に悩む友人に、「人と本当にかかわれる実力を身につけたい」と強く要請されたことがきっかけでした。

しかし、「非構成的グループのファシリテーション」の「やり方をトレーニングする」ことは、自分自身の体験から言えば不可能であることを予期した上でのスタートでした。

“The way to do is to be.”

と、非構成的エンカウンターグループの創始者であるカール・ロジャーズが記したとおり、「あなたとわたしが今かかわりあいながらここにいる」という動的で全体的な存在の事実は、対象操作的な「やり方」や「方法」でとらえようとするとまったく見えなくなってしまいます。

我々が「ここにいてかかわりあっている」という出来事は、主体と客体に分裂した二元世界ではなく「ひとつの全体世界の出来事」であるからです。

にもかかわらず、ファシリテータートレーニングクラスは毎年参加者を得て、中断することなく20年以上続き、現在は「生駒石切円坐守人十六番稽古」として、毎月一度、日本の各地から通って来られる8名の方々と有無ノ一坐の4名が、13か月間にわたる「通し円坐」を行っています。

この20数年の間、非構成的グループのファシリテータートレーニングクラスに参加してくださった方々のほとんどは、ご自分の関心から一瞬も離れず、自分の生活に役立つ様々な「気づき」や「体験」、「新しい考え方」や「成長」などを得て、それぞれの人生に戻って行かれました。

しかしこの10年ほどの間に、新しく有無ノ一坐が形成される動きの中で、僕にとっての非構成的エンカウンターグループは根本的な変化、もしくは転回点を通過しました。

ファシリテーターのファシリテーションによる「エンカウンターグループ」ではなく、円坐守人の実存的かかわりあいによる「円坐」になったのです。

ナマの人間同士の「かかわりあい」を客観化、対象化、専門化した「傾聴」「共感」「受容」などの「エンカウンターグループのファシリテーション」が消え去って、円坐守人という特定の個人の全面的、全体的、実存的なかかわりあいが自由に発揮される場になりました。

我々は、この5、6年の生駒石切円坐守人十六番稽古に参加された方々の中に、「非構成的エンカウンターグループ」で見られる「気づき」や「主体性への成長」や「自己実現へ向かう傾向」とは異なる、存在論的な生きる姿勢や態度の変容を確認しています。

円坐という実存的、全体的な現場で参加者に訪れる変容の兆しは、我々には予測できないその人独自の言葉で表現されます。

いわく「僕の人生に人間が入ってきた!」

いわく「頭がパッカーンとなって」

いわく「わたしは試合に負けちゃったんだ」

これらの人々の言葉は円坐を通じて個人的、全体的なかかわりあいを継続している現場の、ある時ある場面で発せられたもので、その場にいた者は、その人の呼吸と態度から、「日常性を越えた存在の開け」、もしくは「精神的な空間が照らされるような拡大したリアリティ」を体感することができます。

それは気付きを重ねてその人が成長したり、意識の高い人間に変わったわけではなく、彼らの見かけの性質は以前とまったく同じ人物のままです。

むしろ、その人とかかわりあって一緒に生きている我々の方が、その人の呼吸や言葉や態度から、「大きくて広くて温かくて自由な何か」を感受し、それを継続的に体験するようになるのです。

しかし、その人自身には他者にそのような影響を与えている自覚はないし、その意志も動機もありません。

ですからこの変化は主体的なものではなく、本人が客観的に認識できるものでもありません。

それは、その人の「自分という意識の外側」にいて、「絶対的に操作不可能な他者」としてかかわりあっている者だけが、その人の存在の背景に「無垢な全体性」として体験することができるものです。

その透明な全体性の中で、かかわりあっている個性的な存在同士はお互いに決して失われないことを発見します。

我々は、有無ノ一坐として日本各地の人々とかかわりあう中で、人々が他者と部分的、客観的にかかわりあうのではなく、自分の存在全体でかかわりあい、愛し合いたいという無意識的な衝動によって突き動かされ、迷い、苦しみ、試行錯誤する姿とご一緒してきました。

「他者と存在全体でかかわりあう」ことへのこれほど強い衝動が、無意識的にではあっても人類規模で無数の人々に共有されたのは、有史以来初めてのことであると思います。

「円坐影舞山月記~かかわるわたしと実存するあなたの発見」は、以上のような歴史認識と世界の現状の認識に従って活動している民衆芸能者の一坐、「口承即興円影未二 有無ノ一坐」の坐長橋本久仁彦と、副坐長松岡弘子が開く円坐影舞の舞台現場です。

円坐影舞の現場は、観察し、客観化し、対象化した自分と他者ではなく、「全体のわたし」が「全体のあなた」にかかわるので事前に観察できず、客観視できず、対象操作もできない「未知のかかわりあい」が生きている現場です。

我々の実際の人生に本当の安心や安全が存在しないのと同じように、円坐影舞にも安心や安全はありません。

そのかわりに、「お互いに対して本当に生きている仲間」の、自由な、温かい、誠実なかかわりあいの永続があります。

円坐影舞山月記は毎月二回、我々が大阪に滞在している日程を選んで不定期に開催いたします。

皆様の心の奥底に訪れた小さな直観と一緒に、どうぞおいでくださいませ。

ご縁をおまちしています。

口承即興円影未二 有無ノ一坐 橋本久仁彦